ぼくた息子の命の戦い

第五章 希望

30日ぶりの面会が終わると、話があるということで私とママはそのまま残され、児童相談所の三枝(仮名)、小村(仮名)と面談した。
『あの、ヒロ君のですね、退院の日時が5月2日に決まりましたのでお知らせします。』
『本当ですか、退院出来ることになったんですか。本当ですか、ああ良かった。』
すると保育士の小村が委託先の乳児院が印刷された紙を見せながら説明した。
『退院した後はですね、いろいろ探したんですがやはり病院が付いてる乳児院がいいと思いまして、お父さんもお母さんもヒロ君の病状を凄く心配なさってましたし、なのでちょっと遠いんですけど日◯医療センターの付属の乳児院に委託することにしました。』
『日まって◯◯にある病院ですか?』
『はい、そうです。』
ママと目を合わせて微笑んだ。
『良かった。ありがとうございます!乳児院って話があった時に少し調べたんですが、日◯の乳児院にならないかと願っていたんです。』

正直ホッとした。乳児院といってもいろいろあって、木造建ての汚い施設や閉鎖性の高い施設もあり、施設内虐待などが明らかになった施設も少なくない。しかも児童相談所から委託先の施設を教えられないことが多く、子供がどこの施設にいるのかも秘密にされて苦しんでいる家族も多く知っていた。施設入所の承諾書にサインしてからの気掛かりは、委託先の乳児院がどこに決まるのか、委託先の施設を教えてくれるのか、ということであった。
そんな中で日◯医療センター付属の乳児院に決まったという報告がされたことは私達を安心させた。

『つきましてはその日にご同行出来ますか?』
『え、いいのですか。もちろん、もちろん。』
今さっき初の面談が終わったばかりなのに、すぐにまたヒロに会える話になった。虐待対策の三枝は施設入所のサインが終わるといなくなり、福祉士の小村が対応するようになったからなのか。
『えっと、当日はここ(成◯医療センター)に来れば?それとも児童相談所ですか?』
『いえ、ヒロ君は児相の車で連れて行きますので、日◯の乳児院の入口で待っていて下さい。時間は11時でお願いします。』
『わかりました。よろしくお願いします。』

ママとの帰り道、乳児院が日◯になったことを喜んだ。
『今は最悪だけどさ、最悪の中でも面会も出来たしさ、乳児院も一番望んでいた所に決まったしさ、なんか一歩前進っていうか小さいけど光が見えてきたって感じだよな。』
『そうだね。まだまだどうなるかわからないけど、少しずつ、少しずつだね。まだまだ我慢だけどね。』
『本当なら在宅援助って形が目指すところだったけど、怪我の状態がどう変化するかもわからないしな。』
『病院が側にあった方が安心出来るって考えないとね。』
『そうだね、少しずつ、少しずつ。』

病院、警察署、児童相談所、弁護士事務所と駆けずり回った1ヶ月だった。営業するレストランも今までは年中無休で「いつ行っても営業している店」だったのに、度重なる臨時休業や営業時間変更で「いつ営業しているかわからない店」になり、売上と信用を大きく落としてしまった。
ママも私もげっそり痩せて疲弊していた。テレビや店で小さな子供を見るだけでも涙が出てくるようになった。私の右目もストレス性の中心性網膜症を発症して見えづらくなっていた。この1ヶ月間で心身ともに疲れ果てていた。しかしそれでも月の終わりに明日につながる光が差し込んできた。まだまだ頑張らなくては!そうして長く長く泣き続けた4月が終わった。

5月1日、ヒロが4月から登園するはずだった上北沢保育園の園長先生に、退院と乳児院入所の報告のお話をさせていただいた。ひと通り説明すると園長先生は涙を浮かべながらこう言った。
『辛かったですね。そんな理不尽な、、でも退院出来て本当に良かったですね。』
『もうすぐ帰ってくる可能性もありますので、その時はどうぞよろしくお願いします。登園が2ヶ月ないと入園取消処分になるので、それまでにはなんとか親元に取り返したいとは思っています。』
と話した。
『でも、変ですね。乳児院に入るのですよね。』
『はい、明日退院してそのまま乳児院に行きます。』
『乳児院と保育園の2箇所に在籍することは認められていないんですよ。』
『え、でも児童相談所の方が、しばらくは2箇所分の保育料がかかると言ってましたが、、』
『そんなことはあり得ません。』
『そうなんですか?そうしたらここの保育園の入園許可は取消になってしまうんですか?』
『本来ならそうなりますね。でも事情が事情なんで退園手続きはしばらくしないで、待ってますよ。』
『すいません。』
『それに児童相談所が介入して入園が有利になるとか、2ヶ月間の待機期間が延長されるってこともないです。』
『え、確かにそう言っていました。また嘘だったんですかね。でもそうなるとヒロを取り戻すための条件の「保育所への入所」が無くなってしまいます。保育園が決まってないから返せませんなんて事になりかねない。なんとか退園手続きをギリギリまで待って下さいませんか。』
必死でお願いした。
『でも特例でそういうこともある場合があるかもしれないので、区役所の生活支援課に聞いてみてはいかがです?』
『わかりました。そうしてみます。』

