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ぼくと息子の命の戦い(序盤まとめ「信じること」〕

4年半前の息子のことを
書いて行きたいと思います。
というか、
その時に私が書いた手記です。
当時、息子は生後7ヶ月。
今も鮮明にその時のことは
頭から離れません。
すごく長いので、
8回くらいに分けて
載せますが、
それでも一回分も長いです。

息子の怪我から始まった
児童相談所との関わりの話です。

載せていいのか
悩みますが、
真実の物語を残して
おきたいと思います。

最初は、息子の怪我の話です。
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「信じること、愛すること」
第一章 緊急手術
2013年3月25日
『ヒロ(仮)の様子がおかしいよ!』
『どうした、おばあちゃん。』
『さっきご飯を食べたらすぐ戻しちゃったし、今もなんか目が虚ろで怠そうにしているよ。病院に行ってちゃんと診てもらった方がいいんじゃないの。』
都内なのに田舎のような街で、小さなイタリアンレストランを営業している私の店の電話に、私の母から電話があったのが夜の9時半過ぎのことだった。
自営業の店の経営は余裕もなく、アルバイトもギリギリの少人数で営業し、盆と正月以外はほとんど休まずにママ(妻)と夫婦で営業している。その為、電車で30分の距離に住んでいるおばあちゃん(私の母)に、毎日のように幼い2人の子供の子守りをお願いしていたのだが、この日の夜のヒロの様子がおかしいので店に電話してきたのだ。とは、生後7ヶ月半の我が息子で、野球好きの私達から8月9日の野球(89)の日に授かった溺愛する息子、その3歳上にはこれまた溺愛する娘のチィ(仮)がいる。
そのヒロは昼間、私と2人で自宅にいる時につかまり立ちをしようとして転んでしまった。自宅のその部屋は畳の上に絨毯が敷いてあるのだが、運の悪い事に転んだ場所が部屋とキッチンの間で、敷居の硬い木の部分に頭を打ってしまった。一瞬大泣きし、すぐに目がうつろになり左手が硬直した。しかしすぐに意識は正常に戻り、また大泣きをした。なるべく動かさないように体を摩り「ヒロ、ヒロ。大丈夫、大丈夫。」と声をかけていた。しばらくすると泣き止んでいつもと変わらぬ普通の顔で眠りについた。そのため、その時は病院に行かずに様子を見ていた。夕方、子守りの為に来たおばあちゃんにその事を説明して、ヒロに少しでもおかしなところがあったら電話をかけるようにお願いして私は店に向かったのだ。
『ちゃんと検査してもらったほうがいいよ!大事にならないうちにさ。』
電話口のおばあちゃんは心配した口調で強く受診を訴えた。
息子は生後6ヶ月の2月半ばにはつかまり立ちをするようになり、その早さに「なんて運動神経がいい子だろう。将来はプロ野球選手間違いないね!」などと言ってママと喜んでいたが、それは同時に転ぶ危険性も高まるということだった。

『わかった、お店を閉めてすぐに救急病院に行くよ!すぐ戻るから少し待っていて。』
ママと慌ててお店を飛び出して家に戻りながら、受け入れてくれる救急病院を探した。いくつか電話した後、国立成◯医療センターが救急で受け入れてくれることとなった。

