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【号外】石川・九谷茶碗まつりの思い出と117

息子をダシに北陸通いを始めた日々。

石川県の陶器といえば九谷焼、
そして陶器市といえば九谷茶碗まつり。
※毎回思うがなんで「茶碗」限定?
随分前になるがここも数回訪れたことがある。
というのも子どもが北陸方面の大学に進学したため、
様子を見に行くという理由にかこつけ、
何度か車で旅をした事があるからだ。
例によって歴史や特徴は詳しくないしさほど興味もないが、
加賀藩のお膝元で小京都の代表格でもある当地では、
白磁に繊細かつ鮮やかな彩色を施した
作品が多いのが印象的だった。
今となってはたくさんの所蔵品の内、
どれがメイドイン九谷だったか、
明確にご紹介できないほど記憶も定かではないが。

あの素晴らしい石川県をもう一度。

一方でよく覚えていることもある。
福井、石川、富山、北陸一帯に広がる
街並みの雰囲気、そして食文化の素晴らしさだ。
福井の東尋坊とカニ、石川のひがし茶屋街とのどぐろ、
そして富山の黒部ダムと白エビ…。
なんや結局海の幸ばっかりやないかい!
そんな北陸・石川が今、大きな試練を迎えている。
恵みの海は、時として恐怖の海にもなる。
自然の、ある意味自然な営みに、人はなすすべがない。
今はただ、亡くなった方への哀悼と、
被災された皆さまに一刻も早い平穏が訪れるよう、
心から願ってやまない。
そしていつかまた、あの素晴らしい北陸の街を
訪れることができる日を期待しています。

いっしょに前を向いて歩きましょ。

29年前のちょうど今日、早朝に阪神淡路大震災が起きた。
子どもはまだ産まれたばかり。
深夜に帰宅した寝入りばなの私の上に物が落下し、
「痛いなぁー」と寝言混じりに二度寝した。
寝ている場合かと子どもを抱えた妻に叩き起こされ、
流血した額を押さえつつ部屋の中を見渡す。
すると折り重なる家具、そして散乱した食器。
窓の外には幾本もの煙が立ち上り、
まるで爆撃を受けた戦下のような有様だった。
あれから29年、避難先の床を這い回っていた子どもは
何事もなかったかのように成長し、
崩れた家々が道を塞いでいた街は嘘のように復興した。
自然の営みと大きな時の流れの中では、
人の人生はあまりにも、そして悲しいほどにちっぽけだ。
「そんな時代もあったね」と
いつか話せる日が来ることを祈りつつ。

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