園長先生は時折涙ぐみながら、ヒロの事、児童相談所の事を聞いてくれた。
『あまり言っていいかわかりませんが、、保育園には虐待枠っていうのがあるんですよ。』
『虐待枠、、』
『どこの保育園にも1名~2名の虐待枠があって、そういう子供を受け入れているんです。虐待なんてね、お父さん絶対無いと言われているのにこう言う話はどうかとも思いますが、、、』
『いや、ありがとうございます。もし保育園の受け入れ先がどこにもない事で息子を返せないって話になるよりは、虐待枠だろうがなんだろうが入れるだけでいいです。先生その時はよろしくお願いします。』
『でも本当に酷いですね。頑張ってくださいね。ヒロ君が来ることを楽しみに待っていますから。』

話が終わってすぐに区役所の生活支援課に電話をかけて事情を説明した。
『本当に児童相談所がそう言ってるんですか?そんなことはありませんよ。』
電話に出た担当者からは、児相の口利きで有利になる事も、2ヶ月間の入園待機期間延長も、2箇所の施設に在籍する事も、全くあり得ないことだと言った。
『本当に児相がそう言ってるんですか?』
区役所の担当者は何度もこの言葉を繰り返した。

『ねえママ、やはり何にも信じられないね、児相は。嘘ばっかりだ。施設入所の承諾書にサインさせる為為に適当なことばかり言っていたんだな。』

もうその頃には児童相談所の言うことが信用出来ない事には慣れていた。例えそれを問い詰めてみても帰ってくる言葉も想像できる。平気で「そんなことは言ってません。」と嘘を言い切る組織だと感じていたからだ。

5月2日
いよいよ大ヒロの退院の日を迎えた。今までに度重なる嘘や予定の変更があったので、実際に来るまでは半信半疑でいた。しかし、取り巻く環境は非常に厳しく我慢の毎日だったが、37日前に命の危険もあると言われた手術から、今日退院という日を迎えられた事に感謝の気持ちもあった。

私とママはノンナと日◯医療センターの玄関で落ち合い、そのセンターの裏手にある乳児院に向かった。
しばらくして1台のバンが乳児院の前で止まった。
『あれかな。』
『来たか。』
すると中から全く知らない家族が出てきた。
『ああ、違ったね。』
私達は車が止まるたびに期待を膨らませながらヒロが来るのを待った。
そして4台目の車が止まり扉が開いた。そこには児童相談所の職員に抱っこされたヒロの姿があった。その姿を見た時は少し度惑った。チャイルドシートでもなく、ベビーカーでもなく、抱っこで来ることが出来るくらい回復しているのか。いや、なんかあったら危ないだろうが、、、
しかしすぐにそんな思いよりもヒロの顔を見たことに喜んだ。久しぶりの太陽の下で見るヒロだ。本当に退院できたんだ。
『来た、来た、ほらヒロだよ。』
私達家族が車に近づくと児童相談所の職員はヒロの抱っこの向きを変えてくれて私達が見える体制にしてくれた。
『ヒロ君!』
クリクリの目をしたヒロは呼びかけに反応するようにこっちを見た。
うん、ちゃんと耳も聞こえてる。