夜11時時頃、国立成◯医療センターに到着した。ここは日本で5番目のナショナルセンターで国内最大規模の小児病院であり、子供に関しては先進的な治療と研究を行う日本で唯一の病院だ。そんな病院が受け入れてくれたことに多少の安堵があった。
病院に着いて受付を済ませると、1時間ほど待たされてから診療室に通され、救急の当直の先生に 今日あった出来事を説明した。
『とにかく転んで頭を打ったのでとても心配しています。最近の息子の調子も優れない事が多かったので、CTなどの精密な検査もお願いしたいのですが、』
『今見た限りでは特に問題なさそうですよ。幼児の場合はあまりCTとかも良くありませんからね。様子を見て今後も異変があるようならその時に、』
その時のヒロはニコニコしながら機材を触ろうとしたり声を出したりして正常な状態だった為、先生は「しばらく様子見」という話をしたのだろう。しかし私は先生になんとか食い下がって精密検査のお願いをし続けた。なぜならこの1ヶ月で2回病院の診断を受け、その都度同じ言葉を言われていたからだ。
1ヶ月前の2月下旬の頻繁につかまり立ちをしようとする時期の事、どことなく元気がない大輝にミルクを与えると勢いよく吐いてしまうことがあった。すぐに近所の子供クリニックへ向かい受診させた。このクリニックは長女のチィが喘息の一歩手前の気管支炎で何度も通院していて、信頼関係のある圭子先生(仮名)がいる。なんでもズバズバ言ってくれる先生で、チィの時も『こりゃあ、やばいよ!お母さん、もっと早く来なきゃダメだよ!』とか『悪くなるようなら、何時でもいいからおいでよ!』とか、『うん、大丈夫!そんな悪くないよ。早めに来て良かったね!』とか大きな声と男っぽい言葉でハキハキ言ってくる。そんな先生が、その時の大輝の診断の時では『うーん、ミルク吐く前に食べたミカンの酸味が原因かなぁ、様子を見てまたなんかあったらおいで。』と少しお茶を濁したような表現。
その2週間後の3月14日、夜深い時間に大輝が勢いよく何回か吐いて目も虚ろだったこともあり、心配になって夜間の国立育◯医療センターを訪れた。そして診断の結果「風邪のひき始め」と言われ様子を見ることとなった。
その2回の受診で先生に言われるがまま帰ってきたのは、大輝の症状について原因となる事に何も思い当たる節がなかった為である。特に転んだわけでもないし、頭を打ったわけでもないし、ましてや揺さぶったり故意に叩いたりなどしていない。なんか調子が優れないね、程度に考えていた。しかし、3回目の3月25日は、その昼に転んで頭を打っていることから、様子見と言われても引き下がらなかった。前日までママの実家にいた時も、ゴロンと転んで頭を打って泣いたとか、ミルクを吐いたという話も聞いていた。
とにかく心配で、CTとかMRIとかできる検査はやって欲しいとお願いし続けた。
検査に否定的だった先生も、私達の必死さに押されたのか、検査をしていただくことになった。それが夜中の1時頃の話だ。

しばらくするとCT検査の結果が出た。当直の先生とは別のN先生が来て検査結果を説明された。そして頭の中に軽い出血があることが判明した。私は妻と顔を見合わせながら少しの間は何も話せなくなった。
N先生の説明は、
『出血はありますがごく軽い出血ですね。少し前の血腫もあります。脳も圧迫されてない。CTは時間を開けないと撮れないので、また3時間後に撮影して出血部分が広がってなければ大丈夫でしょう』と。
それから私達夫婦は、次々と質問をした。
『原因は?』
『どの部分からの出血なのか?』
『脳への影響は?』
『後遺症は?』
もっとたくさん質問したのだがはっきりとは覚えていない。
その時の先生の話をまとめると、「1回目のCT画像を見る限り脳も圧迫してないし、出血量も少なく2回目の検査で出血が増えてなければ後遺症の心配はない。その場合は手術をしなくても自然に血腫が吸収されていく。しかし出血量の増加や新たな出血が見つかった場合は危険な状態なのでその画像を見て処置を決める。」ということだった。
私達は息子の状態を心配しながら2回目の検査を待った。

3時間待つ深夜の薄暗い病院の待合室はそれだけで気分が暗くなる。しかし私達の気持ちを癒すように、4才になるチィが全く寝る様子もなく長椅子を渡り歩いては絵本を見つけてニコニコしている。そして時々「ヒロくん、大丈夫かなあ。」と幼いチィがヒロを心配している。私達家族以外は誰もいない真っ暗な広い待合室で3時間を過ごした。

