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堂々と幸せでいよう。

私は高校生の時、
バレーボールに打ち込んでいました。

しかし、最近は
当時の気持ちを鮮明に思い出すことは
なくなっていました。

でも、前回の
水星逆行の記事でも書きましたが、
久しぶりに当時の友人と
メールのやりとりをしたのです。

その中で、友人が
こんな質問をしてきました。

「試合前の掛け声って、なんだっけ?」

完全に忘れていたことを聞かれ
「えっ?何で今更そんなこと…」
と思ったのですが、
何とか頑張って昔の記憶を呼び戻しました。

「「頑張るぞ!オー!」だっけ?」
「違うよ。「行くぞ!オー!」じゃない?」
「なんか違う気がする…」
「「さぁ行こう!オー!」じゃない。」
「!!」
「「それじゃない?!」」

と、なんとなくそれっぽい答えに
たどり着きました。

そんなやり取りを終えた後、
私に異変がありました。

全く忘れていた当時の感覚が
よみがえってきたのです。

高校生の頃の自分。
一生懸命自分を磨こうと思って、
毎日毎日練習を重ねていた、あの時の私。
そうだった。
あの頃は、
少しでもバレーが上手になりたくて、
なりふり構わず
全力で練習に取り組んでいたんだった。
みんな仲良しだったけど、
仲間同士ぶつかることもあった。
とにかく
自分自身を思い切り表現してたなぁ。

その頃の全力の自分を思い出すことで、
私の本当の姿
私が本当はどうありたいのか、を
一瞬にして思い出したのです。

それと同時に、もうずっと
本来の自分を忘れていたことにも
気がつきました。

そうだった。
頑張ることが好きだったし、
元気なのが好きだった。
部旗にも「元気」って書いてあった!
楽しいのが好きだったし
楽しいことが全てじゃないか!

それなのに、今の私は
とても小さく、
自分自身を抑え込んで生きている。

自分を押さえつけていなくたって、
もういいんじゃないか、と。

そう、はっきり自覚できました。

これを誰かに話しても、
「どういうこと?
あなたは十分に楽しそうで元気よ。」
と言われてしまうことでしょう。

今回はそういう
「周りが見てわかる」ような
大きな気付きではないんです。

私にしかわからない、
芯に触れた
ハッとした感覚です。

私をずっと見てきたのは私だけだし
本当の私を知っているのは私だけです。

例えば、
本来の私が「ゼロ」だとします。

周りの影響を受けながら
ゼロから一ミリずつズレていることに
ずっと気付いていなかった。
ふと全体を見渡したら
かなり軌道がズレていて、
景色がずいぶん違っていることに気付いた。

みたいな感じでしょうか。

だから、
色んなことがうまくいかないと感じたり、
何をやっていても、
どこかにいつも不満があったのかもしれません。

ここに引っ越してきてから、
私は嫌な経験を沢山しました。

そうしていく中で徐々に
静かにしていれば目立たない、
静かにしていれば嫌なことを言われないし、
嫌なことをされない
と、思うようになっていったのでしょう。

小さな田舎なので
少し外に出れば知り合いばかりに会います。

自然と
誰かと目を合わさないように
目を伏せて歩くようになりました。
身長が高くて、
ピンとした姿勢だったのに、
目立ちたくない気持ちからか
今は猫背になり
呼吸も浅く、声も小さくなってしまいました。

誰かと触れ合わない方が傷つかなくてすむ、
嫌な思いをしなくてすむ
という考え方が、
いつの間にか染み付いていました。

そういう今の私にも
気付かされました。

でも本当の私は
のびのびとしているのが気持ちいいし、
のびのびとしていればいいと思っています。

そんな気持ちは
すっかり忘れていました。

それを思い出した私は、
なんだかとても
晴れ晴れとした気持ちになりました。

現実は変わらないけど、
ここで嫌な思いをしたけど、
そんなの関係ないと思えました。

今、私は
本当の自分を思い出したのだから、
またそこに戻るだけです。
それが、本来の方なんですから。

なんだ。
忘れてた。

私の人生は私のもの。

誰かが嫌なことを言ってきたとしても、
それを受け取らなければいいのです。

突風が吹いてきて髪が乱れても、
髪をとかして元に戻せばいいのです。
乱れた髪のまま
いなければならないわけではないのです。

堂々と楽しくいよう。

堂々と幸せでいよう。

堂々と本来の自分を発揮しよう。


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