乳児院に入り、小さな会議室に通された。そしてそこの師長さん(看護師長)からの挨拶があった。ハキハキしているなかにもやわらかい表情で、いかにも頼りになりそうな感じの女性だ。そしてその後、その予感は当たった。
会議室に入ると、師長さんから乳児院に入所するにあたっての注意事項などを説明された。その時もヒロは児童相談所職員に抱っこされたままだった。それを見た師長さんが
『余り時間がないのだから、ママに抱っこさせてあげなさい。』
と児童相談所職員に意見してくれた。
退院時のヒロの容態の話になった時も私達が何も聞いてない事を伝えると
『成◯病院では、退院にあたり保護者に今の病状とか今後の説明とか無いのですか?一番心配されているのは、ご家族なのに。』
と、不信感を露わにした。すると児童相談所職員がカバンから書類を取り出して、処方された薬の名前を読み上げた。
『そんな、薬の名前を言われたってわからないわよ。』
と、やんわりと意見。そして児相から渡された師長さん宛の封筒を、私達の目の前で開封して病状の説明をしてくれた。そして、
『眼科の所見はどうなってますか?中に眼科の所見が入っていませんが。』
と疑問を呈されたが、児相職員はわからないと答えた。
次に今後の面会日の設定にあたり、児相職員が手帳など見ながらもたもたしていると
『来週火曜日でこちらは大丈夫よ。』
と早い時期に設定が出来るよう口添えしてくださった。
『親子が一緒に過ごす時間って赤ちゃんの成長のためにも凄く大事なの。児相さんがいいなら毎日だって構わないわ。』
その師長さんの言葉に涙が出そうになった。この1ヶ月間、病院も児童相談所も警察も親子の事よりも虐待があった事の糸口を探すような話ばかりで、私達の周りは敵しかいなかった。でもこの師長さんは初めて子供の事を考えてくれる、親子の事を考えてくれる、それがとても有難く、初めての心強い味方が現れたという気持ちだった。
その後、児童相談所が持参した書類にサインした。「一時保護措置」の解除と「施設入所措置」の書類だ。
簡単に言うと「一時保護」期間は、虐待などで親子が一緒にいると子供に危険などの問題があるから一時的に引き剥がし、その期間に「施設に委託して援助」するか、「在宅援助(家庭に子供を帰す)」かの判断をする。当然、危険度が高いと判断された時は「施設委託援助」となる。「援助」とは児童相談所が子供の面倒をみますよ、という意味だ。
ただ実際にはこの通りでなく、原因も調べずに「通報」「一時保護」「施設」という流れで事務的に進む事が多い。そして親が裁判したり騒いだ場合などはこのまま子供と会えずに3年も4年も施設に入ったままになる。その書類を見て横に座っていたノンナが私達の言葉を代弁してくれた。
「それは虐待を認めた事になるんですか?」
私達は児童相談所の流れに逆らわずに冷静に話をしてきたが、ただの一回たりとも虐待を認めた発言はしていなかった。
児童相談所職員はしどろもどろの説明をした。多分、認めてないけど「虐待」があったという前提のプログラムで進行しているからだろう。すると師長さんが
『入所措置に切り替わっても、虐待があったかどうかの調べは続くけれど、こういう病気になったのは事実なのだから、育てていく時にどこに問題があったのか、今後どうしていくのかを一緒に考えましょう。』
どこに問題があってこんな病気になったのか一緒に考えましょう、そんな言葉は児童相談所職員からは聞いた事が無かった。とても温かい言葉に私達は安心した。
そして今後も定期的に成◯医療センターに外来通院するということに触れ、
『今後も成◯に通うよりは、日◯での継続治療に切り替えたほうが必要な処置が早く出来ていいんじゃないかしら。どうですか、お父さん、お母さん。』
『是非、そうして頂けるとありがたいです。』
願ってもないアドバイスに即答した。

私達が話している間は◯を代わる代わる抱っこしながらあやしていたが、前回の面会の時よりも元気で、オモチャを手に取って遊んだり、ママの顔に手を伸ばして鼻を掴かんで笑ったりしていた。
日◯乳児院はとても綺麗だった。一階にはとても広いプレイルームもある。元気に遊ぶ子供達の声も聞こえてくる。そのプレイルームの横のエレベーターに乗り2階に行くと年齢別に分かれた託児室がある。一番奥の0歳児の部屋にヒロを預けた。部屋に入ると大輝はすぐにオモチャで遊びだした。
『ヒロ君、また来るからね。』
すぐ明日にでもまた会いに来たかった。乳児院の師長さんもいつでも来ていいと言っていた。しかし児童相談所からは、面会には児童相談所の保育士さんの立ち会いが必要と言われていたので、ゴールデンウイーク中は面会がで出来ない。面会は7日に決まった。

この師長さんとの出会いは運が良かったという人がいる。こんな短期間に面会出来るのも、運良く普通の常識ある児相相談所に当たったからだとも。実際そう思う。児童相談所は所長の権限でいくらでも法律を湾曲して行使できる組織だ。中には偏った思想や宗教の人もいる。常識的な話が通じない児童相談所の職員は山ほどいる。中には一時保護の理由が何度も変わる例もある。「虐待の疑い」で保護しながら虐待がないとわかると「親の精神疾患」と理由が変わり、親が大丈夫になると「子供の精神疾患で経過観察」となったりする。
保護し続ける為だけにでっち上げの理由をつける児童相談所が全国に溢れかえっている。子供が帰ってくるどころか面会すら出来ない児相被害者家族が沢山いることを知っている。
しかし、誤解を恐れずに言えば私達は「引き寄せた」とような気がする。宗教や信仰、スピリチャルな世界に私は全く興味はないが、私達の心を支えてくれている良き理解者の大きな「良い意志」に包まれていること、そして私達家族が「児相憎し」の反児童相談所運動者にならずに、親として子供の事だけを考えた「良い意志」が大きな「愛の魂」となって「良い運」を引き寄せているように感じていた。運とか明暗を分けるのは、最終的には人知を超えたところにある、そんなような気がしていた。

