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他人から負の感情を向けられて自分を責めてしまったとき

わたしは自然が大好き。

いつでも自然の中に出かけられるように、自然が近い場所に住みたくて、2年前に東京から地方に移住した。

身体がちょっと重いな〜というとき、
モヤモヤしてどうしようもないとき、
息苦しさを感じたとき、
わたしは自然の中に行く。

神社、山、滝、森林に行き、
しばらく居座る。

それはそれは、とっても心地が良い。

呼吸がしやすくて、
ずっとこの場所にいたくなるような柔らかさで、
つい深呼吸してたくさん吸い込みたくなるような空気。

木々や自然は誰もわたしをコントロールしようとしない。
わたしを急かしたり、焦らせたりしない。
わたしがどんな状態であっても、穏やかでいつも通り。
わたしをそのままのわたしで居させてくれる。

自然の中に行くといつも思う。
”自然”という名前のとおり、
これが人間を含めた生きとし生けるものの本来の自然な姿なんだろう、と。

自然の中にいるときの穏やかなわたし、
呼吸がしやすくて、柔らかくて、ゆっくりで、五感を研ぎ澄ませて”今この瞬間”を感じるわたしが本来のわたしなのだと思う。



たくさんの人間と関わるとき、
特に”仕事をしているとき”とかお金が関わるような”ビジネス”の場にいると、わたしは苦しくなることがある。

”効率良く”とか”早く””速く”とか、
”いかに相手の期待に応えるか”とか、
”ミスなくきっちり正確に”とか、
そのとおりにしようと思えば思うほど息苦しくなるような現実がそこにある。

ビジネスの場に限らず、家庭や学校、今の社会全体がそうかもしれない。

おそらく、いろんなことを感じ取りやすい人は、その空気感だったり、相手の”期待”だったり、”期待どおりに動けよ!”という心の声だったり、”なんで早くできないの!”という相手の心の中のジャッジだったりに敏感に気づいてしまう。

幼い頃、それが家庭内でもあった場合は、幼い頃からのパターンを繰り返し、自分が悪いと自分を責めたり、相手の期待に応えようとしたり、自分にものすごいプレッシャーをかけているとも知らずにミスなく正確にきっちりとやれる自分であろうと頑張ろうとするんじゃないかな、と思う。親に愛されたいがために。
人によっては違うかもしれないけれど、これはわたしが経験し、わたしが今理解していること。
そして、これはわたしが今の社会で生きづらさを感じてきた大きな理由のひとつだと思う。


・日々の自分自身の感情を理解すること
・なぜそのような感情になるのか、そこにどんな思考パターンがあるのかを理解すること
・幼い頃に傷ついていたことに気づくこと
・その感情や過去を癒していくこと
これらがとっても大事だとわたしは思っているけれど、(それがなかなかできないし、1人で進めることが難しいことも痛いほど理解しているけれど)
それとは別に、わたしの中で、最近、心がけていることがある。

それは、
相手から向けられた負の感情を受け取らない
ということ。

もちろん相手が本当の愛から言ってくれている場合、相手がジャッジなくただ事実を言っている場合、自分の制限からの思い込みである場合もあるけれど、明らかに相手から”怒り”や”失望”など負の感情を向けられていると感じたとき。

相手は相手の制限の中でわたしを見ている。
「速く!!」「期待に応えて!!」「間違えるな!!」
これらの全ては、相手の中のもの。
「早くしないと怒られるから早く」「速くしないと評価されなくなるから速く!」「自分が思った通り(期待)にならないと怖いことが起こる」「間違えることはいけないこと、人格的に問題があること」とか、さまざまな信念と恐れを人は持っている。
全てはその人が持っている恐れから発生するもの。

それを”受け取らない”ということが本当に大事なんだなぁということが
本当につい最近、直近、わたしが感じていること。

わたしはずっと、
相手の期待に応えられなかった自分、相手を怒らせた自分が悪い、相手が自分を良くないと思っているのは自分が悪いんだ。
と自分を責め続け、相手がどうしたら自分をよく思ってくれるかと頭の中で考え続け、苦しくなっていた。


でも、そうじゃないんだな、と。
相手が自分に向ける負の感情のすべては相手の中の問題であり、わたしはそれを決して真に受けて受け取ってはいけないということ。
※1人でいるときに「受け取りません」って声に出してピシッと言ってみるのもわたしは良いと思っている。ちょっとスッキリした感覚だったり、自分の中にある強さや芯のようなものを感じたりする。

自然の中に行くことは、それを助けてくれると思っている。
自然の中で”ただ感じている”ことをしていると、ふと気づくことがある。
「誰にもコントロールされない、急かされない、焦らされないことがこんなに心地よいことなのか」と気づく。
時間の流れがとてもゆっくりで穏やかに感じる。
「そうか、”ゆっくり”が自然なことであり、”早く速く”は人間の恐れから来ているのか。」と気づく。
変な場所に生えている植物や不恰好な木を見て美しく感じ、
「すべて意味があり、完璧なんだ。”間違っている””いけないこと”と決めつけるのは人間の勝手な解釈なのか。」と気づく。


そうやって自然が教えてくれる”本当のこと”に気づいていくことは、わたしをとても助けてくれる。

もしも今、誰かから負の感情を向けられて、
自分を疑ってしまったり責めてしまっている人がいるならば、
「自然の中に行き、ただ感じること」
をしてみるのも良いんじゃないかな、とわたしは思う。

この話は
「自分を疑わない」「自分を責めない」というところに繋がると思うけれど、疑わないため、責めないためには、本来の美しい自分を思い出していく必要があると思っている。


それを自然はきっと教えてくれる
「わたしは何も間違っていない」
「このままのわたしで良い」
ということを。


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