#308 今日から何を書こうか ~読書について書いてみました~

約5ヶ月にわたって,うつ病の経過ばかり書いてきました。

昨日のブログ↓で一応まとめたので,ご覧くださると嬉しいです。貼り付けてあるリンク先もぜひ読んであげてください。

今日から,5か月前のようにブログを書いていくわけですが,さて,何を書こうか。

僕が大事にしたいのは,僕自身の経験を書くことです。僕の人生の歩み(経験)をブログとして公開すること,そして,その経験から考えたことを文字に書き起こすこと。それが,僕の人生を「ストーリー」として浮かび上がらせ,僕だけしか描けない「ストーリー」につながります。考えを言語化することは,自分で深く考える能力をレベルアップしてくれます。

少しまとめると,

【ブログの目標】

・僕の人生のストーリーを公開する

・考える力をレベルアップする

【目標を達成する方法】

・ブログでは僕自身の経験を書く

・経験に基づいて考えたことを言語化する

そういった感じになると思います。

じゃあ,今日のブログでは「今日何をしたのか」を書いていくことになりますが,今日は朝8時に起きて散歩して,読書して図書館に行って本を返却・貸出して,午後からはメガネの受け取りに行きました。そして今,ブログを書いています。

そんな1日を過ごしている僕が,今日の経験のうち,どれに着目するのか。

今日は読書に着目してみることにします。

さて,僕は今年に入って今日までの間に,図書館から借りた本を約60冊読んでいます。9ヶ月で60冊なので,1か月あたり6~7冊です。そんなに多くありませんね(笑)。

まあ,結構ヘビーな本が多かったり,調子悪い日は読書するやる気がなかったりして,そんなにたくさんは読めていません。

まあ,それは置いといて,読書する意味について書いてみようと思います。

「読書したほうがいい」と,僕らは小学校の頃から言われ続けています。「読書したら読む力がつくよ」「たくさん知識が入ってくるよ」と,読書にメリットがあることは,物心がついた頃から僕らは知っています。

でも,メリットを叫ぶばかりで,読書そのものの楽しさを誰も教えてくれませんでした。

メリットを叫ぶばかりだと,さも,「読書は苦しい修行だけれども,これだけメリットがあるんだから,その苦しみに耐えてもなおやるべき価値がある」という「裏の意味」がどんどん浮き彫りになってしまいます。

おそらく,メリットを叫んでいる当の大人たちが,誰ひとり読書の楽しみを理解していません。

「読書にメリットがあるのはわかっているけど,本を読むのは好きじゃない。だけど,読書はきっと子どもたちに良い影響を与えるから,ぜひとも読書してほしい」

そんな思いがあったのでしょう。

大人たちに悪気はないのでしょう。でも,そのやり方は間違っています。

ちょっと脱線しますが,僕は「悪気はない」は言い訳にならないという立場です。

悪気があったかどうかは問題じゃない。悪気がなければレイプしていいことにはならないから,「悪気はない」が言い訳にならないのは当たり前です。

いくら大人たちに悪気はなくても,読書のメリットをいくら叫んだところで,読書を推進することはできません。やり方が間違っているからです。大人たちは,この間違いにきちんと向き合う必要があります。「悪気はない」という言い訳にならない言い訳をするばかりでは,ただの無責任バカです。

僕としては,読書のメリットなんか一切叫んでほしくありません。メリットを叫ぶことで,「読書は苦しい」という,メリットに隠された「裏の意味」がどんどん浮き彫りになってしまうからです。

メリットを叫べば叫ぶほど,「読書は苦しいけれど,メリットがあるんだから,そのメリットのために読書しよう」という,読書に対するネガティブなイメージが増大してしまう。

