主語がデカい話と二元論
とくにTwitter(現X)について取り上げたい。Twitterは、どんな情報がトレンドになっているのか、手軽に情報収集できる便利ツールだと思う。
※2022年1月調べで、日本では約6000万人が利用しているそう。2人にひとりは利用している状況だ。
僕の周りにいる官僚たちも、仕事上でTwitterを活用している人がわりといる。キーワード検索が秀逸で、自分の関わる行政行為が変に悪目立ちしていないかリサーチしているのだ。
そんなTwitterだが、見ていると疲れてしまうときがある。ネガティブな話題、興味がない情報を何度も目にしてしまった時など、なかなか回避したくても、しにくいのが悩みどころ。
今回は僕なりに意識している、ちょっとしたコツのようなものを紹介したいと思う。
主語がデカい話
誰かの愚痴、水掛け論、誹謗中傷などの感情論や抽象論の類いはすべてスルーしたいと思っている(ただし、ニュース、データ、事実関係等は含めない)。
そのために、ひとつは主語・主体がデカい(大きい)話題を回避するというものがある。
例えば、主語・主体が以下のようなもの
・日本(人)は〜、等の国や国籍
・男(女)は〜、等の性別
・高齢者(若者)は〜、等の年齢
・公務員、芸能人、専業主婦は〜、等の職業役割
・メディア、◯◯業界は〜、等の業界
・◯◯教、◯◯主義は〜、等の思想信条
・(企業名)、◯◯大学は〜、等の組織団体
・日本社会、現代(人)は〜、等の抽象風刺
このように主語がデカいものは、単なる愚痴、意見の水掛け論、果ては誹謗中傷に発展するような感情論や抽象論になりやすい。
しかも、ポジティブな話なら楽しく話すのはいいと思うが、大抵はネガティブな話ばかりで、出口の見えない会話が延々と繰り広げられ、見ていて疲れてくる。じっくり議論すべきようなものには、そもそもSNSは向いてない。
二元論(善悪、正誤)
次に、二元論について。
先ほどの主語に対して、述語にあたる部分とでもいえば、わかりやすいだろうか。
結論を、善か悪か、正か誤か、二択で語っているような話を回避するというものがある。
ちなみに二元論というのは、元は欧米のキリスト教の思想から来ているそうだ(天使と悪魔のような?)。たしかに、欧米のホラー映画や、アメコミのヒーロー物もそんな感じがしなくもない(違ったらごめん)。
例をあげると、
男性は、女性より優れている(劣っている)。
日本は、◯◯より優れている(劣っている)。
老人は、若者よりルールを守らない(守る)。
最近のトレンドだと、
◯◯事務所は、前社長が◯◯したから、悪い組織だ、とか・・。
あらゆる物事は、二元論で語れるほど単純ではない。そんなことは分かっているのに、このロジックになぜかハマる。そして、いつのまにか、やはり感情論や抽象論になってしまう。
こんな話をしていても、出口もなく、延々と対立した意見が続き、果ては罵詈雑言になってしまいがち。
要はSNS利用のスタンス?
僕の場合は、Twitterは情報収集が目的であって、誰かと議論をしたり、言い負かしたり、自己承認欲求を満たすためにしているわけではない。
(ありがたいことに、自己承認欲求があるとすれば、このnoteで皆さんから共感をもらったり、したりしていると思う)
Twitterのように様々なコメントが渦巻くSNSでは、結論がでない話しをしているんだなぁ〜と一歩引いたスタンスを保っておくと、少し心が軽くなる。
主語がデカい話と二元論を意識して、Twitterを少し見てみてほしい。なんとなく、確かになぁと感じてもらえると思う。
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