『なんか頼れる師長さんで良かったな。』
『そうだね。児相にもビシッと言ってくれたね。』
『面会のことも良かったけど、これからの検診とか治療とかも日赤で引き継いでくれるのが良かったよ。』
『そうだね、もう成育には行きたくないもんね。』
成育医療センターに行きたくないのは、虐待通報されたからだけではない。信用が出来ないからだ。
実際、大輝が入院している時も薬剤管理の不祥事を起こしている。病院からの発表では、4月12日にICU内からエスラックスとドミカルを含む注射薬が18本見つかったとお詫びしている。エスラックスは全身麻酔に使われ、ドミカルは人工呼吸の鎮静に使われる向精神薬。2つとも麻薬と同じようなもので、金庫で厳重に管理されなくてはならない。大輝も全身麻酔で手術したから当然投与されていると思う。大輝が入院しているその時に、そのICUから不当な管理の麻薬が見つかったのは極めて怖い話だ。勤務の忙しさから常用していた医者がいたか、子供達に上限使用量以上の投与がされていたか、また違う目的で盗み出したのかさだかではない。以前、日本小児麻酔薬学会の理事長の堀本は「上限を超えた用量で鎮静が開始された症例が認められているからしっかり守れ!」と通達している。これらの薬は当然使用量を間違えると、重度の低血圧及び痙攣発作が警告されている(うちの子も手術前に重度の貧血と言われた)し、眼圧を上昇させる恐れもある。
普通の人だったら麻薬取締法で逮捕されてもおかしくないこれらの薬を持ち出しても、病院はお詫びで済ませる。
しかもここ数年で同じ薬剤管理の不祥事が数回あり、おととしは本物の覚せい剤所持で精神科医(心の診療部)が逮捕されている。覚醒剤を注射針に入れて持ち歩いていたのだ。逮捕された医師は人手不足で夜勤が続き眠気を覚ますために使ったと供述している。慢性的な人手不足を抱えるこの病院には、忙しさを薬で誤魔化している医者が他にも常駐しているのではないかと考えてもおかしくない。さらに言えば覚醒剤所持で逮捕された精神科医が所属するのは心の診療部だが、その部の部長の奥山が院内の虐待防止対策室を仕切るだけでなく、全国の虐待対策の委員でもあるのだ。奥山のメディカル雑誌に投稿されたレボートには、「病院が虐待の疑いで警察に通報しても、その検挙率は驚くほど低い。実際には捜査が生ぬるく検挙に至ってない例が多いので、警察には奮起を期待する。」と言っている。要は「うちらが虐待って言ってるのに、もっと警察は頑張りなさいよ!」と言っているのだ。そんな奥山は、国家資格を持った国立病院の医師であるにも関わらす、宗教団体の講演をしたり、製薬会社からからお金を貰って講演したりしている。国家公務員がお金を貰って講演するのは違法のはずである。さらに実は国立成育医療研究センターは、子どもへの薬物治療を推し進める精神医療業界にとって最重要拠点であった。 奥山は製薬会社から金を受け取り講演したのは、注意力散漫な子どもへのコンサータ(=塩酸メチルフェニデート)の投与を推進する為である。その道の第一人者でもあったのだ。製薬会社からお金を受け取った事がネットで出ているくらいだから、出てこない闇はもっと深い。国立病院だから安心だ。最初はそう思っていた。しかし知ってしまった今は、関わりたくない病院なのだ。ある医師が書いた本には児童相談所の闇が書かれている。その中には児童相談所と精神科医が連携して保護した子供に精神薬を投与する悪魔の諸行が書いてある。もちろん両者ともに金儲けの為のシステムとして成り立っている。書かれていたことは事実なのだとその時に感じていた。

夜は録画していた深夜の討論番組を見た。「ネットが社会を変える」と題されたその番組のパネラーに児童相談所問題をテレビで言ってもらおうと思い何人かのパネラーにツイートしていたからだ。しかしその問題は扱われなかった。扱われなかったどころか全く違う視点で施設関係の話があった。
『昔でいう孤児院、今の児童施設を作るとき国から70%の補助金が出るし、別に職員2~3名で2000万円くらいの補助金が出る。』(事実かどうかは私はわからない。)
と朝鮮大学出身のパネラーが言ってた。
『このビジネスは入る子供が増えれば増えるほどおいしいね、やろうかな』
と、パネラーのホリエモンが言った。
戦後孤児が居なくり、施設の運営が怪しくなると国は補助金を増額し、児童相談所は保護人数を増やすために闇雲に保護する。戦後孤児が居なくなって必要無かったら、施設を増やす必要ない。子供の為じゃない、完全にビジネスになっている。今必要なのは保育士の質の向上の為の対策なのだ。施設を増やしても保育士の数を増やしても子供の為にはならない。欧米でもソーシャルワーカーの質の問題から数々の事件も起きている。その討論番組を見ていて物凄く嫌な気持ちになった。行政や病院、いや全てに利権が絡んでくる。児童相談所は子供を1人保護すると国からの月間35万円くらいの補助金が児童相談所に入る。そのお金は何に使うかも問われず報告の義務もないと聞く。子供は選挙権がないので、子供の福祉に関する政府の政策は後回しで予算も少ない。福祉の充実なんて選挙の時だけの絵空事だ。そんな状況で児童相談所及び施設がお金を獲得する方法が、児童の保護なのだ。私の知人で子供を保護されている親は、児童相談所から子供が18才過ぎたので毎月7万円を振り込むように言われた。18才までは国から補助金が出るがそれを超えると出なくなるためだと言うのだ。それもおかしいが35万と7万円の差もおかしいではないか。国からせしめた補助金が何処にいっているかわかったもんじゃない。他の知り合った同じ境遇の人が児童相談所職員から言われた言葉が物語っている。
『うちらは子供を保護してなんぼですからね。常に施設を一杯にしてなきゃいけないんですよ。』

