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「愛される障害者を目指す」のではなく、「やることやったら愛されている」ことが大切な話

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note マップ – おがさんの絵本 (ogasan-ehon.com)

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Xでフォロワーの方々が話をしていたので、私もこのことについて意見を書き出していきたいと思います

フォロワーさんは別の意図で言われていたと思いますが、そこからの派生した話で

「障害を持っている方は愛される人になったほうがいい」というものです

福祉の世界もよく言われることですし、よく見かけます

フォロワーさんの意見は全て頷きますし、全面的に同意します



私は

障害、健常問わず、誰でも

「愛される人にはなったほうがいい」

しかし

「やってもらう、愛されることを目的にしてはいけない」

そして

「この行動でやってもらう、愛されていると誤学習してはいけない」

という考えを持っています



お子さんの支援の現場で、例えば

・年下のお子さんが靴を履いているのを年上のお子さんが手助けをしている

・できる子ができない子の手助けをしている

こういった光景はよく目にします

はた目からみるととても微笑ましい光景で、それこそ「人間の優しさ」とほめたたえ、美談にしてしまいそうになりそうです

しかし、障害や特性、そういったものが背景にあれば、

・本人が時間をかければできること、学ばなければならないことを他者がやって奪ってしまっている

・本人は「やってもらえればいい」という誤学習をし、それ以降は自分でやらずに他者にそれを求める

ということにつながっていきます

お子さんならなおさら、外見や小さい体形などで他者の「お世話したくなる気持ち」を高めるものです
そこも話をややこしくする原因でもあるのですが

「他者を頼る」ことに対してはお願いの仕方、そのレパートリーは多いほどいいと思います

それは別にいいのです。他者に助けを求めるスキルはとても大切ですし、他者に嫌がられない方法をとれることも必要です

しかし、それは「自分ができること」「自分が困った時」が前提で、

「他者にお願いすればなんでもやってもらえる」という学習は避けなければなりません

経験上、「どこかでこの子が気づいて自分からやってくれる」という希望的観測での支援は失敗します

ずっとお願いをしてしまう可能性もあり、場合によっては成人までその行動をとり続けることまで視野に入れる必要もあるのです

そういった状況の中で「愛されるための方法なるもの」を支援者側から伝えることはあまりにリスキーです

「できることはできるようになる」ことで他者に愛されるのだと思いますし、そうでなければそういう環境を整えなければならないのではないでしょうか

「愛される人は得をする、人に助けてもらえる」は確かにそういう側面もあるかもしれません

その人の生き方はその人が決めればいいのです

それゆえに

「人に助けてもらえる、得ができるから愛されるためのスキルを身につけよう」

を他者から押し付けられるのは筋違いだと考えます

以上になります
これからも少しづつ投稿していけたらと思っています
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