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ヒズボラとは一体どんな組織なのか、徹底解説する

 中東情勢が緊迫している。ついにイスラエル軍はレバノンに地上侵攻し、ヒズボラの徹底排除を決断したようである。ヒズボラの最高指導者であるナスララ師はバンカーバスター80発を打ち込まれて殺害され、報復としてイランは弾道ミサイル数百発をイスラエルに打ち込んでいる。現在のイスラエルと周辺諸国はすでに第4次中東戦争以来の戦争状態と行っても過言ではない。

 ところで、しばしば誤解されるのがヒズボラである。ヒズボラはレバノン国軍とは別個の武装勢力であり、レバノン国軍を上回る軍事力を持っている。ヒズボラとは一体なんなのか、理解している人間はほとんどいないだろう。レバノンは中東諸国の中でも情勢が桁違いに難解な国であり、筆者もレバノン関係の記事はあまり書いてこなかった。

 今回は戦争勃発ということもあり、ヒズボラについての解説記事を書いてみたいと思う。今度こそはなるべく簡潔にしたい。

レバノン情勢は複雑怪奇

 レバノンはイスラエルとシリアに隣接する地中海の小国である。もともとフェニキア人が住んでいて、レバノン杉を切り倒して船を造り、航海に勤しんでいたことは有名である。この辺の事情は以前の記事でも書いた。

 レバノンの国政について語っていると日が暮れてしまうが、簡潔に言うとこの国は多種多様な宗派が混在するモザイク国家であり、なおかつイスラエルとシリアという厄介な国に挟まれているため、大変複雑な地政学的立場にあるということである。具体的な宗派等の話はリンク先の記事を見てほしい。

 イスラエルがレバノンに望むのは自国に対する脅威を排除することだ。1948年のイスラエル建国に伴って大量の難民がレバノンに流入し、彼らはイスラエルに越境攻撃を仕掛けるようになった。1970年にPLOがヨルダンを追い出されると、この攻撃は更に激しくなった。1975年にPLOの存在が原因となって内戦が勃発すると、イスラエルはレバノンからPLOを叩き出すためにレバノン領内に大規模な軍事侵攻を行った。これが第一次レバノン戦争である。

 一方、シリアは目的はこの国を支配して自国経済に組み込むことだった。シリアとレバノンはもともと関係が密接で、フランス植民地時代に分割されたに過ぎない。レバノンは小国だが、所得水準はシリアよりも遥かに高く、シリアは常にレバノンの富を手に入れたいと願ってきた。シリアより先進的で自由なレバノンはいわば「シリアの香港」のような立ち位置である。とうのレバノン人はシリアによる支配に反発する人間が多く、シリアとの距離感は常にレバノン政治において重要なファクターとなっていた。

「神の党」の誕生

 ヒズボラがレバノンで結成されたのは1982年の第一次レバノン戦争が原因である。レバノンに侵攻したイスラエル軍はPLOを壊滅させた後、北の国境がイスラエルにとって二度と脅威にならないように、レバノンに親イスラエル政権を打ち立てようとした。しかし、イスラエルはこの地域であまりにも嫌われており、住民の激しい反発を買った。

 南部を占領するイスラエルに大してイスラム教シーア派の住民が結成した組織がヒズボラである。ヒズボラは「神の党」を意味するアラビア語である。中東の武装勢力はボキャブラリーが少ないのかヒズボラを名乗る団体が他にも複数存在するのだが、単にヒズボラと言った時はレバノンの組織を指す。

 当時、イランではイラン・イスラム革命が起こっていて、宗教意識が高揚していた。イランはイスラム教シーア派の国家であるため、ヒズボラを支援した。ヒズボラはイランの資金提供と軍事訓練によって非常に強力な組織になった。同時期に地域で孤立していたイランは同じく孤立気味であったシリアとの同盟を求め、サダム・フセインのイラクという共通の敵に対抗しようとしていた。シリアはイスラム教シーア派の政権だったこともあり、イランとの同盟は強固になった。シリアは当初は別の団体を支援していたのだが、ヒズボラとの繋がりがシリアのレバノン支配にとって役に立つことがわかり、ヒズボラ・イラン・シリアの三者の同盟は強固になった。

 ヒズボラは一般にテロ組織であると言われる。ヒズボラは中東で初めて自爆テロを組織的に行った。これが効果を挙げ、1983年の米仏軍宿舎爆破事件では300人以上を殺害し、国連軍を撤退に追い込んでいる。同様の規模のテロ行為をヒズボラは何件も行っている。アメリカ人も何人もヒズボラによって誘拐され、数年後に殺害されている。国外においてもハイジャックなどテロ事件は絶えない。1992年と1994年にはアルゼンチンで大規模テロを行い、それぞれ29人と86人を殺害している。ヒズボラはおそらく世界のテロ組織の中では最も有能な部類である。

 イスラエルは1982年の第一次レバノン戦争からレバノン南部の軍事占領を続けていたため、ヒズボラはイスラエルに大してテロを繰り返した。この被害は結構大きく、イスラエルはヒズボラとのゲリラ戦でレバノンへの侵攻とりも多くの死者を出すことになった。こうした経緯により、イスラエルは2000年にレバノンから撤退することになった。ヒズボラの勝利である。

