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イランVSイスラエル、2020年代の中東戦争を考える

 2020年代に入り、中東情勢は新たな局面を迎えている。現在注目を浴びているのはイスラエルの執拗なガザ攻撃だ。犠牲者は3万人に近づいており、まだまだ増加する様子だ。イスラム世界ではイスラエルを憎悪する世論が高まっており、サウジアラビアとイスラエルの国交回復は頓挫した形だ。イランに対抗する同盟どころではない。2010年代に特徴的だったイランへの封じ込め作戦はニュースから忘れさられてしまったようだ。2020年代に入って再び注目されているのはイランとイスラエルの対立構造である。

 2010年代に特徴的だったのはイランVSサウジアラビアの抗争だった。2020年代に特徴的なのはおそらくイランVSイスラエルの抗争になるはずだ。今回は両国がなぜ深刻な紛争に直面しているのかを解説したいと思う。

イランとイスラエルは気が合う?

 にわかには信じがたいが、イランとイスラエルはそこまで相性の悪い存在ではない。旧約聖書を読めば分かる。バビロニアによっていじめられていたユダヤ人を解放したのはペルシャ帝国だった。紀元前から両者は妙に波長の合う存在だったようだ。

 1948年にイスラエルが建国された時、イランは当初は反発するものの、程なくしてイスラエルとは友好関係を結ぶようになった。当時の世界は冷戦体制下にあり、イランもイスラエルもアメリカと極めて親密な関係にあったからだ。イランはイスラエルに石油を輸出し、イスラエルはお返しにイランの諜報機関を強化した。両者はアラブ世界という伝統的ライバルを抱えているため、敵の敵は味方という関係も見出すことができた。

 地政学的にもイランとイスラエルは相性が良い。イスラエルは非常に小さく、イランから遠く離れている。従ってイランにとってイスラエルは何の脅威にもならない。大した資源もないため、イランがイスラエルを攻撃しても何も得るものはない。むしろ両者が強力することには多大なるメリットあがある。イスラエルとアラブ諸国が深刻な対立関係にあることは知られているとおりだが、イランも同様にアラブ諸国とは仲が良くない。イランはイスラム教シーア派であるため、アラブ世界の大半を占めるスンニ派とは宗教的にバチバチの状態だ。パレスチナの住民もイスラム教スンニ派のアラブ人であるため、イランにとってはどうでもいい存在だし、同胞としての意識は低い。

 両者が友好関係を築くことには大きなメリットがあり、両者が反目し合うことにはほとんどメリットがない。それにも関わらず、イランとイスラエルが敵対関係にあるのは1979年に起きた出来事が起源である。

イラン革命とイデオロギー

 1979年のイラン革命で、イランは一瞬にして反米国家へと転じた。ここまで国家の地政学的振る舞いが激変する例は珍しい。他にはフランス革命やロシア革命くらいだろう。帝政時代のイランはアメリカと蜜月関係であり、常に寵愛を受けていた。国民の反感が高まると、今度はシーア派の原理主義政権がイランに樹立され、アメリカ大使館占拠事件が起きた。これ以来、アメリカは40年以上に渡ってイランと深刻な対立関係にある。未だにアメリカ人に「一番印象の悪い国は?」と聞くと、イランの名前が返ってくる。

 イランはイスラム主義を掲げる以上、イスラエルを敵視することになる。先述の通りイランはイスラエルから脅威を受けていないので、これは純粋にイデオロギー上の問題という性質が強かった。イラン国内には「アメリカとイスラエルに死を!」というスローガンが掲げられ、イスラエルは一方的に攻撃されることになった。

 イスラエルへの敵視はイランが地域に勢力を拡大する上でも役に立った。中東地域で反イスラエル政策は大変人気があり、このポリシーを掲げているだけで「正義の味方」のような印象を与えられるからだ。現にイランはシリアと協力関係をむずび、レバノンに進出していた。1979年にエジプトはイスラエルと平和条約を結び、他のアラブ諸国もイスラエルとの敵対の意志を無くしていったため、イランは唯一反イスラエルを掲げる地域大国として、勢力を伸ばす事ができた。

 イラン革命防衛隊の影響下で作られたレバノンのシーア派武装勢力がヒズボラである。ヒズボラはレバノン内戦時の南部でイスラエルの占領に反対して戦い、内戦終結後はレバノン最強の武装勢力となった。ヒズボラの保有する軍事力はレバノン政府軍を圧倒しており、事実上レバノンの安全保障はヒズボラが担っている。レバノンは複雑怪奇な分裂した国であり、ヒズボラも軍事力で自分の意志を押し付けることはせず、和平合意を一応は守っている。しかし、イランのレバノンでの影響力がかなりのものであることは間違いないだろう。

