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<地政学>大日本帝国の興亡を地政学で考える

 地政学記事を書いてきたが、やはりバランシングがどうのといった抽象論ではなく、具体論に持ち込んだ方が分かりやすい。今回は大日本帝国を例にとって地政学的な考察を行いたいと思う。大日本帝国は海洋国家でありながら大陸に深く介入し、拡張主義を繰り広げた国だ。こうした性質はどこからやってくるのか、この点も考えてみたいと思う。

孤立した大国

 日本はユーラシアの大文明圏の中ではかなり孤立した部類に属する。ユーラシアの東の端に位置している上に、大陸とはかなり距離が離れているからだ。イギリスやスリランカと比べても日本は大陸からの交通が困難だ。ただし、文明の流入を妨げるほどではなかったので、日本は古来から農耕文明を発展させることができた。緯度がユーラシアの温帯地帯と同じだったのも幸いしただろう。サハラ砂漠以南のアフリカや新大陸はあまりにもユーラシアから隔絶されていたので、文明レベルが数千年も遅れてしまった。日本は幸いそのようなことはなかった。

 海で隔てられた国は攻めるのが難しい。お陰で日本は有史以来攻められたことがほとんどない。鎌倉時代の元寇は大規模な攻撃だったが、日本側が勝利している。ユーラシアを揺るがした遊牧民の侵入とも無縁だった。これはかなり稀なことだ。日本史は外部勢力による支配の歴史が無く、古代から一本で日本という国が存在していたかのような構図になっている。民族移動や帝国による征服の歴史一切存在しないのだ。日本の天皇家が世界一長い歴史を誇るのも、外部勢力による侵略が皆無だったことが原因だろう。

 島国は軍事的に難攻不落だが、通商には有利という特徴を持つ。本来だったら日本は大航海時代に朱印船貿易の延長で対外進出をしてもおかしくなかったが、なぜか鎖国で内向きになってしまい、ヨーロッパに比べて近代化が遅れてしまった。

日清戦争

 1868年、日本は明治維新を遂げ、これまでとは全く違う国へと生まれ変わる。次々と工業化を成功させ、猛烈な勢いで軍備を拡大していった。近代化に必要な変数は地政学だけでは説明できないところがあり、なぜ日本だけが先陣を切ったのかはいまだによくわかっていないが、とにかく日本はアジアで唯一近代化を果たしていた。

 日本の地政学的な問題はこの時点では朝鮮半島だった。外敵が日本を攻めるとしたらその拠点は朝鮮半島に違いないだろう。このような考え方は珍しいものではない。全ての大国は緩衝地帯を拡大させ、自国の安全を確保したがるものだ。特にこの時代は日米安保のようなものは無かったので、自力で安全保障を勝ちとらねばならなかった。問題は李氏朝鮮が緩衝地帯としての役割を果たせるのかという点である。

 当時の東アジアには大国が三つ存在した。それは日本・清朝・ロシア帝国である。このうち清朝とロシアは大陸国家、日本は海洋国家だ。清朝は人口こそ莫大だったが、工業化が深刻に遅れており、国内も不安定だった。そのため、推計される国力に比べてはるかに劣る軍事力しか行使できない状態にあった。問題はロシアだ。ロシアは当時南下政策で東アジアへの拡張をもくろんでおり、朝鮮半島にも食指を伸ばしていた。満州は完全にロシアの勢力下にあった。

 当時の李氏朝鮮はあまりにも弱かったので、外国の介入を排除できる状態ではなかった。当時の朝鮮は大院君と閔妃の争いとか、甲申事変とか、とにかく政情が不安定だった。日本としては他の大国にとられる前に朝鮮半島を取らねばならない。こうした危機感を背景に起こったのが日清戦争だった。

