何者にもなれなくたって、いいじゃない。
いつか、「何者か」になりたかった。その「何者か」は、決して姿をあらわさない。けれど、その「何者か」になることを、ずっと夢みていた。「何者か」をあえてことばにするならば、たぶん、成功とか、評価とか、地位とか、名誉とか、それらにまつわるものだと思う。走りだす勇気のない自分。すぐに飽きてしまう自分。何も持ってない自分。何にもなれない自分。自分なんて、だいきらい。自分なんて、全然、たいせつじゃない。自分なんて、どこかに消えてしまえ。そう、思っていた。
書くことで伝えたいことについて考えたとき、浮かんできたのは、これまで勇気づけられてきた、本のなかのことばたちだった。
「何にも持ってないんだよ。でも、そんなわたしのことをすきだって言ってくれる人が、いるんだよ。これが幸せじゃなくて、なにが幸せだよ。」って、世界にいる同類同胞たちに叫びたい。
これまで、せっかく、あえて、苦しい道を選んできたんだ。必死で手に入れた知識や経験の種たちを、じっくり育てていって、どんな花や実をつけるか、楽しみに待とうではないか。
江國香織さんのように、自分の信じる愛に、力強く誠実に向きあって、生きていきたい。
わたしの書きたいことというのは、道しるべになることばたちと、その処方箋、なのかも。活字に溺れ、活字に救われてきたわたしだから、できること。こんな「何者か」のかたちが、あってもいいじゃないか。わたしは、わたしが思っているよりも、本がだいすきなようだ。うれしい。
すきなものをちゃんと胸に抱えて、「すきだー!」と、愛を叫んで生きていこう。あなたの叫ぶ愛も、ちゃんと聞こえているから、きっと大丈夫です。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?