nozomi / 本とビールとウイスキーと。

本の記録と、暮らしの日記。臨床心理士として、こころをあつかうこと、はなしをきくことを生…

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本の記録と、暮らしの日記。臨床心理士として、こころをあつかうこと、はなしをきくことを生業としています。社会福祉士の夫とふたり暮らし。Instagram▶︎https://instagram.com/n_bookworm_n?igshid=OGQ5ZDc2ODk2ZA==

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ヒトが本を読む理由。自己紹介にかえて。

ヒトはどうして 本を読まずにはいられないのですか? 物語に迷い込んで現実から逃れたいから。 誰かと一瞬でも繋がりたいから。 そこに自分の燃え殻を見たいから。 きらきらときれいなモノに触れたいから。 ジブンのカケラを拾い集めたいから。 わたしの答えは、そう、アナタを知りたいから。 本とビールとウイスキーだけを胸に抱いて。 活字に、溺れたい。 活字から立ちのぼる、あのヒトの匂い。 活字からこぼれる、あのヒトの液体。 決して、変態チックではないんです。 そこに性的な欲求はないんで

    • 日記 2023.06.25

      湿度の高い晴れ。昨夜21時に寝てしまった罪悪感で4時過ぎに目が覚め、勢いで風呂に湯を溜める。休みの日はこうして一日をはじめることが多い。本日の読書も角田光代さんの「くまちゃん」。ふられ小説とわかっていて選んだのだけれど、やっぱりわたしは幸福な物語のほうが好きだ。 髪が長いのと、空気が湿っぽいので、ドライヤーには40分くらいかかる。それでもわたしは毎朝、髪を洗う。ぴっちり身支度を整えることは、きょうをはじめるための儀式だ。髪の毛がまっすぐ整っていないと落ちつかないし、寝癖のつ

      • 日記 2023.06.24

        雲の多めな晴れ。 夫は泊まりの勤務で、午後から出かけて行った。先週末に鎌倉を旅行して以降、ずっと一人になる時間がなかった。普段できない場所の掃除をしたり、冬服をクリーニングに出したり、1週間分のまとめ買いに出かけたり。やりたいことはたくさんあるはずなのに、どうしてもやる気がでない。ならばと机の上に積読本を並べてみるが、それにも手が伸びない。仕事のある日は、本が読みたくてたまらないのに、いざ時間ができるとこれだ。 諦めてソファに寝ころがる。うつらうつらしながら、3時間ぼーっ

        • 本に纏わる考察(読了の興奮のままに。ネタバレ含みます。)

          ヒトの本質が純度100%で抽出された物語。 ユーモア優位の解釈困難なメタファーも 物語を展開させる複雑な装置もない。 キーパーソンたちのセリフにより 伏線が回収されていき、 最後には読者の期待通りの幕引きが 用意されている。 これまでの作品すべての集大成といえるような、モラトリアルな男たちの アドレセンスとの訣別が描かれている。 現実と非現実、意識と無意識・・・ それらは壁をはさんで存在している。 恐れるならば、壁はいつでもそこにあり続け ヒトによっては 『魂にとっての疫

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        ヒトが本を読む理由。自己紹介にかえて。

          続・何者にもなれなくたって、いいじゃない。

          フリーライター、一田憲子さんのwebサイト『外の音、内の香』を読むことが、わたしの朝の習慣になった近ごろ。 いつも目にしている情景が、一田さんの表現から得た気づきによって、鮮明に浮かびあがってくることがある。 「私を見つけて」プロジェクトという特集・連載の中でとりあげられていた、“写真と文”の七緒さん。 何者かになりたいという気持ちが人一倍強かった、フォトグラファー/ライターの七緒さんが、もう誰かにならなくていいと気づき、“写真と文”という肩書きで活動をはじめるまでの物