 工業化が進んでいたとはいえ、元の人口が違いすぎるので、当時の日本の国力は清朝に及ばなかった。その上日本は海洋国家であり、清朝のような大陸国家とは違う。日清戦争に日本が勝利できたのは比較的幸運な出来事だったと言えるだろう。この要因は主に二つある。一つはあまりにも清朝が遅れていたこと、もう一つは戦場が海岸付近に留まったことだ。

 以前の記事で大陸を超えて戦力を投射することや、海洋国家が大陸を支配することの難しさについては語った。ただし、これはあくまで相手国が近代国家であることが前提だ。19世紀の段階では工業化の進んだ先進国と近代以前の暮らしが続く途上国の格差があまりに大きかったので、西欧諸国は簡単に第三世界を支配できた。イギリスは英領インドを支配していたし、ヨーロッパで行ったような大規模な軍事力を使う必要はなかったのだ。この時代の東アジアも、あまりにも清朝が弱かったため、イギリスやフランスは勝手に勢力圏を作り、支配地域を拡大していた。このような状態だったから、工業化を始めたばかりの日本であっても簡単に清朝に勝つことができたのだ。実のところ、先進国と途上国の圧倒的な格差は現在も存在しており、アラブイスラエル戦争や湾岸戦争にも見ることができる。

 また、半島部や沿岸部であれば海洋国家でも有利に戦闘を進めやすい。クリミア戦争や第二次世界大戦のイタリア戦線が良い例だ。この場合は海洋国家側は長大な海岸線を利用して上陸攻撃を仕掛けやすいし、大陸国家側は兵站が難しくなる。日清戦争で戦場となったのは朝鮮半島や遼東半島に台湾であり、清朝の本拠地からは離れていた。黄海海戦で清朝の海軍は大敗し、日本軍の侵攻はますます簡単になった。

日露戦争

 続いてやってきたのは日露戦争だ。結論から言うと、日清戦争に勝利しても朝鮮半島の問題はなくならなかった。李氏朝鮮は日本に併合されるのを恐れ、ロシアに泣きつくようになった。ロシアはこれ幸いとばかりに朝鮮半島に進出するようになった。李氏朝鮮から見るとロシアは陸軍国ではあるものの、遠隔の大国で戦力投射が難しいのに対し、日本は目と鼻の先にいる拡張主義国家だから、日本の方を恐れるのも無理はないだろう。李氏朝鮮の難しい立場は大国のはざまに立たされた中規模国によくある現象だ。

 日本としては朝鮮半島を支配しないまでも中立化したかったが、ロシアの進出は避けられないように見えた。日本は満韓交換論で何とか朝鮮半島へのロシア進出を止めようとしたが、ロシアは拒否している。義和団事件の後の清朝は存在感が無く、こうなると戦争しかないだろう。イギリスは日本を全面的に支援した。なぜならイギリスはロシアに対して封じ込め政策を行っていたからだ。オフショアバランサーのおなじみの手口である。

 日露戦争は日清戦争以上に不利に思えた、ロシアの人口は日本を上回っていた上に清朝と違って工業化が遅れていたわけではなかった、いわば日本は同程度に工業化を果たし、人口では自国を上回る陸軍大国と戦争を行ったことになる。基本的に勝ち目は無いはずなのだが、それでも日本は勝利してしまった。この理由はやはり二つある。一つ目はロシアの国内情勢が不穏だったこと、もう一つはロシアの中心部から東アジアが遠く離れていたことだ。

 海洋国家が大陸に足を踏み入れると苦戦するのは海を越えて陸軍兵力を送り込むのが難しいからだ。ロシアにとっても実は東アジアは似たような立ち位置にある。ロシアの人口密集地帯からシベリアは遠く離れており、シベリア鉄道で1万キロを輸送するしかなかった。こうなると、陸軍ははるかに脆弱になってしまう。ましてや海軍に至っては相当に不利で、バルチック艦隊は壊滅している。