同じ頃、NHKの「ハートネットTV」という番組で「子どもの虐待、どう救うのか」という特集があることを知った。虐待の冤罪がある事や児童相談所のやり方に問題がある事を少しでも広めることが出来るチャンスかもしれないと思った。今までこういう問題が世の中にクローズアップされる事は全く無かったからだ。
その番組のホームページには「カキコミ板」という視聴者が意見や感想などを投稿出来るようになっていた。そしてその投稿を参考にして番組が作られる形態だ。数年前にもこの番組で「虐待」について放送していたが、その時の「カキコミ板」には被虐待者からの悲痛な叫びが殆どで、虐待の冤罪や児童相談所からの不当な扱いを受けたような投稿は無かった。
私がこの1ヶ月の間に知り合った人の中にはマスコミやライター関係者も数名いて、記事を書くと持ちかけられたこともあった。夕刊紙や民法放送などもその気があったら協力すると言われていた。しかしメデイアは視聴率が上がるものしか扱わないし、約束しても持ち帰って却下ということが多い。夕刊紙などもシェアが低く影響力が無いばかりか、他の新聞などが他社案件ということで手を出さなくなるデメリットもある。そんな理由から躊躇していたのだが、もし万が一でもNHKが児童虐待を被虐待者側からだけでなくいろいろな方向からの問題提議を放送で扱えば、他のメディアにも波及するのではないかと考えた。
まずはツイッターなどで知り合った同じような境遇の人にも投稿を呼びかけた。児相被害者の大半は泣き寝入りしている。例え事実無根の冤罪であっても我が子への虐待を疑われて子供を保護されたなんて口が裂けても人様に言えない現実。実際、児相被害に遭うのは貧困家庭、ひとり親家庭、障害者家庭といった社会的弱者だ。それらの家庭を児相は意図的に狙っている。児童福祉法にもそれらの家庭は「虐待をする可能性が高くなるので注意深くみて早期発見に努める」と書かれている。そんな厳しい状況の中、賛同して投稿してくれる人が集まってくれた。
「子どもの虐待をどう救うのか」っていうタイトルだから、なかなか児相の悪は放送しづらい。だけど確実にカキコミ見てる人はいるし、NHKの関係者も見ている。意識に残れば声をあげる被害者も増えて、いつかそういう特集もやってくれる可能性もある。少しでも広まれば、小さな一歩でも必ず前に進むはずだ。注意しなきゃならないのは、「拉致された」だとか「児相は悪魔だ」だとか恨み辛みや愚痴だけを書いてもしょうがないし逆効果の印象を持たれてしまう。どうしたら虐待も虐待冤罪も救えるのかという内容での投稿にすることが大事だ。しかも実際に虐待を受けて大きな心の傷を持っている人も見るので、そういう人にも配慮しながらの投稿でないと世間の感情を逆撫でしてしまう恐れもある。言いたい事の半分も書かずに最初の投稿を終えた。
すると少しずつ不当保護や児童相談所に不満を抱える投稿が「カキコミ板」へ増え始めた。家族だけで抱え込んでいた理不尽な辛さを、一人でも多くの人に知ってもらいたい、そういう思いの投稿の輪は広がりつつあった。
私の投稿は「児相のシステム欠陥」についてだった。「虐待防止の為の保護は緊急を要する場合もあるのでやむなし、しかし保護する役割と保護してから家庭再統合に向けてケアする役割が同じ所でやっている事が問題。人手不足で仕事量が多く、本当の虐待を救えないどころか虐待冤罪の家族の悲劇をも生む。例え保護が間違えていても、間違えを認める事はない。調査もしない。調査部などの第三者機関が必要ではないか。」
児童相談所長の裁量でいくらでも児童の保護を決定し延長する事が出来て、面会や通信を遮断する事が出来る大きな権限を持った児童相談所が、例え間違えた事をしてもそれをチェックする機関がないばかりか、警察や政治家でさえ介入出来ない歪んだシステムに問題があると考えたからだ。
しばらくするとNHKの番組担当ディレクターから私にメールが届いた。
「今回の虐待の問題に関する番組の取材を通して、児童相談所が厳しい体制の中日々子どもの安全確保に奔走されている様子が伝わってきました。
また番組への反響の中には、児童相談所の仕組みや体制に対する問題提起なども色々ありました。是非、ご意見を聞かせて欲しい。」
メールにそう書かれていた。私は承諾して電話でディレクターと話しをすることとなった。私の事例、知人の事例、その時の児童相談所の対応や問題点、その為の対策案、そしてこういう問題で苦しんでいる家族の為にも放送で取り上げて欲しい事を何度もお願いして電話を切った。
その時、中学の同級生がNHKの夕方の子供番組のディレクターをしていることを思い出した。そうだ、連絡してみよう、そう思いすぐにメールで経緯や現状を伝え、「ハートネットTV」の番組担当者で知り合いがいたら伝えて欲しい事をお願いした。するとしばらくして中学の友人から返事があった。
「ハートネットのプロデューサーの一人が同期なので先日のメールの件を伝えました。番組の内容についてはお伝えするわけにはいかず、またご期待に添えるかは約束できませんが、児童相談所の様々な課題については認識しています、とのことでした。また今回の放送は彼自身は直接の担当ではないそうですが、担当プロデューサーにも伝えてくれるそうです。
あまりお力になれませんが、取り急ぎご報告まで」
彼からの返事を読んで少し嬉しくなった。確実に伝わっている。もしかしたら少し動き出すかもしれない。私は何年も会っていない中学の友人が、私のために動いてくれたことにとても感謝している。