ペルシャ帝国の復活

 とはいえ、ヒズボラ関係を除けばイスラエルとイランは本格的な対立関係には陥らなかった。むしろ水面下で強力していたフシすらある。イラン・イラク戦争の時はイスラエルはイランに武器を輸出しており、これは後にイラン・コントラ事件としてアメリカで問題になった。やはり両者の地政学的な相性は非常に良いのだ。露仏同盟のようなものである。1980年代から2000年代序盤にかけてはイラクという共通の宿敵がいたため、両国の対立は抑制されていた。イスラエルとイランはアラブ諸国という共通の敵がいるため、協力し合うことへの強力なインセンティブが働く訳である。

 ところが、イランとイスラエルの溝は深まっていく。イランがどんどん強くなっていったからだ。イランにとって最大の脅威だったイラクのフセイン政権は湾岸戦争で弱体化し、イラク戦争で完全に消滅した。イランは混乱に乗じてイラク国内に勢力を伸ばしていった。2000年代になるとイランの核開発問題がイスラエルにとって悩みの種となり、イスラエル空軍が一方的にイランの核施設を空爆するのではないか、という懸念が取り沙汰された。

 2010年代になるとアラブの春によってアラブ世界は途方もない混乱に襲われた。イラクが崩壊してしまったので、サウジアラビアは自力でイランの勢力拡大を抑えようと頑張ったが、駄目だった。サウジアラビアの政策はISISを生み出すことになった。イランはここぞとばかりにISISを掃討し、イラク国内での地盤を固めた。イランはシリア内戦にも参戦し、アサド政権を滅亡から救い出し、強い影響下に置くことができた。現在のシリア国内はイランの息のかかった武装勢力が大量に駐屯しており、シリアは衛星国となりはじめている。気が付いてみるとイランはレバノンに至るまでの陸の帝国を作り上げており、サウジアラビアは窮地に陥った。サウジアラビアはイランに勢力拡大を防ぐためにイエメンに軍事介入を行ったが、サウジ軍が弱すぎて逆効果になり、フーシ派の地盤を強めてしまった。

2020年代の地政学

 サウジアラビアは「万事休す」になり、ついにプライドを捨てることにした。サウジアラビアはイスラム教の守護者を自称しているにも関わらず、イスラエルとの接近を目論んだ。既にいくつかのアラブ諸国はイスラエルと国交を樹立している。サウジアラビアのムハンマド皇太子は改革を推し進めており、イスラエルとの接近もその1つだった。

 イスラエルは2010年代後半になるとシリア国内のイラン協力者を攻撃するようになった。この時期になると、イスラエルにとってイランは抜き差しならぬ脅威になっていたからだ。アラブ世界があまりにも弱体化してしまったため、イランとイスラエルの共通の敵がいなくなってしまった。イランと対立しているアラブの国家は全てイスラエルにすり寄っており、気がつくとイスラエルは地域の対イラン同盟の柱になり始めていた。こうなると、イランとイスラエルの間の対決が起こり始めるのは必然だ。イスラエルは中東地域を飲み込んだ新生ペルシャ帝国と対決しているわけである。

 2010年代の中東はイランとサウジアラビアの対決が中心となっており、イスラエルは2014年のガザ侵攻を除けば比較的地味な役回りだった。しかし、もうそんな余裕はない。2020年代の中東はイランとイスラエルの対決で回だろう。なぜならイランに対抗する親米勢力が残っていないからだ。サウジアラビアは2023年のイランとの国交回復にも見られるように、単独でイランに対抗する体力が無くなっている。

 これまでのイランはイスラエルを敵視する発言を繰り返していたが、ポピュリズムの域を出なかった。しかし、イランが勢力拡大を続けた結果、ついにイランはイスラエルとの対決を視野に入れるようになった。アメリカと対決し、シリアとレバノンを「領地」にする限り、イランはイスラエルの問題に注力せざるを得ない。

拡大するイランの勢力圏
サウジアラビアは独力で対抗できず、イスラエルが頼みの綱である

10月7日の攻撃

 両国の抗争は既に始まっている。2023年10月7日のハマスの攻撃は独力で成し遂げられたとは考えにくい。確実にイランの諜報機関の支援があったはずだ。スンニ派のハマスは2011年シリア内戦で反体制派を支持したため、暫くイランとは絶交していたのだが、いつの間にかよりを戻したらしい。先述の通り、パレスチナ人はイランの同胞とは言い難いのだが、都合の良い存在であるためか、スンニ派勢力で唯一ハマスはイランの支援を受けている。