 日清日露の両戦争で日本が勝利できた要因は何か。清朝とロシアの国力は日本を上回っていた上に、海洋国家の日本にとっては不利な陸上戦だったはずだ。勝因は両国が偶然にも混乱期にあったこと、戦争が朝鮮半島を巡るものだったので、日本に地理的な優位があったこと、などが挙げられる。

 両戦争は日本にとってビギナーズラックのようなものだった。お陰で日本人はすっかり自分たちのことを東アジアの最強勢力だと思うようになった。戦利品として日本は朝鮮半島を併合することに成功する。本来は朝鮮半島の中立化と独立が目的だったはずなのだが、その場のノリもあって併合した。一等国としてのプライドを満たせるし、併合してしまった方が確実という考えがあったのだろう。これによって日本は大陸に恒久的な拠点を持つことになり、危険な罠に引き込まれていった。

帝国主義時代

 日露戦争を契機に日本は世界的な大国として名乗りを上げることになる。これ以降、日本は東アジアの地域覇権国を目指して拡張主義に走っていく。その要因は日本の成長のみならず、周辺国の混乱も影響していた。

 清朝は1911年の辛亥革命で滅亡し、中国は無政府状態に陥った。これにより、中国はもはや日本のライバル国ではなくなった。ロシアも同様に第一次世界大戦に敗北し、ロシア革命でひどい混乱状態にあった。シベリア出兵で日本はバイカル湖の辺りまで進出しているが、寒すぎて撤退している。シベリアの凍土は海や山岳と並ぶ強力な障壁として作用するため、日本がロシアを攻略するのは容易ではなかった。

 おまけに第一次世界大戦で西欧諸国が軒並み衰退したので、東アジアを分割していた西欧列強はもはや脅威ではなくなっていた。日本は戦勝国としてドイツ植民地の分け前をもらった。気が付くと日本は東アジアで唯一の大国になっており、ライバル不在の状態だったわけだ。

 海洋国家が大陸に介入するときの常とう手段は現地に同盟者を作り、間接的に介入することである。中国は分裂状態だったので、日本も同様のことを試みたのだが、軍閥は独立国と違ってあまりにも不安定だったため、うまく行かなかった。張作霖や段祺瑞といった同盟者はいずれも日本が頼りになる存在ではなかったので、思いのほか日本は直接介入することを求められた。

 1931年の満州事変で日本は満州を直接奪取することになった。この辺りから日本の大陸進出がエスカレートし始める。これは海洋国家にとってやってはいけない禁忌だ。大陸に引きずり込まれたら最後、勝ち目は無いからだ。満州を取ったことで日本は当時急激に強大化していたソ連とじかに接することになった。日ソは1930年代から散発的な国境紛争を繰り返しており、常に国境は緊張状態だった。ソ連は日本の強力なライバル国として立ちはだかり、日本にとって安全保障上最大の敵だった。

 続いて1937年、日本は日中戦争に突入する。この時点で日本の敗北は確定した。隣接地域を次々と征服して安全を求めるのは大陸国家にありがちな性質だが、日本はこの方針を取っても勝ち目は無い。海洋国家が内陸部に進出してどうするのか。日本は勝てば勝つほど困った事態になっていった。5億の中国人を支配する方法などないからだ。中世のイングランドが百年戦争に介入して痛い目に遭ったように、日本は大陸進出にのめりこんだため、失敗したと言えるだろう。

大東亜戦争

 海洋国家は大陸に深入りしてはいけない。イギリスは欧州最大の工業力を持っても大陸に領土を拡張しようとはしなかった。超大国アメリカもまた、ユーラシアには同盟国を通した介入ばかりだ。ベトナム戦争や対テロ戦争のように直接介入した時もあるが、うまく行っていない。海洋国家はオフショアバランサーとして大陸をかき乱し、自身は通商に力を入れるのが最適だ。