          続・何者にもなれなくたって、いいじゃない。

          すべて真夜中の恋人たちー仕事に対する姿勢と信頼についてー

          本日の読書は、川上未映子さんの『すべて真夜中の恋人たち』。かつて読んだことがたしかにあったのにまったく覚えていなくて、他の作品も同様で、当時のわたしのこころには引っかからなかったと思われる、本と作家さん。最近ダ・ヴィンチで特集されていて、なんとなく読み直してみようと思った、さっき。読点の間隔が長くてうまく息つぎができなくて、初っ端からくじけそうになったのだけれど。小さな出版社で校閲者として働く主人公にフリーランスを勧める、聖(大手出版社で校閲の仕事をする、独特な雰囲気をもち、

          すべて真夜中の恋人たちー仕事に対する姿勢と信頼についてー

          30代一年生の、大人な春の迎え方

          夫の異動が決まって、こころがそわそわしていた。うれしいけれど、おいてけぼりをくらったような、そんな複雑な思い。それに加えて、いつも通り新年度が近づいて、なにか新しいことをはじめなきゃ、というきもちになっていた。こういうときは、やたらと本を読み漁りたくなったり、ことばにしてみようと試みたりするのが常だけれど。今日のわたしはというと・・・ 朝起きたら、なにも考えず、身支度の流れで家中の掃除を済ませていく。雨を理由に引きこもるのをやめて、思い切って外に出てみる。SNSの代わりに、

          30代一年生の、大人な春の迎え方

          コロナ療養期間のあれこれ。

          コロナ療養期間最終日。先週の土曜日に発熱して3日間くらい床に臥して。その後は喉の痛みと月経のあれやこれやに打ちのめされて。今は、すっかり良くなったとはいえないけれど、とても清々しいきもち。コロナにでもならなければ、こんだけなにもしない9日間なんて、絶対になかった。しかも、そのうちの7日間は、夫と過ごせた(別々の部屋で療養してたとしても)。この数日間の非日常は、コロナのしんどさを差し引いても(明日から怒涛の返済期間がはじまるとしても)おつりが返ってくるくらい、かけがえのない時間

          コロナ療養期間のあれこれ。

          何者にもなれなくたって、いいじゃない。

          いつか、「何者か」になりたかった。その「何者か」は、決して姿をあらわさない。けれど、その「何者か」になることを、ずっと夢みていた。「何者か」をあえてことばにするならば、たぶん、成功とか、評価とか、地位とか、名誉とか、それらにまつわるものだと思う。走りだす勇気のない自分。すぐに飽きてしまう自分。何も持ってない自分。何にもなれない自分。自分なんて、だいきらい。自分なんて、全然、たいせつじゃない。自分なんて、どこかに消えてしまえ。そう、思っていた。 書くことで伝えたいことについて

          何者にもなれなくたって、いいじゃない。

          ひとりぼっちにほんとうの孤独はやってこない

          あの頃は、孤独のフリをすることが、すきだったのだ、たぶん。 部屋のすみで、膝を抱えて、膝と膝のあいだに顔を挟んで、泣く。 この世の終わりだ、いつ死んでも構わない、と、思いながら、泣く。 どれだけ泣いても、誰にも何も届かなくて、さらに、泣く。 そのうち泣き疲れて、ぱっと顔を上げると、いつものベッドの上。 鼻を思いっきりかんですっきりしたら、 冷蔵庫からキンキンに冷えたビールを持ってきて、 ゴク、ゴク、ゴク、ゴク。 孤独は、ビールの泡と一緒に、ぱちんぱちんと消えていく。 今思

          ひとりぼっちにほんとうの孤独はやってこない

          江國香織の作品がバイブルだ、というヒトたちへ

          江國香織の作品たちは、わたしのバイブルだ。 出会いは覚えていないけれど、 少なくとも中学生の時には まちの図書館で 「泳ぐのに、安全でも適切でもありません」 の意味について考えていたし、 ませた男の子から誕生日のお祝いに 「東京タワー」をプレゼントしてもらっていた。 だから小学生の終わり頃には わたしの人生に 江國香織が存在していたのだと思う。 すきなところを、なにひとつ 書き漏らすまいとすると、 たくさんあり過ぎて何も書けなくなってしまう。 あえてひとつ、あげるとすると

          江國香織の作品がバイブルだ、というヒトたちへ