 イランの勢力は既にイラク・シリア・レバノン・イエメンに広がっており、イスラエルはこうした勢力とも戦わなければならない。ガザ戦争と並行してシリアとレバノンではイスラエル軍が親イラン民兵や革命防衛隊の工作員を攻撃している。対するイランもイエメンのフーシ派を動員し、海上でテロを繰り返している。 

 イスラエルは10月7日の攻撃を受けて興奮状態にあり、前例のない攻撃性を見せている。ハマスとの交渉は無視し、もはや人質奪還には興味がないようである。この調子だとシリアやレバノンといった他の地域に戦闘を拡大させる可能性もゼロとは言えなくなってきた。

 サウジアラビアや他のアラブ諸国は世論の板挟みと自らの弱さによって身動きが取れない状態だ。これはおそらくイランが意図したものだろう。パレスチナ問題が炎上すればするほど、サウジアラビアのイスラエルへの接近は難しくなるし、場合によってはアラブ諸国のさらなる弱体化を図れるかもしれない。アラブの民衆はパレスチナ問題に無為無策な自国政府に怒るだろう。ガザの難民がエジプトやヨルダンに流入した場合、新たな紛争が発生する恐れもある。これまでの40年と同様、イランはあまりにもアラブ諸国が分裂を繰り返すため、これ幸いとばかりに勢力圏を拡大することができるだろう。

全面戦争は考えにくい

 現時点でイスラエルとイランの限定的な衝突は起こっているが、今のところ全面戦争が起こる可能性は低い。あくまで2010年代にサウジアラビアとの間に起こった冷戦と似たような展開になるだろう。全面戦争になる一線をお互い超えないということだ。理由は色々あるが、簡単に言えば両国が離れすぎているからだ。

 イランの側はイスラエルに全面攻撃を仕掛ける能力も意図もないだろう。イランがイスラエルに大規模な攻撃を仕掛けるには陸路でレバノンまで大兵力を送らなければならない。そんな長大な兵站線をイランは維持できないし、アメリカの怒りを買う可能性が高い。イランはレバノンまでに至る勢力圏を完全に確立できたわけではなく、道中にアメリカの軍事基地が嫌がらせのように居座っている。シリア南東部やイラク中央部の米軍基地は明らかにイランを威嚇するためのものだろう。

 イスラエルにとってもイランに大規模攻撃を仕掛けるメリットはないだろう。イスラエルは強大ではあるが、基本的に小国なので、大規模な戦争に介入する余裕はない。イスラエルはガザの殲滅で手一杯だろう。レバノンやシリア南西部に侵攻したら兵力が足りなくなってしまう。ましてやイランに全面戦争を仕掛けることはできない。

 従って、現時点ではイランの攻撃はパフォーマンス目的の散発的なものになっている。イエメンやレバノンでの小規模な小競り合いだ。イスラエルはあくまで観念的な目標であるため、イランにとってはイラクや湾岸ほどの重要度はない。むしろイスラエルがガザを破壊すればするほどアラブ世界や西側の世論は混乱するため、イランにとって好都合だ。イスラエルは散発的にシリアやレバノンを空爆し、イランの関係者を暗殺しているが、これも威嚇の域をでない。レバノンのヒズボラは口先ではイスラエルへの戦争を仄めかしているが、実際のところ経済危機のレバノンの統治で手一杯で、イスラエルとの対決は避けたいだろう。これはシリアのアサド政権も同様と思われる。シリアは今まで慎重にイスラエルとの全面戦争を避けてきたし、この方針は今後も続くだろう。

 イランとイスラエルの全面戦争は考えにくいが、代理戦争や諜報戦争の類は今後激しくなっていくと思われる。イランはまんまとイスラエルを戦争に引きずり込むことに成功したので、イスラエルに攻撃を仕掛けたいという勢力を地域でいくらでも見つけることができるだろう。「ガザ虐殺への報復」をお題目にすればイランは地域で代理勢力を多数動員することができる。そのうちのいくつかをアメリカやサウジアラビアへの対決に向けることができれば上出来だ。現時点でもイラクではガザ戦争に触発された民衆が米軍撤退を要求しはじめた。米軍がイラクからいなくなればこの国はイランの完全な支配下に落ちるだろう。

対決はどのような形になるか

 今後考えられるイスラエルとイランの代理戦争はいくつかの戦場を想定することができる。最も可能性が高いのは第三次レバノン戦争だ。イスラエルは1982年と2006年にレバノンで大規模な軍事行動を行い、レバノンは大混乱に陥った。現時点で最も戦場になる可能性が高い地域だろう。タダでさえ崩壊寸前のレバノンは存亡の危機に陥ると思われる。

