綿

日々感じたことを。日記帳未満。

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最近の記事

2024/05/18 光屑と翡翠

暑い。 時刻は午後1時。 5月も半ばを過ぎると、東京はすっかり夏の顔だ。気温は29℃を示しており、季節は着実に真夏へと近づいていた。 私は街を歩いていた。 土曜なので人が多かった。 私は自己中心的な思考回路を自負しているので、なぜ折角の休日にこんな人混みの中を歩かなければならないのかとふんふん憤っていた。私以外の人間(店員を除く)は、私が外出する日は家にいるべきであって、私の通行を妨げるべきではない。混雑によって私の気分を害するべきではない。私に限らず、恐らくは皆同じような

    • 御託

      私は歩いていた。 荒廃した都市を。 無人の商店街を。 人々の遠い営みとすれ違う。 刹那の邂逅に私は嬉しさと煩わしさを同時に抱えて、海に向かった。 雨が降っていた。 長年不思議に思っていることがあった。 成長するにつれその違和感は膨張し、私を苛んでいた。それは世間であり、社会であり、政治であり、固定観念であり、己の認識でもあった。 こんなものは全て嘘だ。虚構だ。デタラメだ。 自身に課した呪いを、世界中に貼り付けたラベルをひたすら剥がす。この数年はずっとこうだ。 歪な形で正義ヅ

      • 2024/4/28 暑すぎるよ馬鹿

        起床。 時刻は午後の1時を回っていた。 部屋が暑い。 この時期にしては異様な暑さに起き抜けから気分が悪い。外の風でも取り入れて気分転換しようと窓を開けた。 暑い。そして無風。 中天に昇る太陽はギラギラと輝き街を熱している。 眠りこけている間に真夏にタイプスリップでもしたのだろうか。状況と気温が理解できず、とりあえずコーヒーを淹れた。 窓辺に座って煙草に火をつける。 昇ってゆく白い煙。日光がジリジリと肌を焼く。身に覚えがあるな、これは去年の7、8月くらいの感覚だ。 スマホの

        • 2024/4/27 くたばれ低気圧

          昼過ぎに起きた。 頭は重いし身体中バキバキだ。 原因はハッキリわかっていた。 寝過ぎである。 昨夜就寝したのが夜の8時頃(小学生かな?)、起きたのが昼の12時過ぎ。睡眠時間は驚異の16時間である。春眠の時期はとうに過ぎたけれど、どうやら私の体は休息を欲しているらしい。 重い体を引きずってお湯を沸かし、濃い目に淹れたコーヒーを飲む。カフェインを摂取するといくらか気分が楽になる。コーヒー片手にぼんやりしつつ、働かない頭で本日の予定を組み立てる。ふと昨夜から何も食べていないこと

        2024/05/18 光屑と翡翠

          ナイト・ホークス

          F・スコット・フィッツジェラルドの短編「ベンジャミン・バトン」を読み終えた。老人の姿で産まれ、若返り続ける男の一生を描いた短編小説。 今回は読了後の感想は割愛するとして、私はこの作品についてあることが気になっていた。それはこの本の表紙である。 角川文庫発行の永山篤一訳「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」。本の顔とも呼べる表紙を飾るのは、私が愛してやまないエドワード・ホッパーの「ナイト・ホークス」だった。この本を手に伸ばしたのは、それが理由だったりもする。 エドワード・ホ

          ナイト・ホークス

          試される大地

          先日、人生初となる北海道に上陸した。 東北・北海道新幹線で地元から2時間ほど。 飛行機を使わずにどうやって津軽海峡を越えるのかというと、青森と北海道を結ぶ日本最大の海底トンネル、青函(せいかん)トンネルを通るのだ。 初めて海底トンネルなるものを知った時はそりゃあ驚いた。だって海の中をトンネルが通っているなんて、まるで絵本の世界みたいじゃないか。現代の技術というのは、私が日々漠然と感知しているものよりも数段進んでいるらしい。 今回は旅行目的ではなく、研究所の手伝いをするため

          試される大地

          音楽とジンクス

          私は正直なところ、あまり俗っぽくない人間だと思う。有名なアニメやゲーム、漫画、アイドル、芸能人…etc 存在は認知している、認知はしているが、本当にそれだけなのである。 皆が熱狂しているコンテンツについて話題を振られても、 あぁ、名前は聞いたことあるよ、とか、 あぁ、最近流行ってるよね、とかそんな感じの極めて薄い感想に留まることが殆どだ。 俗っぽくないのがイイことだとも偉いとも思わないが、流行に敏感なのが正義だとも思わない。 というか基本的に全ての事象/事物は等価値であり

          音楽とジンクス

          新刊を買いに

           年始に購入してから積みっぱなしだった小説、木爾チレンの「神に愛されていた」をようやく読了した。女性作家の羨望と嫉妬を描いた物語は、生々しい闇と晴れやかな光が同時に存在する不思議な作品だった。読み終えた後は熱に浮かされたような高揚感で、そわそわと落ち着かなかった。ページを捲る手が止まらなかったのはいつぶりだろう。  読後の余韻に浸りつつも手持ち無沙汰で、何かすることがないか頭を巡らせはたと気づく。そういえば今日は森見登美彦氏の新作「シャーロック・ホームズの凱旋」の発売日だ。

          新刊を買いに

          冬の白さと光

           「寒さ」というのは、時に恐怖を表す言葉として用いられる。  かの有名なハリー・ポッターでは、恐怖の象徴であるディメンターが現れた際に、異常な霧と寒さに襲われるという描写がある。怪談で恐ろしさを表現する際にも「さむけ」という語が用いられる。  思うに寒さとは、人々から幸福やエネルギーを奪い去るものだ。唾棄すべきものなのだ。  早朝の寒さに震えながら、今朝の私はそういったことを考えていた。  上京したての春、東京という土地はこんなにも寒かったのかと驚いたことを覚えている。

          冬の白さと光