そして放送日、仕事を終え録画したその番組を見た。冤罪の事実、それで苦しむ家族、調査不備、人手不足、判断の法的介入、電話で話してお願いした事が放映されていた。軽く触れる程度だったが今の段階ではそれでもいい。欲を言えばもっと掘り下げて欲しかったけど、国営放送でここまで流れたら快挙だ。NHKは中立公正の報道といいながらニュースソースは取捨選択し、体制側に都合のいい事を放映していることは原発事故や政府のニュースが流れていた時に感じていた。しかし中には良識派の人たちがドキュメンタリーという形で真実を伝えようと戦っている姿も垣間見得る。児童相談所のこの問題も同じで、国の間違えを放送するのはNHKにとっては相当にリスキーなことなのだ。しかし今回、今まで全く報道されなかった児童相談所の闇に僅かだかスポットが当てられた。児相は絶対じゃない、その事が放映されたんだ。
確実に小さい一歩。今後はこれを機にこの問題を扱ってくれる所が増えて、世の中に広まって、児童相談所自身がより慎重に考えてくれたり、暴走を躊躇させたり、社会問題になってくれるような広がりを期待したい。そこまで行かなくても、被害者が声をあげやすい風潮ができれば、少しは変わるはず。いや変わらなくてはいけないのだ。行政の手によってこんなも杜撰な保護の挙句、家族や子供を苦しめている現状が狂気なのだ。この小さな一歩は、今までは誰にも言えずに孤独に苦しんでいた家族の勇気にもなる。誰かに聞いてもらえること、誰かに話せること、他にも同じ境遇の人がいることを知ること、それだけで心の支えになり勇気となり、進んでいくことができるのではないか。真っ暗な道を進んでいる時の休憩用のベンチのようなものだ。しかし今まではベンチすらなかった。ただ暗闇を彷徨っていただけだった。ベンチに座った時に隣のベンチに同じ道を進んでいる人がいたら心強いだろう。多少の意見交換しながらまた進めるはずだ。もちろん自分自身で進まなければならないし、聞いた情報に誤りがあることもある。何が正しいか判断して進むのは自分自身しかない。だがそれだけで気持ちが癒されることを私達家族は身をもって体験したのだ。
第六章 重見天日(ちょうけんてんじつ)

5月7日、私とママはチィ(娘)を連れて日◯医療センター付属乳児院にヒロの面会に来た。チィとヒロが会うのは44日ぶりのことだ。
『ヒロー、ヒロー、ねぇねだよ。』
チィもすごく嬉しそう。嬉しそうを通り越して変なテンションで騒いでいる。それだけヒロに会えたのが嬉しかったのだろう。児相の小村が立ち会うので、娘の事も変な目でチェックされないか心配だったが結果的には家族の仲の良さをアピールできたみたいだ。
その後リハビリ室に移動しヒロのリハビリの様子を見守った。初老のリハビリの先生の話では、前の病院から「最初は左側が麻痺して動かなかった」という報告があったという。左側の麻痺なんて話は成◯病院からは全く聞いていなかったので少し驚いた。しかし今は何もなく大丈夫と言われホッとした。
『怪我する前の生後7ヶ月でつかまり立ちをしたそうですね。』
『はい、6ヶ月半ばくらいでした。』
『平均より早い成長だったということですが、今は怪我で多少成長が遅れたとはいえ現在9ヶ月の他の子と比べてもあまり変わらない成長具合ですよ。』
リハビリの先生の言葉にホッとした。良かった。ヒロは凄い子だ。