 シリアはレバノンよりも遥かに人口が多く、面積も広い。イスラエルはシリア領内に本格的に侵攻することはできないだろう。軍事的に可能でも、統治ができないからだ。したがって、シリア国内ではイスラエルは散発的な攻撃の域を出ないと考えられる。シリアのアサド政権に1973年のようにイスラエルと戦争を行う体力は残っていないので、シリア国内で勝手にイランとイスラエルが殺し合うことになる。シリアはいわば「大きいレバノン」となってしまったのである。アサド父時代はシリアが我が物顔でレバノンに介入していたことを考えると、皮肉だ。

 ガザと西岸の運命に関してはなんとも言えない。両者共にイラン勢力からは隔離されており、イランが直接両地域に接続することはできない。今後のガザ地区は西岸と同様に自治政府の下で細切れに分断される可能性が高く、イランがパレスチナに直接介入することは難しいだろう。イランの関与は精神的なものになる。両地域でのテロリズムを推奨し、イスラエルの報復を誘発するのである。そうすれば、イスラエルが邪悪な国であるというイランの主張に説得力が増してくるだろう。

 イエメンも争点になる可能性が高いが、こちらの方はイスラエルのキャパを大きく超えてしまうため、諜報機関の行動がメインとなるだろう。イエメンの正統政府は2011年に崩壊しているため、外部勢力が介入してフーシ派を排除するのは無理だ。フーシ派自身もイエメン国内での地盤を第一に考えるだろうから、アメリカの直接介入を引き起こす一線は超えないだろう。

 これまた想定しうる展開として、イスラエルがイランの核施設を勝手に空爆するというシチュエーションがある。これもまた全面戦争には繋がらないだろうが、イランのプライドは傷つくだろうから、世論の手前もあってイランは大規模な報復攻撃に出るだろう。ただし、アメリカがこんな暴挙を許すかは分からない。

  本当に可能性という話でしかないが、シナイ半島とヨルダンも戦場となる可能性がある。ガザからの難民が過激派に感化されて反乱を起こすケースだ。イスラエルはエジプト・ヨルダンの政府を何が何でも支援するだろうから、新たな代理戦争の舞台となるかもしれない。このシナリオはアメリカにとっても悪夢だ。これまでの中東秩序が完全に崩壊する可能性を秘めているからである。エジプトで政変が起こってイスラエルとの平和条約を破棄したらどうなるか。ヨルダンが崩壊し、混乱がサウジアラビアまで飛び火したらどうなるのか。可能性は予測不能だが、だからこそ厄介な事態とも言える。これはかなり恐ろしいシナリオである。

 2010年代と違ってサウジアラビアは大人しくなるだろう。イエメン介入の失敗で軍事力の脆弱さをさらけ出したし、パレスチナ問題に深入りして原理主義者の怒りを買ったら大変なことになるからだ。サウジアラビアとしてはなんとかイスラエルに穏便に済ませてほしいのだが、イスラエルが人のアドバイスを聞く国ではないことが悩みのタネである。サウジアラビアは国交回復と引き換えにガザからの撤退を要求しているが、イスラエルは聞き流している。

 イスラエルはやられっぱなしという訳にはいかない。イスラエルがイランを揺さぶるために使える代理人は存在するだろうか。候補として考えられるのはクルド人とアゼルバイジャンである。地域で孤立しているイスラエルとクルド人は実は以前から友好関係にある。イラク北部のクルディスタン地域にはイスラエルの拠点が置かれているらしく、イランの攻撃を受けた。アゼルバイジャンは潜在的にイランと対立関係にあり、イラン北西部のアゼリ人が反乱を起こせば大変なことになる。アゼルバイジャンは建国当初からイスラエルと同盟関係にあり、2021年のアルメニアとの戦争はイスラエルの軍事支援が大いに役立った。ただし、両者を活用した場合は別の問題が関わってくるだろう。それは中東最強国・トルコだ。

ワイルドカードとなるトルコ

 一連の中東の対立構造である種のワイルドカードとなっているのがトルコだ。トルコはこの20年、常に第三勢力として振る舞ってきた。西側との同盟を破棄している訳では無いが、西側の中東政策に歩調を合わせているわけでもない。サウジアラビア・エジプト・イスラエルといった親米勢力とは不協和音を奏でている。トルコは同じく第三勢力として振る舞うカタールを味方に付け、日に日に中東で存在感を増している。

