心が穏やかであれば、無敵である

嫌なことを言われたり、嫌なことをされたりすると気分が悪くなる。
今週は仕事で一件、プライベートで一件そういうことがあった。

そういった事情を経て、今週は「心が穏やかでさえあれば、そういう嫌なことがあってもダメージを大幅に軽減できる。むしろ、自分にとってプラスの経験にできる」ということについて考えた。


まず、仕事面について。

仕事の場で嫌な言い方をしてくる人はそれほど多くないが、もしそういうことがあったとしたら、それは相手の行動・心理パターンを理解する上での有力な材料でしかない。

記録・分析しておけば、何か月後か・何年後かのより大事な時(何らかの交渉ごとや、意思決定など)にそれを利用することができる時が必ず来るはずである。

「嫌な言い方」をわざわざ戦略として狙ってやっているケースも稀にあるだろうが、基本的には得策でないと考える。双方不快になり、仕事、信頼関係、心理面などあらゆる面でデメリットが生じるからだ。

そのため、そのような「不快な言動」にいちいちダメージを受ける必要はなく、一歩引いて冷静に分析し、自分に有利なように利用すればよい。それには、心に余裕を持った状態でそれに立ち向かうことが大切だ。


プライベートでも、同じことがいえる。

嫌なことをされると基本的にはストレスになるが、自分の心に余裕があれば、「どうしてその人はそのような振る舞いをしたのだろうか?」「その言動の背景には、どういう思い、環境、文化の影響があるのだろうか?」など、今後、人間の心理について考えを巡らせる一つのきっかけをもらったと考えることができる。

上手くいけば、noteに書くネタが一つ増えるまである。


とはいえ、嫌なことをされたり、嫌なことを言われたりすると、むかつくものはむかつくのである。

僕にとっては自分の幸せがまず大前提だが、人生でかかわりをもってくれた人には、できるだけ嫌な思いをせず、幸せでいてほしいと思うのである。

頑張って接客してくれるお店の店員さんや、道ですれちがう悲壮な顔をした人や、これを見てくれているあなたを含めて。

なので、もし嫌なことがあっても、なるべくダメージを軽減して、それをできるだけ辛い経験にしないでほしいと思ってこれを書いてみた。


ふとした言動が人を傷つけることができるのだとしたら、単なる文字列でも人を癒すことができる、と思っている。

言葉をもって、少しでも誰かを幸せにできるように対抗したいと思う。

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