その後、児童相談所の保育士の小村から話があった。なんと今週から週4回の面会が許可された。しかも児相職員の付き添いなしでいいとのこと。児相のマニュアルを理解して先回りして協力的な態度で相手との関係を良好に務めたのが良かったのか、師長さんが口添えしてくれたからなのか。週4回会えるなら長期入院と同じような事だと考えることができる。
そして来週は精神科医の診断と、私の両親の面談も決まった。診断や両親の面談を了承してから3週間目にして、やっと日程が決まったのだ。早くヒロを取り返す為に早い時期の診断や面談を望んでいたのだが、日程を決めるのでさえ3週間かかる。それでも早い方なのか。

8日の面会には私の両親とママの4人で行った。乳児院に着くとヒロは今日もリハビリ室にいるということで、そこに向かった。リハビリ室は乳児院から歩いて3分くらいの日◯医療センターの病院建物の中にある。
昨日とは違う若い女性の先生がヒロのリハビリ担当になり、挨拶を交わした。先生の話だと多少動きにぎこちなさはあるが怪我の影響かは不明。リハビリの先生にもヒロと1週間違いで生まれたお子さんがいるが、むしろヒロの方が成長が早いくらいだと。順調、順調。今後のリハビリのスケジュールを聞いてリハビリ室を後にした。
リハビリ室から乳児院に戻る道に、児相職員の付き添いはない。乳児院の保育士さんも『いいですよ』と言って家族だけにしてくれた。久しぶりの家族だけでの空の下。たった3分の道程を10分くらいかけてゆっくり進んだ。何枚も何枚も写真を撮った。心が安らぐお散歩気分の移動だった。
プレイルームに戻ると、ヒロはおばあちゃんがいる方へニコニコしながら猛ダッシュのハイハイで近寄っていった。覚えているんだ。いつも一緒に居たからね。良かった。
面会時間の終わりに、ヒロの頭を守る為のベッドギアの作成を申し出た。行動的なヒロがまたなんかあったら怖いので、こちらからお願いした。乳児院でのヒロのアダ名は「ガムシャラ君」と呼ばれるほどに元気に動き回っていたからだ。でも日々回復の姿を見て私達の心も安定していった。

11日にはチィとママの両親を引き連れて面会に。ヒロもママの両親を見るとホワーと笑顔になった。面会時間を最大限使ってヒロを囲んで遊んだが、ヒロも終始ご機嫌な様子。ヒロも、パパとママの前で頑張って笑っているのか泣いた顔は全く見せなかった。

そうして週4回の面会が始まった。ランチの営業を短縮したり休みにしながらの面会。乳児院は片道1時間の道程。それでも1度も欠かす事なく面会できる時は全て時間一杯使って面会した。もちろん児相からの提案を全てこなす意味もあるのだが、私達の思いは別の所にある。
「時間を取り戻すのだ。」
1歳にならない子供の1ヶ月間は貴重だ。親に抱かれずに過ごした1ヶ月間はどう影響を及ぼすか。愛着形成、親子の絆、私達はヒロと一緒にいることの出来る時間は精一杯触れ合った。精一杯抱きしめた。それは子供の為だけでなく、私達親の為でもあった。
子育てはその触れ合いによって子供が健やかに育つだけでなく、親が親として子供に教えられるのだ。
子供の無条件に親を求めてくる愛情に私達親が癒されるのだ。例え会えない期間が1ヶ月間でなく半年、数年だったとしてもその時間を埋めようと必死になるであろう。
抱きしめる程に癒された。抱きしめる程に救われた。そして抱きしめる程に懺悔の気持ちが芽生えてきた。
「ごめんね、辛かったろう。一緒に居ながらなんで転倒を防げなかったんだ。その前にあった前兆になぜ気づけなかったんだ。ごめんねヒロ、もっともっと必死で守るからね。」
面会を重ねるごとに少しずつ成◯病院や児相に対する怒りも小さくなっていた。
しかしまだ成◯病院や児相の不信感を高めるような事は続いた。
13日の脳外科の検診だった。10日に面会時に師長さんから報告されたのは、成◯病院から送られてくる書類に不備があり資料請求をしたら速達で送る旨連絡があったということだった。そして今日その資料を見ながら検診を行う予定だった。今まで聞けなかった事をいろいろ聞こうという気持ちで病院を訪ねたのだったが。
診断室に入り説明を聞こうとすると先生から
『さて、どうしましょう。』と。
『いや、検診の予定で来たのですか。』
『いや、成◯から画像データが送られてきてないので、なんとも言いようがないのです。』
転院から10日以上経つのにまだデータが来ないなんて、、、
『まあ、頭の周囲は大きくなっていませんので新たな出血とかはないと思われますが、何せ頭の中のことはデータがないと何も言えません。成◯からの紹介状の内容があまりにも足りないので。』
『そうですか。』
ふと、パソコンを覗き込んだ。そこには紹介状の文が書かれていた。
「家庭で転倒し、硬膜下血腫と眼底出血が認められる。虐待の疑いもあり。」そう書かれていた。
『先生、院内のベッドで転倒したことが書かれていませんが。』
『院内で転倒したのですか?そんなことは書いてありませんね。』
『一般病棟のベッドで転倒して急変したんです。それまでは手術の必要ない軽度の怪我と言われていたんです。』
そしてその時の様子や病院からの説明がほとんど無かった事を訴えた。
『いくら虐待の疑いがあると言っても、親なのだから医師からの説明はきちんとなさらなくてはなりません。親には説明を聞く権利が保証されています。』
日◯の脳外科の医師も疑問に思ったようだ。

