たちばな

過去の体験談などを綴っていきます。

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最近の記事

保育園の頃、年長さん達の卒園式にあわせて、園のみんなでアルバムを作ることになった。 私はアルバムの表紙に、スイカの絵を描いた。緑色のクレヨンで、スイカのまあるい体を描き、T字のような形のヘタを描き、最後に黒のクレヨンでギザギザ模様を描いていた。その時、すぐ近くにいた誰かが叫んだ。 『そのギザギザのところ、すごい!』 私と同じ地区に住む、一個上の女の子だった。その子はスイカのギザギザを指さして、先生や他の子達を呼んだ。 みんな、口々にギザギザを褒めた。ただのスイカの絵な

    • カーテンコール

      鳴り止まない拍手の中、役者がお互いを称え合う。 「役者」が「人間」に戻り、「観客」が「自分」に戻る瞬間。 たくさんの「ありがとう」を拍手にのせて、同じ時間、同じ空間に生きているということを感じる瞬間。 夢の終わりを知らせるカーテンコール。幕が下がりきるまでのその時間が、私はいちばん好きでした。 梅雨が明けた、ある日の有楽町駅。 生まれて初めて自分で買ったチケットを握り、私はとあるビルへ向かっていました。 えんじ色の座席が特徴的な、シックな造りの劇場。スモークが漂う舞台

      • 他の人と比べてすんなりいかないことが多いなあと、よく思っていました。 たとえば、算数の宿題。 Aちゃんは100円、Bちゃんは50円持っている。 Bちゃんが持っているお金は、Aちゃんが持っているお金の何倍かという問題を読んだ私は、これはきっとこの問題を作った先生が間違ったんだろうと思いました。 だって、Bちゃんが持っているお金はAちゃんより50円少ない。それなのに、「倍」なんて変だ。先生疲れてるんだ。 やれやれと肩をすくめてそう考えた私は、次の日、『この答えって0.5倍で

        ¥100
        • 靴のはなし

          1年前。 今の家に引っ越した私は、新生活1日目にして頭を抱えていました。 靴の底が取れた。 数秒前までは、スニーカーだったはずのもの。 靴底がつま先のところからベロンと剥がれて、サンダルめいたなにか、絶妙に面白いものになってしまった。 もともと履き古していた靴ではあったものの、引越しのための多忙な日々がどうやら急激な破壊を招いてしまったようでした。 ちゃんと送り届けましたからね、後はうまくやってくださいよと言わんばかりに盛大に壊れた靴は、まるで新居に着くことを待って

          ヤベェやつらから逃げ出したヤベェやつの話【最終話】

          親戚一同、有象無象、魑魅魍魎、阿鼻叫喚。 この世に存在するありとあらゆるカオスが集まったような異様な空間で、私と友人は作業することを余儀なくされました。    友人という予想外の登場人物に親族は最初こそ怯んだ様子でしたが、『お前は一つの家族を壊したんだぞ!』という誰かの声を皮切りに、彼らの猛攻が始まりました。 突撃にあたって、彼らの今までの行動を思い返してみました。少々強引とも言えるこちらの行動を後から責め立てるための道具として、その場の出来事を録音される可能性もあると

          ヤベェやつらから逃げ出したヤベェやつの話【最終話】

          ヤベェやつらから逃げ出したヤベェやつの話⑨

          私が実家から逃げ出してきたことに、誰よりも驚いていたのは母でした。 きょうだいの中で一番慎重で手がかからない子。幼い頃からのそんなイメージをかなぐり捨てた私を見て、彼女は驚き、そして笑いました。 よっぽどのことがあったんでしょ。なんとなく予想はつくけど。 カウンター越しに私と向き合うように立った彼女は、グラスを片手にそう言いました。 しばらくそうやって、お客と店主なのか親と子なのかわからない距離感で話をしていました。いつの間にか日付がかわっていたことに気づきそろそろ出よ

          ヤベェやつらから逃げ出したヤベェやつの話⑨

          ヤベェやつらから逃げ出したヤベェやつの話⑧

          誰に、何を、どこまで話すべきか。そればかり考えていました。 今日を生き延びることができても、明日どうなっているのだろうか。 彼らに見つかって力づくで連れ戻されるかもしれないし、慣れない状況に疲れ果てて自分から頭を下げにいくかもしれない。 誰かが私の味方でいると言ってくれても、どうなるかわからない。助けてあげると手を差し伸べてくれても、まず疑わなければならない。 ここは広いようで狭い。誰が誰と繋がっているかわからない。 孤独でした。 今にも沈んでしまいそうな小さな舟