ヒズボラの存在意義

 凄惨なレバノン内戦は1991年にようやく終りを迎える。レバノンは無数の宗派によって分裂した機能不全の社会だったが、内戦を経てなんとか争わずに共存していこうという気風が作り出された。ここで問題となったのはシリアである。アメリカはシリアが湾岸戦争に協力した見返りにシリアがレバノンに一定の勢力圏を持つことを許した。シリア軍はどうどうとレバノンに駐屯し、衛星国のように振る舞った。レバノンにはシリア大使館が存在しないのだが、その理由はレバノンがシリアの一部だからという理由らしい。

 レバノン内戦が終結して和平合意が結ばれ、レバノン内戦の各勢力は武装解除に応じた。しかし、シリアの庇護下にあったヒズボラは相変わらず武装したままだった。2005年に反シリアのハリリ首相がヒズボラに暗殺されると、密かにシリアに反感を持っていたレバノンの民衆はシリアに反発するようになった。アメリカはシリアに圧力をかけ、レバノンから撤退に追い込んだ。これを杉の革命と言ったりもする。

 困ったのはヒズボラである。内戦が集結し、シリアの後ろ盾がなくなり、イスラエル軍も撤退してしまったとなれば、組織の存在意義がなくなってしまう。こうした情勢で勃発したのだ2006年の第二次レバノン戦争である。ヒズボラがイスラエル軍の兵士を誘拐したことをきっかけにイスラエル軍がレバノン南部に侵攻し、ヒズボラを攻撃した。イスラエル軍は予想外の抵抗に苦しみ、目的を達成できなかった。

 この第二次レバノン戦争によってヒズボラの地位は強化された。イスラエルの侵略に反感を持ったレバノン国民が、ヒズボラを国家の守り手として考えるようになったからだ。実際、内戦の影響でレバノン国軍は機能的な軍隊にはなり得ないため、国軍に代行してヒズボラがイスラエルからの安全保障を担うのは理にかなっていた。こうしてヒズボラがレバノン国軍を上回る軍事力を持つという状態が容認されるようになった。

 これは国家としての暴力の独占ができていないということである。しかし、レバノン国民は二度と内戦はゴメンだと意識があったため、ヒズボラに大して武装闘争を仕掛けるようなことはなかった。ヒズボラの側もやはり内戦の再発は避けたいため、キリスト教徒と友好関係を結び、それなりに配慮した行動を取っていた。ヒズボラは強大な軍事力を持っていたとしても、政府を武力を転覆させることはない。レバノン社会は多種多様な宗派が平和に共存しないとやっていけないことがわかりきっているので、ヒズボラや他のあらゆる勢力は「内戦後」の社会において微妙な一線を踏み越えることなく、持ちつ持たれつで生きてきたのである。

ペルシャ帝国の忠実なしもべ 

 より大局的な見地で見てみよう。イランは1979年の革命以降、西側に敵対的な立場を取っており、地域覇権国を目指して勢力を拡張し続けている。現在、イランの勢力圏はイラク・シリア・イエメン・レバノンに及んでおり、かつてのペルシャ帝国を彷彿とさせる広がりを持っている。

 この新生ペルシャ帝国において、ヒズボラは欠かすことのできない重要なパートナーだ。イランがレバノンに対する影響力を保つ上で必須と言っても良い。イランはヒズボラを通してイスラエルと対決することで、地域でのプレゼンスを高めることができる。イスラム世界の民衆の間で反イスラエル的な行動は大変人気があるため、安全保障上のメリットを超えた理由でイスラエルへの攻撃が行われることが珍しくない。

 しかし、2010年代のヒズボラはイスラエルへの攻撃を控えていた。理由は2011年に勃発したシリア内戦である。シリア内戦は単なる内戦というより、中東の地域大国が軒並み介入する国際紛争だった。ヒズボラはシリアからの支援に依存しているため、アサド政権が倒れると困る。ヒズボラは不本意ながらもシリア内戦に参戦し、反体制派を殺戮し、アサド政権を勝利に導いた。この頃になるとヒズボラの軍事力は4万とも5万とも言われ、もはや小国の正規軍に匹敵する戦力を持つようになっていた。

 以前の記事でも書いたが、2000年代の対テロ戦争と2010年代のアラブの春によってアラブ世界は弱体化し、地域でイランとイスラエルが傑出した存在になった。両者の共通の敵となる存在はもはや存在しない。湾岸諸国はイスラエルに接近し、イランとイスラエルは勢力圏を接するようになった。2010年代の中東で支配的だったのがイランとサウジアラビアの対立だとすれば、2020年代の中東で支配的なのはイランとイスラエルの対立だろう。

 ヒズボラはテヘランからベイルートまで続くイランの勢力圏の中では要となっていて、イランの最も忠実なしもべとして地域に存在感を示している。イランとイスラエルの衝突が起こる場合、場所はレバノン以外に考えられない。