その後もリハビリと面会の日々。児童相談所との話し合いも無く、家庭教育プログラムがいつから始まるのかもわからない。。
15日に児童相談所の小村から電話があり、23日の精神科医の診断は、先生がお休みの為30日に変更するとの事だった。
4月の中旬に、子供を帰す為には精神科医の診断も必要と言われ、即時承諾したにも関わらず、時間調整、GW休み、他の診断が入っている、先生がお休み、となんだかんだ理由をつけられ6週間も引き伸ばされる。
児相との面談も、5月に入ってから1度も無いのは、担当者がGW休み、その次の週は4連休を取ったからだと言う。まるで虐待の確定の判断材料がないから、引き伸ばして時間稼ぎをしているかのようだ。
子供を家庭復帰させる時の条件で言われた、保育園入所の話は、2ヶ月間登園がないと権利を失う。その期日は今月末だ。しかし精神科医診断は30日。間に合う訳がない。あっちの都合で伸ばされたあげく、帰ってくる為に提示された条件を失うことになりそうだ。
『2ヶ月間連続で登園がないと入園権利が無くなるので、1日だけでも保育園に通わせる事は出来ませんか?もちろん私達の付き添いは無くても構いません。』
入園権利を維持したいと申し出るも案の定却下だった。

16日は私の両親の児童相談所との面談があった。この面談も承諾してから1ヶ月間待たされた。
『今回の事を把握していますか?』
『はい、息子から聞いております。』
『面談でも家庭訪問でも、奥様のご両親との面談でも、全く虐待があるとは思えませんし、証拠もありません。ご両親含めた家族関係も良好です。しかし、病院が判断した以上、それを無視して先に進めません。
例えば警察なら証拠で白、黒と判断するが、今回の場合はむにょむにょ、、あ、違うか、うーんうまく説明出来ないなぁ。。』
と大事な部分はいつも通り曖昧な表現で説明する。
両親はキョトンとしていた。70才を超えた両親には理解する事が難しかった。私が児相の言いたい事を代わりに説明した。
『そういう事です。』
その後、両親へいろいろ質問があった。ヒロとの関わり。生年月日、実家の事。仕事のこと。子ども時代の俺の事(虐待の連鎖の調査?)、野球部活動の事(体罰経験?)、ヒロの2月からの様子。3月25日のことなどもろもろ。一通り話し最後に
『今、両親から聞いた話でも、そんなこと(虐待)はないと思います。しかし、こういう話を会議で言っても、他の人からいろいろ突っ込まれるので、これからも協力お願いします。今後もヒロの事を援助(面倒を見るって事)出来ますか?』
と聞かれ、
『もちろん!それが生きがいです。』
とおばあちゃんが言うと、
『わかりました。しかしおばあちゃんとヒロ君が1対1になることに心配があります。また何かあった時に他の人の目がないと心配です。複数の目で見れる体制をお願いします。』
という話で終わった。

帰り際に、来週のヒロとの面会の予定を伝えた。面会日はいつでもいいと乳児院の師長さんに言われていたが、必ず事前に児童相談所の小村に予定を伝えていたからだ。
すると小村から
『あの面会なんですが、毎週の曜日と時間を固定で確定出来ませんか?乳児院も把握したいと言っているので、、』と。
乳児院にも事前に伝えているし、乳児院は児相が許せば面会時間内ならいつでも何日でも何時でもいいと言われている。また、嘘か。病院のせい、会議のせい、乳児院のせい、常に責任転換と嘘ばかり。
『あと、保育園の件を聞いたのですが、、、』
小村が保育園の事を話し出した。「保育園の件(今月で入所権利が無くなる)は、私からもお願いしておきます。」って言っておいて1ヶ月間経ってやっと連絡したらしい。
『やはり保育園は退園していただきますので退園手続きお願いします。期間の延長も2箇所在籍もできないそうです。』
今更か、と思った。やはり保護の引き伸ばしの為だけに働いているのかという感情を抱いてしまう。保護し続ける理由が見つからないから牛歩戦術なのか。

一方ヒロは5月中旬過ぎから凄まじい回復をみせていた。
私達やおばあちゃんを見ると凄いスピードで近いてきたり、おもちゃを見つけると突進しておもちゃ箱に突っ込んだりして「ガムシャラ君」そのものだった。リハビリの先生にも、何の問題もないのであと一回のリハビリで終わりにすると言われていた。面会も家族との中身の濃い楽しい時間を過ごしたが、最近は帰り際に「まだ帰らないで。」という目で後追いしてくるようになっていた。


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