そんなことしないでほしい。

だって,読書は,メリットがあるかどうか関係なく,楽しいのです。読書はメリットを享受するために存在するものじゃない。娯楽なんです。

子どもがゲームやテレビやYouTubeに夢中になるのと同じで,読書も,娯楽として夢中になる対象です。

メリットはどうでもいい。

というか,メリットを強調することで,読書の「娯楽」としての性質がどんどん薄れてしまうから,メリットは一切言ってほしくない。

もし仮に,子どもに読書してほしいのであれば,自分が楽しく読書するのが一番です。読書がどれだけ楽しいか,自分が態度で示してあげればいい。

父親または母親が,仕事から帰って晩御飯を食べるなり,テレビやスマホを見るでもなく,すぐに書斎に入って読書に夢中になっていれば,子供は純粋に「本」という存在に興味を持つはずです。

「お父さんやお母さんが,あれだけ読書に夢中になっているけど,おもしろいんだろうか?」と,子どもはきっと思ってくれます。

僕の幼少時代は,こんな家庭ではありませんでした。父も母も,仕事から帰って晩御飯を食べた後は,ずっとテレビを見ていました。そのおかげで,子どもの僕も,生粋のテレビっ子に育ってしまいました。

そのせいで,僕の中で読書は,「苦しいけれどもメリットがある」という存在に成り下がってしまいました。今から思うと,これは,本当に大きな損失です。もっと幼い段階で読書の楽しみに目覚めていれば,もっともっと世界が広がったのになあと思ってしまいます。

人間の成長なんて,半分以上遺伝子が決めているので,「こんな子どもにしたい」と親がいくら思ったところで,その通りにできることはまずありません。

でも,子どもは両親のことを本当によく観察しています。両親が提供する子育ての環境は,間違いなく,子供の成長に影響を与えています。

読書に限らず,僕が理想とする子育ては,父親と母親が人生を思いっきり楽しんでいる姿を子どもに見せることだと思っています。

我が家は違いました。そりゃ,経済的には安定していたのかもしれませんが,父も母も仕事で疲れ果てていて,ストレスがたまっていました。仕事=苦しみ,というありふれた価値観が蔓延していました。

そんな家庭で育てば,「大人になったら苦しい仕事に耐えてお金を稼ぐ」という価値観が刷り込まれてしまうでしょう。その価値観で一生を終えられる人もいるでしょうが,僕みたいに,(おそらく)遺伝的にうつ病を発症しやすい体質の人は,その価値観だと,どこかのタイミングで身体を壊してしまいます。

これからの時代は,苦しい仕事に耐えることは必要なくなります。もちろん,苦しいことが何もなくなるとは僕も思っていません。大変なことは必ずやってきます。でも,それは,その仕事を誇りに思えるからこそ,乗り越えられるはずです。

誇りに思えないような仕事,悪いことを悪いと言えない仕事を,生活のために無理に続ける時代はとっくに終わっています。

こういう意味で,苦しい仕事に耐える必要は既になくなっているし,これからもこの時代が続いていくと僕は思っているのです。

こんな時代に必要なのは,メリットなんかじゃありません。

「楽しい」かどうか。「誇りが持てる」かどうかです。

ちょっと「読書のメリット(と言われているもの)」について書くと,1冊本を読んだところで,読む能力なんてつきません(笑)。今の本は,めちゃくちゃわかりやすく書いてありますから,それを読んだところで読む能力なんてつかないのです。

本は,売れてナンボです。だから,読みにくい本はそもそも販売されないのです。読みにくい本を読みたい人は少数派ですから。本を本として出版するためには,ある程度の部数を印刷しなきゃいけないので,どうしても「マス」を狙わなきゃいけない。

「マス」狙いの本が,「読みにくい」わけない(笑)。意味が汲み取りやすいよう,誤解を与えないよう,細心の注意を払って書かれています。

そんな本を読んでも,「読む能力」なんて育まれません。

というか,今の時代は,スマホで日々大量の文章に出会っているので,昔よりも格段に読む能力は鍛えられています。そんな時代背景も踏まえると,読む能力の向上を読書に頼るのはお門違いでしょう。