現在のヒズボラ

 ヒズボラには3つの顔がある。イスラエルに対する抵抗組織としての顔、レバノンの政党としての顔、そしてイランが地域に影響力を投射するための道具としての顔である。

 レバノンは合法性等として議会に議席も持っていて、通信インフラなどの経済利権も抑えている。また、レバノンのシーア派の利益の代弁者でもある。ヒズボラにとって最近問題になっているのはこの方面だ。2019年辺りからレバノンは未曾有の経済危機に直面している。政府が宗派に分断され、機能不全に陥っていることが原因だ。レバノンの政治家は非常に腐敗しているが、国内の分裂が深刻すぎてそこまで手が回っていない。ヒズボラはレバノンの政治勢力の中では比較的清廉な方だが、それでもヒズボラに批判が向くのは時間の問題だ。大多数のレバノン国民がヒズボラをイラン・シリアの出先機関とみなすようになれば、いくら強大な軍事力を持っていたとしてもヒズボラの先行きは暗くなってしまう。

 ここでラッキーだったのは2023年のイスラエル・ハマス戦争だ。この戦争によって地域の緊張が高まり、再び民衆の目がイスラエルへ向くようになった。ヒズボラはガザの同胞を助けると称してイスラエルへ砲撃を行うようになった。これはヒズボラの求心力を高め、国民の目を内政からそらす上で大変好都合だったはずだ。

 ヒズボラの誤算は、イスラエルがあまりにも強硬だったことである。ヒズボラはおそらくこの攻撃がパフォーマンスに毛が生えたものであるという認識があったはずだ。慎重にエスカレーションを阻止すれば、イスラエルとの全面対決を避けつつ、自分たちのプレゼンスを上げることができたはずだった。しかし、イスラエルの世論は殺気立っており、ヒズボラへの全面攻撃を求めている。これを期にヒズボラを排除するつもりかもしれない。現在の地政学的状態ではイラン陣営が強大化し、イスラエルを圧迫していくことは間違いないため、イスラエルとしてはヒズボラとの対決は避けられないと考えたのだろう。

ヒズボラとハマスの違い

 しばしば混同される両者だが、この際違いをはっきりさせておきたい。ハマスはガザ地区を支配する組織であり、パレスチナ自治政府とは対立関係にある。ヒズボラはレバノンの一部を支配するが、正統政府とも共存する存在である。ハマスとヒズボラはいずれもテロ組織としての側面と合法的な政治勢力としての側面を併せ持ち、通常のテロ組織では考えられない規模である。むしろ両者がテロ組織としての性質を持つほうが不思議である。これにはイスラエルとの軍事力格差やパレスチナ問題への世論の関心の強さがあるだろう。

 ヒズボラはイスラム教シーア派の勢力であり、同じシーア派のイランとの繋がりが深い。一方、ハマスはイランの支援を受けているが、宗派はスンニ派である。ヒズボラはイランにとってかけがえのない盟友だが、ハマスは便宜的な協力関係と言ったほうが良い。実際、ハマスはイランだけではなく、カタールやその他のアラブ諸国の支援を受けている。これにはイランの影響力を拡大させたくないというサウジアラビアの意向も反映されているようだ。

 ハマスの目的はガザ地区を統治し、イスラエルを打倒して全パレスチナを解放することである。この目標にガザと西岸の住民は賛同しており、ハマスの支持率は高い。一方、ヒズボラは反イスラエルを掲げているものの、今ひとつ根拠が弱い。ヒズボラと対立する宗派の人間も多いし、イランの手先と考える人もいる。レバノンはイスラエルを嫌っているが、パレスチナのように土地を奪われたり封鎖で困窮している状況ではないため、イスラエルとの対決は必然ではない。むしろ宗派対立や経済危機の方が深刻な脅威である。

 組織としての強さはヒズボラの方が上である。ハマスはガザ地区に封じ込められているため、十分な支援が受けられない。一方、ヒズボラは陸続きでシリアから支援が受けられるので、遥かに強力である。ガザとレバノンで、もともとの経済力も異なる。

まとめ

 今回は複雑怪奇なヒズボラの事情について書いた。レバノンの情勢はあまりにも複雑で、誰が理解しているのかもわからない。それくらい難解である。

 2023年10月7日のハマスによる攻撃を受けて地域が著しく不安定化している。ガザ地区の犠牲者は4万人を超え、実際には5万人以上に上るのではないかと言われている。紛争はガザだけではなく、西岸・シリア・イエメンにも飛び火している。背後にいるのはイランだ。イランはおそらくこの戦争を利用して地域でのプレゼンスを更に上げようとしているのだろう。サウジアラビアとイスラエルの国交回復は頓挫し、アラブ諸国ではイスラエルへの憎悪が荒れ狂い、イランの脅威から目がそらされている。イランは地域の緊張を高めながらも慎重に直接の交戦を避けている。

 しかし、ここまでイスラエルが過激な行動を行うと、イランも何らかの手段を取るしかなくなるだろう。今回のミサイル攻撃もやむを得ない行動だったとイランは考えているはずだ。黙っていると信頼を失うので、仕方なくリスクを犯している感じである。パレスチナ問題はイランにとっても劇薬なのだ。


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