ヒロチタ

不当保護サレ児相から4ヶ月で奪還経緯あり/不倫からの連れ去りサレ/現在脳出血からの半身…

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不当保護サレ児相から4ヶ月で奪還経緯あり/不倫からの連れ去りサレ/現在脳出血からの半身麻痺で闘病中/Noいじめ/No虐待教育格差/貧困/しょうがい/家族🍊スマイリスト/子どもの笑顔と未来を守る/子どもが親から愛され続ける 共同養育社会を目指して /

最近の記事

七月17日(水)【日記】

7月16日(火曜)【昨日の日記】 今、ほんの今、悲しい知らせが届いた。野球部の一つ上の上級生の上嶋さんが今朝亡くなられたという訃報だ。むちゃくちゃ悔しいし、残念だ。もう数年間闘病生活をしてて白血病だったかな。そんなつらい闘病生活の最中に、私の息子が怪我をした時にお店に来てくれて、むっちゃ心配してくれたんだよね。もう10年も前のことになりますが。上嶋さんが元気に、むすこのことをきいてきてくれたときのかおを思い出して涙が止まらないです。また応援のスタンドで会えることを楽しみにして

    • ぼくと息子の命の戦い(2ヶ月目)

      27日は日◯病院で初の眼科受診だった。受診後の説明では、右に2箇所、左に1箇所の網膜内出血があるとのこと。このまま自然吸収されるから治療の必要はない、と説明された。7日とか30日とか期間はバラバラだったがそれぐらいで消えると言われていた眼底出血が2ヶ月経っても残っていることに多少の動揺はあったが、その話も虐待対策室や児相の嘘だったのかとさえ思えた。 『出血の大きさは小さくなっているのでしょうか?』 『紹介状もデータも来てないのでわかりませんが、現状ではそういうことです。』 『

      • 7月16日【ヒロチタのリハビリ日記】

        人の生き方なんてみんな違っていいじゃない。正解なんてないよ。人生いろんなことがあるしさ。その時その時でいろんなな選択肢もあるけどさ。その時その時を必死で生きて自分で選択してきたんなら後悔なんてないよ。その時決断した自分に誇りを持って。その時行動した自分を褒め称えて、また前に進んでいけばいいんじゃない。この道はどこに行くかもわからず、くねくねと曲がる遠回りの道かもしれないけど、この道を行くんだと選んだのなら信じて進むだけ。人のことなんて気にすることないさ。自分の人生を他の人に振

        • ぼくと息子の命の戦い

          記録 録 児童相談所との関わりの記録を 残しておく。 同じ境遇のひとの何かの お役に立てれば いいのだが。 僕は自営業だったため あらゆる予定を子供のことを優先して 行えたが、サラリーマンなら この記録のような月日の流れでは はいかないかなと思う。 3倍の期間はかかるのではないかと。 僕の件は当時、虐待の疑いで、保護し警察も介入したのに家庭に何も問題がなく、極めて早く家庭に子供が返された件として、児相の研修の際のケーススタディにもなっています。 [

        七月17日(水)【日記】

          親の離婚で引き離される子どもたち。

          数年前のブログをここnoteに再掲載していますので内容が少し古いことはご容赦くださいませ。 現在の日本の離婚は年間22万組、そのうち子供がいる家庭の離婚は13万件で、離婚によりパパやママと引き離された子供は22万人だと言われます。 そして離れて暮らしていても、子供が同居してない親と交流があるのは30%弱、15万以上の子供達が親の離婚によって、両親からの愛情を受け取ることのできない環境にいます。非嫡の子供も含めると、3〜4人に1人の子供が成人までに親との離別を経験し、両親か

          親の離婚で引き離される子どもたち。

          『連れ去り問題』

          数年前に書いたブログを再掲載していますので、内容は少し古いかもしれませんのでご容赦ください。 なぜ民法改正に向けて頑張ったのか、というぶふんですね。 連れ去り問題 ウィキペディアによると「連れ去り」とは親による子どもの拉致のことで、片方の親が子供を連れ去ること。「連れ去り」という表現に激しく反発する弁護士がいるが、英語のtaking awayに対応する一般的な日本語である。別居、里帰り、家出と区別する必要は必ずしもなく、日本では子の面会忌避や面会拒否、引き離しなど様々な言葉

          『連れ去り問題』

          連れ去り後(連れ去られ後)に1番大事なこと

          生きてこそ❗️ 連れ去りにあった非同居親は、嘆き苦しみ、泣きながら、時には精神的に参ってしまい薬に頼りながらも、進むべき道を決めなくてはいけません。 引きこもりになる人もいます。愛する子供との未来が描けずに自死を選択する人も少なくありません。 厚労省の自殺対策白書によると配偶者がいる(又はいた)男女の自殺の割合は、父親が母親の約3倍あり、離別による父親自殺は有配偶者父親の6倍です。(母親の離別による自殺は3倍) 仮に自殺者(父母)100人いたら、66人は父親でそのうち

          連れ去り後(連れ去られ後)に1番大事なこと

          離れて暮らす我が子とともに

          数年前にアメブロでやっていたブログをここnoteにも残しておきたいと思います。なので内容は少し古いです。 然の我が子を連れ去り引き離された親が集まって「連れ去られた親のためのポータブルサイト」が立ち上がりました。(2018/1/18) 藁をも掴む思いで 我が子と手を繋ぐ為に。 是非被害者に会われた方は 申請をお願いします。 (匿名で申請できます) 生々しい被害者の数の力で 何かが変わるかもしれません! なにもかも奪われても 「希望」だけは捨ててはいけません。 「希望」は自分が

