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何者にもなれなくたって、いいじゃない。

いつか、「何者か」になりたかった。その「何者か」は、決して姿をあらわさない。けれど、その「何者か」になることを、ずっと夢みていた。「何者か」をあえてことばにするならば、たぶん、成功とか、評価とか、地位とか、名誉とか、それらにまつわるものだと思う。走りだす勇気のない自分。すぐに飽きてしまう自分。何も持ってない自分。何にもなれない自分。自分なんて、だいきらい。自分なんて、全然、たいせつじゃない。自分なんて、どこかに消えてしまえ。そう、思っていた。


書くことで伝えたいことについて考えたとき、浮かんできたのは、これまで勇気づけられてきた、本のなかのことばたちだった。

どちらにもなれない、どちらを選べばいいかわからない、ということはしかしよくあることです。ですがこのタイプもまた、どちらにもなれないことを突き詰めればよろしい。「私はどちらにもなれない」と言い続けていればいい。すると、同類同胞が遥々遠くからやってくる。そんな人と一緒に遊べばいい。話せばいい。なんか面白いことできねえかなあなどと酒でもくみかわせばよい。そういう人同士でしか生まれない娯楽があるでしょう。恋愛もある、お仕事もあるでしょう。だからまずはご自身を、正直に、過剰に。
20代で得た知見(F著)

「何にも持ってないんだよ。でも、そんなわたしのことをすきだって言ってくれる人が、いるんだよ。これが幸せじゃなくて、なにが幸せだよ。」って、世界にいる同類同胞たちに叫びたい。

私の中にあるこのなにかを、そのまま生かさないとこれからはだめだな、もう、違うものと組み合わさって勉強したりして、珍しい経験を作る時代は終わった、これからは自分を守り育てていくんだ。
なんくるないさ(よしもとばなな著)

これまで、せっかく、あえて、苦しい道を選んできたんだ。必死で手に入れた知識や経験の種たちを、じっくり育てていって、どんな花や実をつけるか、楽しみに待とうではないか。

たしかに結婚は“struggle”だ。満身創痍。でも風が吹けば傷口は乾くので、いちいち気にしないことにしている。そうして、日々の生活のなかで、この風というのはつまりとりあえずくっついて眠るという行為だったり、おいしい料理だったり、熱いシャワーだったり、繰り返し聴く音楽だったりするのだと思う。そういうささやかなものたちにその都度救われていかないと、とても愛を生き抜けない。
いくつもの週末(江國香織著)

江國香織さんのように、自分の信じる愛に、力強く誠実に向きあって、生きていきたい。


わたしの書きたいことというのは、道しるべになることばたちと、その処方箋、なのかも。活字に溺れ、活字に救われてきたわたしだから、できること。こんな「何者か」のかたちが、あってもいいじゃないか。わたしは、わたしが思っているよりも、本がだいすきなようだ。うれしい。

すきなものをちゃんと胸に抱えて、「すきだー!」と、愛を叫んで生きていこう。あなたの叫ぶ愛も、ちゃんと聞こえているから、きっと大丈夫です。

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