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家族の高齢者施設入所は悪いことではない話

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定期的に高齢のご家族の方の入所について議論が発生することがあります

施設に入れて申し訳ない

施設に入れられるかもしれない

家族に介護してもらうから

施設に入ってもらえない

様々な声が聞かれます

日本社会は「家族介護」がまるで「いいもの」として扱われてきた歴史があります

その昔某亀井何某議員も「子どもが面倒を見ることが親子の美徳」などと発言しています

今、そんなこと口が裂けても言えません まぁ昔も大いに批判があったと思いますが…

そもそも「施設入所」自体、「悪いこと」ではないのです

「施設に入れられる」とまるで施設が「悪いもの」というニュアンスで語られることも多いのですが

働いている人の努力や経験、技術、錬磨、れっきとした「仕事」なのに、そういう「風評」をたてられるのは心外
なのではないでしょうか

現場を見るとやはり、家族が親の介護を行うことは現代社会において「現実的ではない」のです

実家から離れている子どもが自身の生活を捨てて実家にもどり介護を行う

お互い高齢になった親子、夫と妻がどちらかの一方の介護を行う

どれも一方への負担が重すぎるのです

こういった状況にある要因の一端は

「自分の介護は子にしてもらおう」

という考えの人がいることにあるとも思っています

これはものすごい他責思考で

「自分の面倒は自分でみる」

とは逆の思考です

しかし、これが許されると思っている人が一定数いるのです

また、「他人に介護をさせるのは申し訳ない」という考えの人もいます

しかし、これは「身内であれば介護させていい」という思考の裏返しでもあります

家族とはいえ他人なのです

他人の時間を奪う行為を「家族」という言葉で平然と行わせることはやはり良くないのです

「美徳」としてはいけないのです

これは子どもは頭を悩ませる問題ではなく、「介護を受ける側」が真剣に考えなければならない問題なのです

今の自宅をどうするか

自分のモノをどうするか

どこの施設に入れるか

夫婦で入るのか

施設に空きがあるのか

そういったことを「動けるうちに考え実行する」ことが「当事者」に必要なのではないでしょうか

もちろんこれは「見捨てている」わけではありません

手助けならできることはいくらでもあります 他者を頼ることも悪いことではありません

しかし、高齢で認知、身体機能が落ちて、話し合いもできなくなった時に

「他人に迷惑をかけたくないから施設に入りたくない」

「自分一人でもできる」

といった形で家族全体に大きな負担をかけることになれば、それは当事者が「見捨てられた」と思ってしまうような
「入所」になってしまいます

「終活」という言葉が生まれたように、「自分の人生にどう幕を下ろすか」は人生の課題になります

それを「他者に任せる」という思考をそろそろ捨てなければならないのではないか

と私は思うのです

以上になります
これからも少しづつ投稿していけたらと思っています
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