          離れて暮らす我が子とともに

          7月15日(月)【日記】

          7月15日(月)【日記】 昨日の母校の第3回戦は11-2で勝ち上がって楽しみが先に繋がった。楽しみといえば、親父たちの野球大会「40年会野球大会ワンデートーナメント」のお知らせが来ているが、9月15日だから、まだちょっと無理だろうなぁ。やっと杖をついて歩ける程度じゃ野球なんてできないよなぁ。いきたいけどなぁ。運転もできないから、行くにしても足もない。あときになるのが、昨年倒れた時に着ていたユニホームはどこにあるのだろううかといあこと。脱がす時にハサミで切っていたとかのはなし

          7月15日(月)【日記】

          7月12日(日曜日)【日記】

          ぼくはいま、高齢者住宅で暮らしている。脳出血で入院ししていた時は、世田谷区の病院だだたのだが、退院時に、実家のある世田谷区の施設や都内の施設を希望したものの、空きがなくて、松戸市の高齢者住宅に住むことになり、そこで一人暮らしをしている。 一部屋5条程度の広さの部屋に介護ベットがある。 シェアハウスのような作りで、同じフロアには多くの高齢者が住んでいる。その半分くらいの人は認知症のようで、通常の感覚でいるとこっちまで頭がおかしくなりそうだ。 サッまで、三軒さきのお婆さんがずっと

          7月12日(日曜日)【日記】

          子供の権利条約を守る会の紹介

          子どもの権利条約(9条=親子不分離の原則)を守る会 「親子の絆が守られる社会へ」 前回のオレンジパレードからついに数えること第3回になりました。 初回のオレンジパレードからほぼ1年が経過いたしました。 今回は初の大阪開催となります。 皆様のご協力をお待ち申し上げております。 [わたしたちについて] わたしたちは、2020年9月21日に第3回ウォーキングフェス『オレンジパレード 親子の絆が守られる社会へ』を大阪にて開催する「子どもの権利条約9条を守る会」です。 子どもの権利

          子供の権利条約を守る会の紹介

          ぼくと息子の命の戦い(後半まとめ)

          27日は日◯病院で初の眼科受診だった。受診後の説明では、右に2箇所、左に1箇所の網膜内出血があるとのこと。このまま自然吸収されるから治療の必要はない、と説明された。7日とか30日とか期間はバラバラだったがそれぐらいで消えると言われていた眼底出血が2ヶ月経っても残っていることに多少の動揺はあったが、その話も虐待対策室や児相の嘘だったのかとさえ思えた。 『出血の大きさは小さくなっているのでしょうか?』 『紹介状もデータも来てないのでわかりませんが、現状ではそういうことです。』 『

          ぼくと息子の命の戦い(後半まとめ)

          ぼくと息子の命の戦い(序盤まとめ「信じること」〕

          4年半前の息子のことを 書いて行きたいと思います。 というか、 その時に私が書いた手記です。 当時、息子は生後7ヶ月。 今も鮮明にその時のことは 頭から離れません。 すごく長いので、 8回くらいに分けて 載せますが、 それでも一回分も長いです。 息子の怪我から始まった 児童相談所との関わりの話です。 載せていいのか 悩みますが、 真実の物語を残して おきたいと思います。 最初は、息子の怪我の話です。 --------------- 「信じること、愛すること」 第一章 緊

          ぼくと息子の命の戦い(序盤まとめ「信じること」〕

          ぼくと息子の命の戦い

          第 七章 507日 それから私達家族は穏やかな気持ちでヒロと過ごすことが出来た。まだ、完全に取り戻していないし、自宅に帰ってきてもその名目は「長期外泊」だ。煮え切らない気持ちは残るものの、1ヶ月前2ヶ月前を思えば大した事はない。 7月1日には、初の院外外出で有栖川公園に行った。面会時間は2時間弱しかなくて公園までの往復で時間を取られ、公園にいる時間はわずかしかないのだが、それでもヒロとチィとママと3ヶ月ぶりに一緒に過ごす公園は格別なものだった。ヒロも久しぶりの公園、池を見

          ぼくと息子の命の戦い

          ぼくた息子の命の戦い

          第五章 希望 30日ぶりの面会が終わると、話があるということで私とママはそのまま残され、児童相談所の三枝(仮名)、小村(仮名)と面談した。 『あの、ヒロ君のですね、退院の日時が5月2日に決まりましたのでお知らせします。』 『本当ですか、退院出来ることになったんですか。本当ですか、ああ良かった。』 すると保育士の小村が委託先の乳児院が印刷された紙を見せながら説明した。 『退院した後はですね、いろいろ探したんですがやはり病院が付いてる乳児院がいいと思いまして、お父さんもお母さん

          ぼくた息子の命の戦い

          ぼくと息子の命の戦い

          第五章 希望 30日ぶりの面会が終わると、話があるということで私とママはそのまま残され、児童相談所の三枝(仮名)、小村(仮名)と面談した。 『あの、ヒロ君のですね、退院の日時が5月2日に決まりましたのでお知らせします。』 『本当ですか、退院出来ることになったんですか。本当ですか、ああ良かった。』 すると保育士の小村が委託先の乳児院が印刷された紙を見せながら説明した。 『退院した後はですね、いろいろ探したんですがやはり病院が付いてる乳児院がいいと思いまして、お父さんもお母さん

          ぼくと息子の命の戦い