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新刊を買いに

 年始に購入してから積みっぱなしだった小説、木爾チレンの「神に愛されていた」をようやく読了した。女性作家の羨望と嫉妬を描いた物語は、生々しい闇と晴れやかな光が同時に存在する不思議な作品だった。読み終えた後は熱に浮かされたような高揚感で、そわそわと落ち着かなかった。ページを捲る手が止まらなかったのはいつぶりだろう。

 読後の余韻に浸りつつも手持ち無沙汰で、何かすることがないか頭を巡らせはたと気づく。そういえば今日は森見登美彦氏の新作「シャーロック・ホームズの凱旋」の発売日だ。
 
 夜の18時、慌てて家を飛び出した。

 暗く雨の降り頻る街路を、駅ビルの本屋目掛けてずんずん進んだ。一応折り畳み傘を持ってきてはいたが、細くまばらな雨粒は昂った体を冷やすにはあまりに貧弱で、傘を差すのが馬鹿らしく感じた。結局家を出て5分もしないうちに折り畳み傘はその役目を終え、トートバッグの底へ底へと押し込まれていた。不憫である。

 雨降る夜の東京を歩く機会は、実はそう多くなかった。毎日家と学校の往復で、たまの休みには書店で古本を漁るくらい。それでも夕方には帰っていたし、そもそもこうして夜に出歩くこと自体少なかった。

 帰路に就く人々は足早に通りを過ぎていく。
 冬の夜、しかも雨。
 寒さに輪を掛けたような状況では帰りを急ぐのも無理はない。数多のサラリーマンに同情の念を送りつつ、人の波をかき分けるようにして進んだ。
 
 灰色に濁った雲は天蓋のように空を覆っている。
 しめやかに語らい合う女性たちの声。
 車道を埋め尽くす赤いテールランプ。
 雨に滲んだ街灯は橙のやわらかな光をアスファルトに投げかけている。
 一つ一つがドーム状に閉ざされた空間に跳ね返り、反響し、街は曖昧な音と光に満ちていた。

『小説とは、自分の中から膿をしぼりだす作業だ』
 先ほど読んだ本の一節が頭に浮かぶ。
 仮に作家がそうであるならば、他の人々はどうやって膿を搾り出すのだろうか。
 自身の苦しみに向き合い、憎しみを反芻し、それを作品へと昇華する。どう考えてもマゾヒストの所業。到底真似できる気はしなかった。きっと多くの人々は苦い記憶や感情に真正面から対峙するなんてことはせず、その傷が時間によって癒やされるまでそっと目を逸らすのだろう。少なくとも私はそうだ。
 
 一片の益にもならぬことをつらつらと考えていると、いつの間にか書店に着いた。無事に新刊を手に入れて店を出ると、雨は小止みになっていた。
 
 本が濡れてしまわぬよう家路を急ぐ最中、頭の中は新たな物語との出会いに、そして文章という芸術への期待でいっぱいだった。
 こういう生活が続けばいいと思った。

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