朝の4時を過ぎた頃、2回目のCT検査が始まった。もうすっかり寝てしまったチィを抱きながら、私達は祈りながら見守った。
検査が終わり、しばらくしてN先生に呼ばれた。画像を見せられながらの説明だった。
『大丈夫ですね。出血は広がっていません。これなら、しばらくすれば血腫は吸収されると思います。』
あぁ、良かった。
『後遺症とか残る可能性はありますか?』
『今の段階ではなんとも言えないのですが、圧迫もないし、大丈夫だと思います。』
とN先生は穏やかに話した。
『ああ、良かった。な、ママ。』
『うん、大事じゃなくて本当良かった。』
私達は早めに病院に来た事や検査を執拗にお願いしたことも含めて「良かった」と言いあった。もちろんそれでも大輝が怪我をしていることには違いない。大きな不安の中での小さな「良かった」ではある。
『でも念のために色々検査しますので、このままICU(集中治療室)に入院していただくこととなります。』
『わかりました。ずっと一緒に居ることは出来るのですか?』
『いや、一緒には居られないので、一旦帰ってもらったほうがいいと思います。』
そんなやりとりがあり、さらには力尽きて寝てしまっている千咲の保育園の送りもあるので、朝の6時前には病院から帰ることとなった。
病院の窓から外を覗くとすでに明るくなり始めている。ビルの間から太陽が覗き、辺りの空を真っ赤に染めていた。何故かその光が希望の光に見えた。大丈夫、大丈夫、ヒロ頑張れよ!
この時見た朝焼けに願いを込めた。

3月26日
朝9時前に娘を保育園に送り届けた後、店のランチ営業は臨時休業にしてすぐにママと成◯医療センターに向かった。
ICUにいる幼いヒロは、大きな大人用のベッドに拘束バンドで縛り付けられていて、点滴の管や人口呼吸器が繋がれている。その姿を見た瞬間、わっと涙が溢れてきた。
しかし、先生からの説明によるとICUに来てからも危険性はなく落ち着いているとのこと。強いて挙げれば貧血の数値が悪いので最悪の輸血の可能性も考えられるとの話だった。こんなに小さいのに輸血なんて、と多少なりにもショックを受けた。輸血となれば今後献血も出来ないし、輸血による他の病気のリスクも考えられたからだ。
その日しばらくヒロの側にいたが、麻酔が効いているのかずっと眠ったままだった。ヒロが一人きりなのも可哀想なので、病院の地下にある売店に行って、起きた時に遊べるであろう玩具と、ヒロに似た顔をしたロボットの人形を買ってベッド側に置いてあげた。
『ほらヒロ、お友達が来たよ、一緒に頑張ってね。』
そしてしばらくママと代わる代わる大輝の手を握りしめた。
その後は心電図や点滴の処置はあるが、他に主だった検査もなく医師の説明も今日はないということだった。大輝はICUでしっかり管理されていて、拘束バンドで体も固定され身動きできない状態だ。病状の悪化はないだろうと考えこの日は帰ることにした。
『じゃあね、また明日来るからね。早く元気になってね。』

