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2024/05/18 光屑と翡翠

暑い。
時刻は午後1時。
5月も半ばを過ぎると、東京はすっかり夏の顔だ。気温は29℃を示しており、季節は着実に真夏へと近づいていた。

私は街を歩いていた。
土曜なので人が多かった。
私は自己中心的な思考回路を自負しているので、なぜ折角の休日にこんな人混みの中を歩かなければならないのかとふんふん憤っていた。私以外の人間(店員を除く)は、私が外出する日は家にいるべきであって、私の通行を妨げるべきではない。混雑によって私の気分を害するべきではない。私に限らず、恐らくは皆同じようなことを考えているのだろう。つくづく人間という生き物の身勝手さには笑える。

都会の街並みを抜け、ある程度緑豊かな公園に辿り着く。私の目的は公園にあった。しかし休日の公園はやはり賑やかで、おまけに暑い。噴き出た汗が背中を伝う。家族連れやカップルが芝生に寝転びはしゃぐ側を般若の形相で駆け抜け池へと向かった。

この公園には池があり、「カワセミ」というブッポウソウ目カワセミ科の鳥が生息している。私はその定期観察のために公園を訪れていた。青く美しい構造色を持つ彼らは目にも楽しく、その涼やかさは暑さを和らげてくれる。

※今年1月に撮影した際のカワセミ

カワセミは昔「翡翠」と呼ばれていた。宝石の「翡翠」というのはこのカワセミの名前を借りたもので、もともと翡翠とはカワセミを指す言葉であった。

閑話休題。

観察を終え公園を抜ける。
川沿いを下り、そのままふらふらと行く宛もなく歩き出した。日は長く、太陽はしばらく沈みそうにない。私は夏らしい写真を撮ろうと思い立った。
行く先々の景色、風景に潜む夏らしさを片っ端から拾い集める。高架下に反射する水光の網。影と水とのグラデーション。乾いた爽やかさ。朽ち木の沈痛な青。


色彩こそが全てだった。
楽しくて美しくて、時間を忘れて光に浸っていた。自分の美学に触れている時、私は最も強い幸福を、歓喜を、恍惚を感じる。それは何ものにも代え難い尊い時間だった。

ようやく満足して帰路に着く頃、日は傾いていた。
最近とんとご無沙汰だったスナップ写真を再開するのも悪くない。いい一日だった。

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