見出し画像

あなたが見ている世界が本当だと、なぜ自信満々に言えるのか

 昨日、りんご探偵🍎さんのこちら記事を楽しく読ませていただきました。

 そして、読みながらあることを思い出しました。小学2年生のときの自分も、似たようなことを考えていたな、と。

 こんな話をしても現実離れしすぎているので、変な人間としか思われないだろうと思っていましたが、ひょっとすると、同じようなことを考えたことがある人は意外に多いのかもしれません。

 ということで、今回は、子どものときによく考えていたことについて綴りたいと思います。

(りんご探偵🍎さん、記事のアイディア、ありがとうございます😊)


広がる疑問、たどり着かない答え

 あの頃は、学校から帰るとまずはトイレに行き、考えごとをするのが日課でした。そして、目の前にあるトイレの壁をじっと見つめながら、不思議な感覚に陥るのです。

 私の世界は、この目で確認できる、この範囲内にしかありません

 つまり、ここから見えない世界で何が起きたとしても、私には分からないのです。それは出来事だけではありません。人やモノの存在すら、この視界や感覚が及ぶ範囲外にあるものは、私には認識できないのです。

 さらに言うと、自分がこうして確認できる範囲を超えたところに、私たちが普段思っている「世界」が本当に存在するのかということすら、実は分からないのです。あると思っているだけで、本当はなかったとしても、ないことを私たちは認識できないのです。

それなのに、なぜ大人たちは、自信たっぷりに、自分が見てもいない世界も含めて、それが真実だと話すのだろう。

 大人たちは言うでしょう。「他の人が実際に見て、教えてくれた」と。

 でも、それが真実だと、なぜ言えるのでしょうか。すべてはその人の作り話かも知れませんし、TVで流れるニュースだって、ドラマのように作り上げたものをあたかも真実のように放送しているだけかもしれません。それなのに、なぜ、ほかの人に教えてもらったことが本当のことだと信じるのでしょうか。

 そもそも、この「他の人」が本当に存在するのかだって怪しいものです。

 私は私しか体験したことがありません。自分しか体験したことがないのに、なぜ他の人も、自分と同じように存在していると言い切れるのかと不思議でたまりませんでした。実は、自分以外のみんなは、お互いに入れ替わりながら別の人間を体験している? いや、それはないと思う。

 そして、こう思うのです。

ひょっとしたら、周りのみんなすべて「存在しているように見せかけている架空の存在」っていう可能性もあるかもしれない。

 毎日、毎日、トイレに座ってはこんな事ばかりを考えていました。
 おしりを出して一体何をしているんだか。考えたところで、答えなんて出てきやしません。だから結局、毎日、同じことを繰り返し考えるのです。


私はマリオと同じかもしれない

 ある日からは、こんなことを考えるようになりました。

この世界は誰かが作った作り物で、私はそこに送り込まれた、マリオのような存在だったらどうしよう。

 私は自分の意志で生きていると思っていましたが、実はそれはすべて幻想で、誰かのコントローラーによって動かされているのです。便座に座っているこの瞬間も、実は、別世界にいる誰かにコントロールされているのです。

 もちろん、証拠なんてありません。行き過ぎた妄想だと言われることも分かってはいましたが、それでも、これを完全に否定できる証拠もないんじゃないかと強く思っていました。

 もし、自分の意志で動いていると信じるように作られているとしたら?


===

 だってさ、もし、もしよ、ゲームの中のマリオが話せたらね、こんなことを言うかもしれないよ。

ボクが君たちにコントロールされているって? そんな馬鹿げた話があるもんか。ボクは、ボクの意志で、ピーチ姫を助けるために、クッパを倒すって決めたんだ。ジャンプするのも、キノコを食べて大きくなるのも、フラワーを取って火を出すのも、全部ボクが決めて、ボクがやっていることなんだ。まったく、勘違いしないでくれよ。君たち人間は、これだから始末が悪い。

 ってね。

 そんなマリオに、「あなたは私たち人間が作ったもの」だって言ったところで、証拠をいっぱい見せたところで、きっと説得はできないと思うんだよね。それと一緒。

===


本当の世界を知らないのに教える先生は恥ずかしい

 こんな事ばかりを考えていたので、担任の先生を見ては「この先生、本当に大丈夫かな?」と思っていました。

先生
「世界には貧しくてご飯の食べられない子どもたちがたくさんいます。だから、食べ物には感謝して、残さずにいただきましょう」

私の頭
食べ物を大事にするのはいいけれど、先生の言う「世界の子どもたち」を、先生は実際に見てきたのだろうか。きっとニュースとかを見て、信じているだけだろうね。それをさ、あたかも「真実」かのように、まだ何も知らない子どもたちに語ってさ。それって、教師として大丈夫なのかな? 疑問を持たずに堂々と教えているのが、これまた恥ずかしい。誤っているかもしれない自分の世界観を、本当のことのように教えているんだよ? それよりも、もっと先に教えなければいけないことが、教師としてあると思うんだよね。それなのにさ、きっとみんなも、先生の話をそのまま素直に、本当の話だと受け取っちゃうんだろうなあ・・・。かわいそうな話だ。

 なんとまあ、かわいげのない子どもでしょう。


◆◆◆


 大人になるにつれ、このようなことを考えることはなくなり、さらには、こんなことを考えていたということすら、完全に忘れてしまいました。
 しかし、20代後半を過ぎたころから、このときのことを少しずつ思い出すようになるのです。そして、科学技術が進みクラウド世界やバーチャル世界が拡大していく今、改めてこう思います。

 あの時に感じたことや考えたことって、意外に的外れではないのかも。


 ではでは😊


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?