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母が死んだらもっと寝る

はじめまして、猿田みみこと申します。
30年超勤めた会社を離職し母を在宅介護して丸2年となる50代女性(独身)、という人間です。

こう書くと、まだ介護の入口に立ったばかりと思われるだろうが、実際私の介護生活は2年ではない。

母はもともと歩行機能に障害がありそれは治療できるタイプのものではなかったので、私の人生において母は一日たりとも健常では無かった。

そして強弱は変化しながらも、常に介助・介護を必要としてきたので、私は今どきの言い方で言えばヤングケアラーからミドルケアラーになり、今や立派なシニアケアラーになったというわけ。
すごろくのアガリは目前だ。

その間、母は鬱を発症したり歩行機能も完全に衰えて寝たきり&車椅子になったりして、それに伴い私のアプローチも障がい者ケアから老人介護へとグラデーションのごとく変化していった。
そして2年前、母に癌が見つかったのをきっかけに、訪問診療による緩和ケアを中心とした介護生活となり、現在に至っている。
 
とはいえ、もはや、こんな話はめずらしくない。

かつて、
「絶対に嫌だ勘弁だ、でも嫌な予感しかない」と、震えるほど恐れていた未来の姿に、まんまと今なっている。
でもその実感はちょっと違う。

令和の御代になってそのカテゴリーにキャッチーなコピーがつくことになる少女は、中高年になった時、あの頃の同級生たちと悩みや愚痴を共有するようになっていた。

当時は自分だけにかけられたと思っていた「呪い」は今は誰もが手にしている「日常」で、それを皆、淡々と乗り越えている。
喜びも悲しみも苛立ちもごった煮になったありふれた日常、ライフゴーズオンだ。

そんな私のシケモクのような(←今どき言わないよね)小さな願いについて話をしたい。
 
かつて、母の精神状態が最も悪かった頃。
私たちは常に叫び、罵り、時に叩き合っていた。

ある日私が「ねぇ、お母さんいつまで生きるの?まだ死なないの?いつ死ぬの?」と訊くと母はジロリと私を睨みつけ、口元をフッと笑うように歪めながら言った。
「死・な・な・い・よ!」
まじかよ
こえーよ


どうしてそんな返しができるのか?
本当におかしいのか、あるいはわざとなのか、
イヤやっぱりおかしいのか?
そう思うことが度々あったが、兎にも角にも、怒りが萎えた。
 
あれから十数年が経ち、いつの間にか抗鬱剤は不要になったがギャグセンだけは健在な母である。そんな母を看ながらあっという間に終わる一日、愛しさと徒労感と寂寥感がないまぜになり、胸がいっぱいになるという繰り返しだ。

そしてふと思う。

この日常の終わり、つまり「母が死んだら」。

これは考えたくない恐怖でありながら一方で「あれもこれもやりたいなぁ♡」と夢想が広がるアンビバレントなイシュー。
だから結局何一つ具体的なアイディアはまとまらない。しかしただひとつ、絶対にすぐにやろうと思っていることがある。

それは「今よりもっと寝る」ということだ。
 
私の平均睡眠時間は6時間だ。ハッキリ言って短くない。もっともっと短くて毎日ヒーヒー言っている人のほうが多いだろう。が、私のカラダは常に「足りなさ」を実感している。これはもう他人との比較じゃない。

夜、あれやこれやを片付けて風呂に入ればほぼ毎日湯船で寝落ちするし(これが怖くてスマホをジップロックに入れて浴室に持ち込みラジオや動画を流している)朝はダルさと緊張が薄皮のように全身に貼り付いたまま目覚める。
多大な損害、とは言わないが、日々じわじわと負債がたまって行くようなモヤモヤ感がさらなるストレスとなり、メンタル的にもしんどくなる。

子どもの目から見ても、母は更年期の症状が強烈だったように思う。そして、それに対処する術がなかった。
少しずつ人生の重荷をおろしていくべき時にそれが出来なかったことは心身にさらなるダメージを与え、直接的だと断言はできないが遠からず癌の発症にも影響したのではないか。

「季節の変わり目」なんて言ったら一年は変わり目だらけだ。そして、年齢による心身の変化なんて死ぬまでし続けている。
だから自分が自分を労わりたい、もう荷を下ろしたいと思ったら、そうするのがベストタイミングなのだと思う。

しかしそれが出来ないのがまぎれもない「日常」なのである。

だから、いつかこの「日常」が終わったら、次の新しい「日常」では、とにかくもっと寝ることだけはしようと思う。

つい先日、久しぶりに頭痛で目元から額、そして後頭部にかけてギュウギュウと絞られるように痛かった。
こういう不調も、もうちょっと寝ることが出来たらいいのにと思った。医者にかかるほどじゃない、ただ頭痛薬を飲んで目を閉じてベッドにもぐりこんで少しでも静かにしていたら治りそうなのに。

そう思うと気分がささくれ立ってきて、それがまた頭の痛みに還元される。服薬ゼリーで定時の薬を飲ませながら母に向かって言ってみる。

「今日私、すっごく頭が痛いんだよ」
「あらそうなの困ったねぇ」
「困ったって、それって私のことが心配?それとも自分のご飯が心配?」
「そうねぇ、ご飯だねぇ」
「もし私が『今日は調子悪いからご飯作れないよ』って言ったらどうするの?」
「気の毒だけど頑張ってもらうしかないね、立場上」

・・・『立場上』

こういう言葉が咄嗟に出て来るってどういう神経、いやセンスなんだろう。

でも確かにそうだ、立場上。
もし本当に食事の支度が無理なら、それを母に言っても仕方なく、姉と相談してウーバーでもすればいいし、この先長引くような事案ならケアマネに相談すべきだ。立場上、それが正論だ。

笑うしかない。
なんとなくささくれた気分も萎えて、しばらくすると頭痛薬も効いてきた。
でもいつか、この「日常」が終わった時は、いまよりももっと寝よう。

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