それと,読書で「知識が手に入る」というメリットも疑問です。正直なところ,本を1冊読んだとしても,その知識は全然頭に入っていません。読んだ瞬間から忘れていきます。

1冊の本の知識をモノにしようと思ったら,その本を最低5回は読む必要があるでしょう。でも,そんなの全然楽しくない(笑)。

知識がインプットされるのは,読書を続けた先です。おもしろいと思った本の参考文献をたどったり,偶然読んでいた他の本に前に読んだ本と同じ知識が載っていたり,そんなことが何度も積み重なって初めて,知識がインプットされるのです。

そうすると,「読書」それ自体が「知識」につながることはありません。知識を得るには読書の蓄積が必要です。

で,読書を「蓄積」させるには,読書を「楽しい」と思わなくちゃいけない。1冊の本を5回読んだら知識が身につくだろうと書きましたが,そんなことやっていたら,もう読書がイヤになるでしょう。5回読んだ本の知識は身につくでしょうが,それで読書がイヤになって,もう読書したくなくなって,他の本の知識は一切身につかなくなってしまう可能性が高いです。

結局,読書にメリットを求めるのは間違っています。

「読む能力」を読書に求めるのは,スマホ全盛の今の時代ではお門違いですし,読書が楽しくないと知識につながらないんだから,「読書の苦しみ」を浮き彫りにしてしまう「メリットの強調」はナンセンスなんです。

さて,こんなことを考えながら,今日も読書しようと思います。

読書はとにかく楽しいんです。ものすごい感情の高ぶりを味あわせてくれます。

日本の図書館制度に感謝!(#戦後日本の図書館制度構築に尽力したアメリカの役人はソ連のスパイでしたが

【今日の経験・考えたこと(発症453日目)】

・今日できた仕事・勉強

さて,今日で休職開始から453日目:1年2か月と25日目ですが(うつ病発症日から今日までずっと休職しています),今日は休みでした。昨日に引き続き,『ソフィーの世界』を読み,今日読み終えました。

最後はミステリー風になっていました。そこまでおもしろいミステリーだとは思いませんでしたけど(笑)。僕は,最初から中盤までの,哲学史を解説している部分が好きでした。きっと近いうちに,もう一度読みます。

・仕事・勉強以外に今日やったこと

今日は,午後からメガネを受け取りに行き,その後,半沢直樹の最終回を見ていました。

【今日のうつ病】

今日までに経過した期間↓

・うつ病発症(2019年7月10日~):453日(1年2か月と25日)

・実家療養後の1人暮らし(2019年9月27日~):374日(1年と8日)

・午前中の散歩(2019年11月7日~):333日(10か月と28日)

・毎日ブログ(2019年12月3日~):307日(10か月と2日)

・出勤練習(2020年3月30日~):189日(6か月と5日)

さて,そんな今日のSleepCycleを見ると(睡眠記録アプリ「SleepCycle」についてはこちら),昨日午後11時15分に布団に入り,すぐに寝つけました。昨日に引き続き,寝つきが改善されています。昨日の朝は6時頃に目が覚めてしまいましたが,今日は,8時までぐっすり眠っていました。睡眠時間は8時間45分と充分です。

とはいえ,SleepCycle独自の睡眠品質は77%/100%で,睡眠時間の割に低めです。疲労の蓄積で,良好な睡眠が妨げられているようです。今日も早めに布団に入って,なるべく疲労を回復し,明日からの出勤に備えようと思います。

今日は,午前9時24分から日課の散歩に出かけて,10時12分に帰宅しました。『ソフィーの世界』の最後80頁を読み終えた後,11時30分から自転車で図書館へ行き,11時51分に帰宅しました。昼ごはんを食べて(#今日もセブンイレブンの日替わり弁当),午後1時37分から,メガネを受け取りに行きました。午後2時27分には帰宅し,ゆっくり過ごしています。

昨日は,午後1時40分頃から3時間半も昼寝していましたが,今日は,昨日の昼寝と昨晩の安眠のおかげでだいぶ疲労が回復し,かなり調子よく過ごせています。とはいえ,SleepCycleの点数が低めで,疲労の蓄積がうかがわれるので,無理せず休息します。

今日もブログ書けてよかった!

それではまた明日!→こちら

昨日のブログ→こちら

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