 ところが海洋国家が大陸に進出する時もある。大陸側の勢力があまりにも弱い場合、海洋国家の進出の余地が生まれる。例えば中世のイングランドは大陸に介入を続けていた。それは征服王朝のイングランドが強力な王権を持っていたのに対し、フランスの王権が極端に弱く、無数の小国家の集まりのようになっていたからだ。18世紀のインドも同様で、無数の藩王国を懐柔してイギリスはほとんど抵抗を受けることなく支配することができた。

 20世紀前半の日本も似たような状況だった。いち早く工業化を進めたことは重要だったが、それだけではない。日清日露に運良く勝利し、中国やイギリスといったあらゆるライバルが自滅していったので、日本は権力の真空状態に直面するようになった。唯一ライバルだったのはソ連だ。当時の日ソはお互いを最大の仮想敵だと認識していた。こうした状況に応じて日本は大陸に引き込まれていったのだ。要するに、日本の帝国主義政策の究極の原因は中国の内戦と第一次世界大戦による勢力均衡の崩壊にあったと言えるだろう。

 また、日本の弱みとして、工業化に必要な資源が存在しないというものもあった。これは世界覇権国のイギリスや国土が広大なアメリカには無縁の悩みだった。両国と違い、日本には大陸に積極的に進出するメリットがあったのだ。大陸の真空地帯をプル要因とすれば、こちらはプッシュ要因だろう。

 そんな東アジアにもオフショアバランサーが現れる。それがアメリカだ。アメリカは日本が地域覇権国になることを恐れ、中国に支援を始めた。日本は海上封鎖で援助を遮断しようとするが、中国が広すぎてうまく行かなかった。その上、ソ連が強大化していたので、日本は地域覇権国になるのは難しかった。この時点ではアメリカは日本と戦争をする必要は無かった。

 1941年、ドイツがソ連に侵攻し、ソ連は東アジアどころではなくなる。日本は東アジアで唯一の大国となった。これは東アジアから最後のライバルがいなくなったという点で日本にとっては千載一遇のチャンスであり、アメリカにとっては悪夢だった。この時点で日本は既に本国が降伏したフランスやオランダの植民地に手を伸ばそうとしていた。日本が背後からソ連を攻撃したらソ連が崩壊してアメリカはヨーロッパとアジアの両面で敵対的な地域覇権国に直面することになる。アメリカはなんとしてでも日本の地域覇権を食い止める必要があった。自分が対峙している国が東アジアの新興勢力ではなく、ナリスドイツと結びついた世界的脅威だと気が付いたのである。

 そのため、アメリカは日本にすさまじい圧力をかけるようになった。戦争を誘発してもおかしくないほどの圧力だ。一方の日本はナチスドイツという勝ち馬に乗ろうとした。ドイツの欧州征服は時間の問題だから、アメリカに戦争を仕掛けても大丈夫だろうというわけだ。ドイツもこれ幸いと日本を唆した。こうして太平洋戦争が始まる。

 日本の誤算はナチスドイツがソ連に勝利できなかったことだ。これによって全ての計算が狂ってしまった。しばしばなぜ日本は勝ち目のない戦争を仕掛けたのかという点が議論になるが、その答えは日本はおろかアジアにすらなく、ヨーロッパにあったのである。日本の敗北が確定したのはドイツ軍がモスクワの戦いに敗れ、ソ連攻略に失敗した時だった。時に1941年12月7日、真珠湾攻撃の前日だった。この瞬間、大日本帝国の命運が決まったと言えるだろう。

破滅

 太平洋戦争は前例のない大規模な戦争だった。日本の歴史の中で突出して大きかっただけではなく、海軍大国同士が総力戦を戦った史上唯一の戦争である。意外に海軍大国同士の戦争は少なく、英蘭戦争や米英戦争くらいだろうか。それでも規模ははるかに小さい。二度の世界大戦の原因となったドイツは陸軍国家なので、海軍はたいしたことがなかった。世界の海上戦の中で太平洋戦争は突出して規模が大きく、現在に至るまで並び立つものは現れない。史上最大の陸上戦である独ソ戦と対をなす存在と言えるだろう。