3月27日
取り敢えずは最悪の心配はなくなったと考えた私達は、この日のランチタイムは営業し、その後に病院に面会に行くことにした。
ノンナ(義母)とユウ(義弟)も心配してくれて病院に面会に来てくれるとの連絡を受けたので、病院で午後の3時に落ち合う約束をした。ノンナとはママの母のことそう呼んでいる。ママにはノンナの上に90才近い大おじいちゃんと大おばあちゃんも健在だ。だからチィとヒロにはおじいちゃんとおばあちゃんが合わせて六人いる。そこで私の両親を「おじいちゃん・おばあちゃん」ママの両親を「ノンノ・ノンナ」ママの祖父母を「大おじいちゃん・大おばあちゃん」と呼ぶようになっている。ちなみに「ノンノ・ノンナ」とはイタリア語で「祖父・祖母」の意味だ。
ノンナと義弟を迎えるため先に病院に行っているママから、ランチの営業を終えて病院に向かう途中の私の携帯に連絡があった。
『あ、パパ。今どこ?』
『もう着くよ。』
『ヒロね、ICUじゃなくて一般病棟に移ったらしいから、そっちに来てね。西館の入り口入って、、』
『うん、わかった、すぐ行きます。』
一般病棟の受け付けの前まで行くと丁度ママ達がいた。
『なんで病棟移動なの?』
ママに聞いた。
『わからないけど、ICUに行ったら状態が安定しているから朝移動しましたよ、って言われて、今こっちに来たところなの。』
とママ。そして4名揃ってヒロのいる一般病棟に向かった。
ヒロは入り口からすぐの4人部屋の一番奥に1人で寝ていた。ベッドの周りには看護師など誰もいない。ただ、医師や看護師のステーションがその部屋の目の前にあり、何かあってもすぐに対処出来るのではないかと想像された。
『ヒロ~。』
『ヒロくーん!』
ベッドの前に行くとみんなヒロに呼びかけた。ヒロは、目覚めて間もない目を開けて私達の方を向いた。ヒロの元気そうな姿を見て、みんな笑いながらも涙が溢れそうになっていた。
『良かったね~。大事にならなくて。』
『早く元気になってね。』
そう言いながらヒロを見ると昨日まで付けていた拘束バンドもなく呼吸器もない。点滴だけは付けていたが、自由に動き回れる状態になっていた。
『もうこんな元気になったんだね。』
『でも、こんなに動ける状態で大丈夫なのか、もう。』
ママへそう話した。そこへ一般病棟の担当医師と看護師が来て挨拶を交わした。
『いつ此処に移動したのですか?』
『状態が安定しているとのことで、午前中にはこちらに移りました。』
『昨日はICUで拘束バンドとかしていたのですが、もう大丈夫なんですか?』
医師に聞いた。
『状態が安定しているので、特に問題ありませんよ。』
『貧血が酷くて輸血もって話もあったのですが大丈夫なのでしょうか?』
『確かに貧血ぎみではありますけど、輸血が必要な状態ではありません。』
『新たな出血とか他には問題はないのですか?』
『特に問題ないので一般病棟に移させてもらいました。』
良かったね、と皆が安心した。
到着から10分も経たないうちには先生の挨拶と説明が終わり、先生や看護師が部屋から出て行った。そして皆なでヒロを囲んで愛くるしい顔を見ていた。私の横にいたママがベッドの柵まで近好いて呼びかけた。
『ヒロくん、、』
すると嬉しそうにヒロがママに近ずいて来る。ママも嬉しくて手を差し伸べようとする。ヒロが柵に手をかけてつかまり立ちをしようとした。
『だめー!』
私はつい声を出してしまった。私の目の前でつかまり立ちをしようとして頭を打った時のヒロの顔が強烈に頭にこびりついていたからだと思う。
その瞬間、ヒロの一歩出した足に力が入らなかったのか、よろけてベッドの柵に頭を軽くコツンと打った。本当に軽くコツンと。
『うわぁ~ん!あぁ~ん!』
見る見るうちに顔を真っ赤にして大泣きした。しかしすぐに泣き止み、体が硬直して白目をむいて痙攣し始めた。
『ヒロー、ヒロー、』
『すいませーん!すいませーん!』
近くにいるはずの先生や看護師を呼んでも誰も来ない。その間もヒロは痙攣している。私は大ヒロの体を優しく摩り、ママはすぐに部屋を飛び出して誰でもいいから病院の職員を呼んだ。
『すいません!すぐ来てください!様子がおかしいんです!』
目の前には数人の医者らしき人がいたが、忙しそうにパソコンを操作していた。少し遠くにいた医者がやっと気付いてくれた。そして、すぐに他の先生や看護師を呼び5~6人でヒロを囲みながらカーテンを閉めて処置が開始された。慌ただしく医師が出たり入ったりして色々な機材が運び込まれた。
部屋から出された私達は、カーテン越しにごそごそ動く先生方の処置を心配そうに見つめながら、頭の中が混乱していた。
『だからダメって言ったのに!』
意味もなくママを責めてしまった。
『何もしてないよ。近ずいてきただけ。』
『起き上がろうとした時に、押さえないと!』
『え、だって動いても大丈夫なようになっていたし、、』
細心の注意をしなきゃいけないと言いたかったのだが、ヒロが嬉しそうに近ずいた時のママの気持ちもわかる。ママは何も悪いことをしてない。
しばらく緊迫した感じのカーテンの中から1人の先生が出てきた。
『えーと、血圧もかなり低下していて、脈も不安定、自発呼吸もできない状態でしたが、今は落ち着き始めました。』
自発呼吸出来ないって、、頭を撃ち抜かれたような衝撃的な言葉だった。
『もう少し安定してからCTを撮ってみないと何とも言えない状態です。』
『すぐには出来ないんですか!今の状態はどうなんですか!このままで大丈夫なんですか!』
泣きそうになるのを堪えながら聞いた。
『一応今は薬で状態は保たれています。ただもう少し安定しないと、そうですね、今すぐにはちょっと、1時間後くらいになると思います。』
ほんのちょっと前に笑顔で動いていたヒロが、一瞬で危険な状態になっていた。今すぐ助けてほしい。なんですぐ出来ないのか!叫びそうな声を飲み込んで冷静になろうと努めた。
そしてヒロはストレッチャーに乗せられ別の処置室に移動していった。
私達家族はしばらく待たされる事となったが、誰も見てないベッドに自由に動き回れる状態で寝かされていた事や、急変した時に先生を呼んでもしばらく誰も来なかった事などに不満を漏らしていた。しかしそんなことよりもヒロの状態が心配で、祈るような気持ちで先生が来るのを待った。