          ヤベェやつらから逃げ出したヤベェやつの話⑧

          ヤベェやつらから逃げ出したヤベェやつの話⑦

          くも膜下出血の手術を終え退院した後、しばらく実家で静養していた母に久しぶりに会いに行った日。彼女は庭の花壇に水やりをしていました。 すこし水の出が悪いホースを掴んでゆっくりと進む彼女の数歩後ろを歩きながら、なんかアヒルの親子みたいだなと思っていると、誰かが植えたらしいラベンダーを見つけた彼女は私に手招きして言いました。 『ラベンダーの匂いってどこからしてるか知ってる?』 思わず、『はあ?』と声が出ました。 そんなことより治療費だとか、店の維持費だとか、色々話しておかない

          ヤベェやつらから逃げ出したヤベェやつの話⑦

          ヤベェやつらから逃げ出したヤベェやつの話⑥

          相談に行ったその日は丁度ゴールデンウィーク前で、翌日から市役所などの行政関連施設は連休に入るということを失念していた私は、自治体が管轄しているシェルターの調整がつく連休明けまで、ホテルに身を潜めることになりました。 そして、正式にシェルターが決まってもいずれはちゃんとした家を決めなければならないことと、今の私の諸々の状況をふまえて考えてみると、公営住宅への入居は最後の手段にし、先に不動産屋で相談してみるのも一つの手ではあるという話になりました。 これから私は不動産屋に行き

          ヤベェやつらから逃げ出したヤベェやつの話⑥

          ヤベェやつらから逃げ出したヤベェやつの話⑤

          大きな大きな館内図の、一番下の階の隅っこ。 そこだけ違う書体で作られたテープが貼られているのを見て、後から出来た部署なのかなと、なんとなく思いました。 直通の電話番号と一緒に”DV相談係”と書かれたメモをもらった翌日、仕事終わりに再び役所へ向かいました。 公営住宅の話を聞きに行ったらDV相談を勧められたのは、あの時の私が”薬をちょっと飲みすぎただけのただのめちゃくちゃ眠い人”で、頭も言葉もまだ本調子じゃなかったからなのか、何日も洗っていない髪や顔から何か異様なものを感じ

          ヤベェやつらから逃げ出したヤベェやつの話⑤

          ヤベェやつらから逃げ出したヤベェやつの話④

          父方の親戚の家に引っ越して間もない頃、ちょうど今くらいの季節でした。 私は少し前にネットで知り合って仲良くなったある人と、初めて会う約束をしていました。 その日は朝から小雨が降っていて、ちょっとだけ肌寒い日でした。迷いながらなんとか辿り着いた秋葉原駅の改札を抜けた先、小さな花屋があるのに気づきました。 そこは無機質な壁に囲まれた建物の中で一際目立っていて、世界に存在する色がすべてここに集まってるんじゃないかと思ってしまうほど、華やかで異質な空間でした。 赤、白、水色、黄

          ヤベェやつらから逃げ出したヤベェやつの話④

          ヤベェやつらから逃げ出したヤベェやつの話③

          父方の親族の家に引っ越して数ヶ月が経ち、当時東京の不動産会社に勤めていた友人の協力もあって、私はとうとう上京することが決まりました。 11月の夕方。東京行きの電車に乗って、夕日の橙色に染まった新居の鍵をずっと眺めていました。 いろいろな縁が繋いでくれている気がしてなりませんでした。母や実家の人たちから離れていくことを応援されているように思えて、これで良かったのだと、そう思いました。 東京での暮らしは思っていたよりもずっと楽しくて、初めて自分が自分の人生を歩んでいると実感

          ヤベェやつらから逃げ出したヤベェやつの話③

          ヤベェやつらから逃げ出したヤベェやつの話②

          私の記憶の中の母はいつも、ゴミの中に埋もれて眠っていました。 暗くて汚い部屋の中で、化粧もそのままで綺麗な格好のまま眠っている母は、なんだか人間というよりも死にかけている動物のようで、ただただ悲しかったのを覚えています。 両親が離婚して数ヶ月後、ようやく入居先が決まった私たち親子は、しばらく身を寄せていた母の実家を出てアパートでの新しい生活を始めました。 日中はレストランの厨房で調理の仕事をし、夜はホステスをしていた母と顔を合わせる頻度は以前よりも少なくなっていったのです

          ヤベェやつらから逃げ出したヤベェやつの話②

          ヤベェやつらから逃げ出したヤベェやつの話

          【はじめに】 この話が誰かの助けになるかどうかわかりませんが、備忘録的なことも兼ねてまとめていきたいと思います。 6年前、私は実家から一度逃げ出しました。 上京し、慣れない土地での生活は決して順風満帆とは言えないものでしたが、自分を知っている人間がいないことが何より幸せで、ただただ心穏やかに日々を過ごしていました。 しばらくしてから新型コロナウイルスが蔓延し、その影響で仕事を失い、生活を維持していくことが段々と難しくなっていきました。もともと借りていた奨学金などの返済も期

          ヤベェやつらから逃げ出したヤベェやつの話