 大型空母同士が戦争を行った戦いは太平洋戦争くらいだし、戦争の過程で行われたミッドウェー海戦・マリアナ沖海戦・レイテ沖海戦といった海戦はどれも歴史上最大規模だった。サイパン島陥落移行は本土空襲が行われ、日本本土は焼け野原となった。そして、史上唯一となる核攻撃が行われた。日本の最大進出域は世界の歴史でも例がない広さだ。北はアラスカ、西はインパール、南はガダルカナル、東はミッドウェーとすさまじい領域だ。なにしろ中国内陸部を除く東アジアの全域と、東南アジアの全域に、太平洋の半分を足したエリアなのだ。

 大日本帝国は稀に見る海上戦が帰趨を決した戦争だった。普通は敵国を滅ぼすには血みどろの地上戦を行わなければならない。空爆はインパクトこそ強いが、じつは空爆で滅びた国は存在しない。日本やドイツも連日の空襲にもかかわらず兵器生産は続いていた。やはり征服に必要なのは陸軍力なのだ。ところが日本は島国なので、周囲を海上封鎖してしまえば簡単に干上がってしまう。お陰で米軍は日本本土に侵攻することなく日本を降伏させることができた。大陸国家にこの手段は使えない。この5年後に北朝鮮は同様に米海軍と米空軍の激しい攻撃を受けたが、陸続きで中国から支援が来るので戦争を続けることができた。太平洋戦争は海洋国家同士の戦争というレアな特徴を備えていたと言えるだろう。

 大日本帝国の滅亡を招いた要因は何か。日本人の精神性や軍の統帥システムなどが良く挙げられるが、地政学的な説明としては物足りない。アメリカの存在は重要だが、それだけでも説明は難しい。大日本帝国の滅亡を招いた究極の要因とは、海洋国家にも拘わらず大陸に深入りしてしまったことなのだ。東アジアの地政学的特徴は、この地域が海洋側と大陸側に二分されていることだ。この地域の宿命は日本と中国がお互いを征服できないことであり、日中戦争には最初から無理があった。安土桃山時代の日本は大陸進出に勝ち目がないことを悟り、懸命にも撤退することができた。しかし、明治日本は偶然にも勝ち続けてしまったので、大陸国家にありがちな無制限の拡張という罠に囚われてしまったのだ。仮に太平洋戦争でアメリカの戦意をくじくことに成功しても、日中戦争という問題が解決しない以上、日本は結局は良くない結果に向かっただろう。日本の陸軍力で果たしてソ連に対抗できたかも怪しい。

 結局、日本は運が良すぎた故に過剰拡張に走って滅亡したと言えるだろう。戦前の日本は中進国であり、国力はフランスとイタリアの中間くらいだった。アメリカの8分の1、ドイツの3分の1である。それにもかかわらず、日本は周囲が真空地帯ばかりだったので、かりそめの大帝国に飛びついてしまった。朝鮮は無力で、中国は無政府状態、ロシアは崩壊寸前で、大量の植民地を持っている西欧列強は世界大戦でアジアどころではなくなった。唯一の懸念はソ連だが、この国は欧州の戦いに引きずり込まれていった。日本の拡張主義は周囲がブルーオーシャンだったから引き起こされたのだ。海洋国家日本としてはこれ以上にない皮肉である。

戦後日本の地政学

 日本の降伏をもってアジア最大の勢力は突如消滅した。同時にアジアに君臨していた英仏の植民地帝国も消滅したので、地域には再び巨大な真空地帯が誕生した。1949年に中国共産党が内戦に勝利し、地域に新たな勢力均衡を生み出した。日本の懸念事項だった資源と市場の問題は両者をアメリカが無償で提供したことで解消した。