1時間くらい間が空くので、その間に保育園に行っているチィのお迎えに車を飛ばした。何時までかかるかわからないし、ここから保育園までは往復で1時間もかからない。
お迎えに行くと何も知らないチィがニコニコしながら聞いてくる。
『ヒロくんの所に行くの?』
『そうだよ。ヒロくん今病院で頑張ってるんだよ。』
『ママは?』
『ママも病院にいるよ。あとノンナもいるよ。』
『やった!』
無邪気に笑うチィを見てまた涙が出てくる。
成◯医療センターの駐車場に戻った時にノンナから電話があった。先生がCTを撮った後の説明に来たらしい。
『あ、◯◯さん(私の名前)、今先生から話があって、かなりの量の脳内出血が認められるから準備が整い次第、手術をしたいと話があったの。ただ、脳外科の先生が現在手術中なのでそれが終わってからの手術になるって。』
『え!』
『今さっき、△△(ママの名前)と私が説明聞いたんだけど、◯◯さん(私)が戻ってきたらまた詳しく説明があるみたい。』
胸が張り裂けそうだった。
『あ、もう駐車場にいるのですぐ行きます。』
電話を切ってICUの待合室に急いで向かった。待合室に着くと泣きじゃくった顔でハンカチで顔を押さえながらママがいた。
『ねぇ、ママ、なんで泣いてるの?』
チィが無邪気に聞いてくる。間もなくカンファレンス室に呼ばれた。その時にはノンノ(義父)も仕事を切り上げてそこに来てくれていた。私とママとノンノで先生の説明を聞いた。

撮影したCT画像をパソコンで開くと、昨日とは全く違う画像が表示された。一目でわかるほど脳が歪んでいる。
『うわぁ、、』
『見て頂くとわかるんですが、この右側の部分ですね、出血が広がって脳を押しています。』
『・・・』
無言で頷いた。
『この出血がさらに広がって脳を圧迫する程にダメージが大きくなります。早急な手術で血腫を抜く事が必要です。』
先生は術式や開頭部分、輸血、感染症、術後の合併症など色々な事を説明してくれたが、あまり覚えていない。
『この中心にあるのが脳幹といいますが、ここが圧迫された場合は命の危険もあります。』
『え!そんな。今は、今の脳幹の状態はどうなんですか。』
『まだそんなに圧迫しているようには見えませんが、出血が続くようならわかりません。』
衝撃的な「脳が歪んだ画像」と「命の危険」という言葉があまりにも強烈に突き刺さった。
病名、硬膜下血腫。右側に大きな血腫があり左側にも少し血腫がある。その右側の血腫に脳が押され大きく凹み脳の中心も左側にズレている。
『どうか助けてください!お願いします!』
『できる限りの事はします。』
『難しい手術なのでしょうか?幼児の同じような手術は結構あるのでしょうか?』
私はその手術が頻繁にあって失敗することはないという答えを期待して聞いた。
『そうですね、簡単とは言えませんが年間で20例くらいは同じ手術があります。』
『長時間かかったりするのでしょうか。』
『右側を大きく開頭して血腫を取り除くのに30分くらいですかね、手術も1時間、麻酔から覚めるのを含めると3時間くらいでで終わると思います。』
『わかりました。なんとか、、よろしくお願いします。』