 トルコが無視できないのはその国力だ。イスラエルと違い、トルコはイランに匹敵する大人口を持ち、経済力はイランを遥かに上回る。中東諸国の中でも突出して国力が強く、軍事的にもおそらくイスラエルを上回り、最強だ。今までのトルコは中東に関与することを避けていたので、地域で控えめな存在感しか見せていなかった。しかし、自国の南にペルシャ帝国が復活するともなれば、考え方は変わるかもしれない。

 現在のトルコはイランとの関係は悪くない。しかし、シリアのアサド政権と深刻な対立状態にある。自国の南縁にクルド人勢力の根拠地が存在するため、国家安全保障上の理由でトルコは南進せざるを得ない。シリア情勢はあまりにも複雑でめまいがするが、トルコは何らかの方法でシリアの不安定を解消する必要があるだろう。もしかしたらシリアに全面侵攻する可能性もゼロではない。

 副次的な対立としてコーカサスが挙げられる。ロシアが弱体化したことでこの地域は不安定化が加速している。アゼルバイジャンは思うままに振る舞うことができ、アルメニアは存亡の機器に陥っている。トルコはアゼルバイジャンと民族的に不可分であり、この問題に重大な影響力を持っている。アゼルバイジャンはイランにとっては潜在的な脅威で、しかもイスラエルと協力関係にある。もしイランとイスラエルの対立がコーカサスに飛び火することがあれば、トルコが何もしないとは考えられない。

 トルコ(とカタール)は親米陣営と反米陣営の対決でどちらか一方の肩を持つこと無く、影響力を行使しようとする素振りがある。今回のイスラエル・ハマス戦争に関しても、エルドアンはイスラエルを厳しく批判しており、国内にハマスが活動拠点を置くのを許可している。しかし、現時点ではイスラエルとの国交断絶や軍事協力の解消には至っていない。この点はカタールも同様だ。カタールはハマスの指導者が亡命している国だが、イスラエルに敵対的という訳ではなく、あくまで両国のパイプ役として振る舞いたいようだ。ハマスは元々エジプトの反体制派であるムスリム同胞団から派生した組織であり、ムスリム同胞団はトルコ・カタールと親密であるため、ハマスにはもとから好意的だった。同じ仲介役でもハマスを敵視するエジプトよりも遥かに頼りがいがあるだろう。

 トルコの振る舞いは予測できない。ロシアやバルカン半島など、他にも対処すべき問題が山積しているため、中東にどこまでエネルギーを注げるかも不透明だ。エルドアンの理想はパレスチナ問題に介入して両者の交渉を仲介し、和平の立役者として称賛されることなのだろうが、現状ではそうなっていない。トルコが第一に対処すべき問題はシリアだが、完全に手詰まりの状態だ。

 トルコの国力は年々増しているので、中東の支配的勢力となるのは時間の問題だろう。ただし、それが2020年代に起こる訳では無い。いずれトルコはイランを屈服させ、アラブ世界を抑え込み、イスラエルに折り合いを付けさせるだろう。パレスチナ問題が解決するとすれば、これが唯一のシナリオだ。地域覇権国となったトルコがイスラエルとパレスチナの両者に和解を強制し、両者が内部の強硬派を排除しながら渋々平和を構築するのである。イスラエルは国力で圧倒するトルコの圧力に逆らえず、一部の入植地を放棄せざるを得ない。パレスチナは憤慨するが、同じイスラム教スンニ派のトルコへの憎悪は限定的となる。いくつかの重要拠点にはトルコ軍が駐屯し、イスラエルの安全保障問題は軽減される。ユダヤ人国家としてのイスラエルは存続するが、パレスチナ国家とは分立しているような、統合しているような、奇妙な状態になるだろう。入植地のユダヤ人は撤退するか、アラブ系イスラエル人のようにパレスチナ国内で生活するかの二択を迫られる。両国の行き来は自由である必要があるだろう。エルサレムは国際管理となり、イスラエルの排他的な領土ではなくなるに違いない。

 パレスチナ問題はもう100年近くも火を吹いている状態だが、それ以前の平和な状態はオスマン帝国が地域一帯を支配していたからだ。当時と違ってパレスチナには大量のユダヤ人入植者がおり、彼らの排除は不可能だが、和平を達成することは可能だろう。この問題を解決するにはもはや新オスマン帝国の復活しかないのではないか。

 1979年以来、イランは着実に地域覇権国への道を歩んできた。最初の敵はイラク、その次はサウジアラビア、その次はイスラエルだ。どの勢力も固有の弱点によって戦略が狂い、イランはどんどんゲームを勝ち進めていった。イスラエルの次にイランに立ちはだかる敵はおそらくはトルコになるだろう。2030年代に見られる中東の抗争はイランVSトルコになるかもしれない。

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