 この時点で東アジア最強の地域大国はソ連だった。アメリカはヨーロッパで行ったのと同じやり方で地域の勢力均衡を取らねばならなかった。ソ連が東アジアを支配するのを妨害するため、アメリカは朝鮮戦争とベトナム戦争に介入することを余儀なくされた。東アジアはソ連にとって交通が困難な地だったため、ソ連は間接戦略を好んだ。ソ連は大戦末期に奪取した満州と北朝鮮を現地の共産主義者に引渡し、自軍は撤退させた。ソ連に対するバランシング同盟には中ソ対立以降の中国も加わっている。お陰でソ連は崩壊し、北朝鮮は脆弱国家となって脅威にならなくなった。

 次に東アジアの最強国となったのは中国だ。日本は中国とのバランシングのため、アメリカとの同盟を強化している。日本が強かった時代は中国を応援し、中国が強くなったら日本を応援するという単純な構図でもある。安倍元首相はこの対中バランシング同盟にロシアも引き入れようとしたが、失敗している。

 朝鮮半島が日本の安全保障上重要という事実は、現在でも当てはまる。ただ、この半島にはそこそこ強力な緩衝国家である韓国が存在する。日本の脅威になるほど強くはなく、外国に飲み込まれるほど弱くはないという点でこの国は理想的だ。韓国はただ存在するだけで日本の利益にかなう。戦後日本の平和を守っていたのは警察予備隊でも憲法9条でもなく、共産主義の防波堤となった韓国軍だったのである。

 戦後日本は地政学的に安泰である。アメリカと手を組んでいる限り、天然資源の海上交易が途絶することはない。朝鮮半島には韓国という緩衝地帯があるため、脅威にならない。ロシアは衰退傾向にあり、東アジアで活動する余力はない。中国は強大だが、伝統的に大陸国家であるため、海を越えて日本に攻め込むのは難しい。仮に中国海軍が大幅に強力になったとしても、アメリカはこれを明確に脅威とみなすだろう。仮に米中が全面戦争になったとしても、矢面に立つのは韓国・台湾・ベトナムであり、沖縄を除いた日本本土は後方基地のままだろう。皮肉なことに日本は大陸を失ったことで海を盾にすることができ、しかも海防すら他国に丸投げという理想的な地政学的地位にあるのである。

まとめ

 今回も長くなってしまった。細かく説明すれば無限に長くなるが、地政学的概略に留めたい。日本は安全保障上の理由で朝鮮半島をライバルに渡したくなかった。李氏朝鮮はあまりに弱く、勝手にロシアと同盟を組むので信用できなかった。日清戦争と日露戦争で日本は朝鮮半島をようやく手に入れ、大陸に進出しはじめた。20世紀に入ると辛亥革命や第一次世界大戦でライバルが次々と自滅していき、日本は自分が地域で突出して強い勢力だと気が付いた。これ幸いとばかりにソ連に備えるために満州や中国本土を征服して地域覇権国になろうとしたが、これがまずかった。大陸で泥沼に陥って八方ふさがりに陥った日本はドイツとの同盟に活路を見出すが、これがかえってアメリカを刺激してしまい、太平洋戦争へと向かった。最終的に日本の大陸権益は全てソ連によって征服されてしまった。

 大陸権益を失ったことで日本はむしろ安泰になった。アメリカの自由貿易圏の下で日本は大陸ではなく海洋の方を向くようになり、むしろ地政学的強みを活かせるようになる。現在の日本は海の障壁に加えて韓国陸軍とアメリカ海軍の陰に隠れているので何もする必要がない。日本が英米のようなオフショアバランサーになるには自ら韓国・台湾を支援する覚悟が必要だが、現在の日本はそれらも全てアメリカに任せている。カナダやオーストラリアはバンドワゴニングの一環としてアメリカの軍事行動に積極的に参戦しているが、日本にこうした意欲はない。もはやフリーライダーという新たな地政学的カテゴリの国かもしれない。ここまでやる気のない国は戦前のアメリカくらいではないかと思う。


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