なんとも言えない暗い気持ちで手術を待った。そして手術を待つ大輝の所へ2人つづ交代で面会をさせてもらった。ICUで管に繋がれた1才にも満たないヒロを初めて見るノンナは号泣しながら出てきた。ママもヒロの顔を見るのに耐えきれず待合室に戻った。言葉が出ない。
待っている間に数種類の同意書にサインした。サインをしてしばらくした頃、ICUから手術室に移動する時に私とママだけ付き添いが許された。
『ヒロ、頑張れよ!ヒロ、頑張れよ!』
何度も何度も話しかけながら手術室に繋がるエレベーターの前まで移動した。エレベーターに入っていくヒロを見ながら泣き崩れるママ。縁起が悪いかもしれないがもう会えない可能性まで考えながら、ヒロの意識にパパとママの声を刻んだ。
『頑張って、ヒロ、待ってるからね。待ってるから、頑張ってね!』

手術が始まった。
私達は待合室を無駄に歩いたり座ったり、慣れない場所で妙にハイテンションになっているチィをあやしたりしながらヒロが帰ってくるのを待った。
それから1時間が過ぎ、2時間が過ぎた。術前の説明では1時間くらいで終わると聞いていたので、その頃には執刀医の先生が終わって出てくると考えていたが全く気配がない。過ぎていく時間とともに心の中のざわざわしたものが大きくなっていく。
『遅いね。』
ポツリと呟く。
『片方の血腫が1時間って言っていたのかな。』
『両側だから2時間なのかな。』
そんなことを言いながらただひたすら待つしかなかった。
待合室には私達家族の他にも数名の人がいた。長椅子の端に置いた荷物を枕に疲れて眠る人の姿もあった。皆ICUで重度の病気や怪我と戦っている人の家族であろう。その待合室は重々しい空気に包まれていた。
私達家族も希望の言葉を発しながらもどんよりと重い空気に支配されていた。ただその中に娘のチィがいてくれた事はありがたいことだった。無邪気に走り回ったり、階段登ったり、自動販売機を悪戯したり、その姿は私達の心を癒してくれた。
手術開始から3時間に差し掛かろうとした頃には誰も口を開かなくなっていた。そして3時間半を過ぎた頃10メートル先のICUの入り口から執刀医の先生が出てきた。
『先生。』
私達は駆け寄った。
『終わりました。』
『手術は、、、?』
『はい、無事終わりました。』
『じゃあ、成功と、、、』
『はい、今出来る処置は全てやりました。まだ麻酔で眠っていますが問題はないでしょう。』
『良かった、本当良かった。』
『ありがとうございました。』
また皆んなで泣いた。
話を聞いている途中でICUの奥の手術室へ通じるエレベーターの方の廊下からカチャカチャと音がなり、ストレッチャーが通り過ぎていった。
『ヒロ君はまたICUに戻りますので、準備が出来ましたらお呼びしますね。』
そう言って先生は戻っていった。

『本当に良かったねえ。』
『本当良かった。』
『ヒロくん頑張ったね。』
『うん、本当良かった。』
さっきまでの重苦しい雰囲気とは別の空気が流れて始めた。
普段は神頼みなどあまりしないのに、たくさんたくさんお祈りしたので、何度もお礼を言った。
神様本当にありがとうございました。ご先祖様、見守ってくれてありがとうございました。
万が一も考えてくださいと言われた手術は大成功に終わった。

そして準備も整い二人ずつ順番にヒロに会いにいった。
『ヒロくん、頑張ったね!強いね!ありがとうね。』
麻酔が効いているから眠っている。その寝顔は透き通るかのように白く、とても美しく神々しく見えた。頭の手術なので頭髪は全て剃ってあって、包帯やテープに包まれた顔が痛々しくもあったが、とにかく美しかった。可愛かった。愛おしかった。ピンクの毛布に包まれて手や足には心電図やら脈拍の線が取り付けられて口には人口呼吸器が付けられている姿を見ると涙が止まらなくなった。
『こんなに小さいのに、、、』
ママが小さく呟いた。
『うん、こんな経験しなくてもいいのに、、』
でもしかし、天使のような寝顔で生きている大輝がここにいる。
ただここにいるだけで、ただ生きていてくれるだけで幸せなことなんだ。そんな当たり前のことだけど忘れかけていたことを染み染み感じていた。

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