見出し画像


他の人と比べてすんなりいかないことが多いなあと、よく思っていました。


たとえば、算数の宿題。

Aちゃんは100円、Bちゃんは50円持っている。
Bちゃんが持っているお金は、Aちゃんが持っているお金の何倍かという問題を読んだ私は、これはきっとこの問題を作った先生が間違ったんだろうと思いました。

だって、Bちゃんが持っているお金はAちゃんより50円少ない。それなのに、「倍」なんて変だ。先生疲れてるんだ。
やれやれと肩をすくめてそう考えた私は、次の日、『この答えって0.5倍でいいんだよね』と友人に聞かれるまで、完全に先生のミスだと思い込んでいました。


たとえば、アルバイト。

『どんな時でも接客優先して』
店長にそう言われた私は、接客中に無線で指示が飛んできた時、無視しました。
聞こえていないわけじゃないけれど、あくまで″接客優先″って言ってたし。接客中にインカムを取るなんてお客さんに失礼だし。

そう思ったので返事ができませんでしたと店長に話すと、『やる気あんの?』とだけ言われました。

やる気はある。ものすごくある。

でも、あの時の私は、お客さんと店長のどちらを優先させればいいのかわかりませんでした。自分はこうした方がいい、こういうものだろうと思ってやったことが裏目に出ることが多いことに引っかかりを感じたまま、なんとなく日々を過ごしていました。



言われていることを守りながら目の前のことをきちんとやる。そんな当たり前のことがみんなはできてるのに、どうして自分はすんなり出来ないのだろう。言葉通り受け取るとそうじゃないと怒られるし、極端すぎると笑われる。きのう教えてもらって出来たことが、今日になるとリセットされている。

でも、国語や美術は得意だ。楽譜は読めないけど、音を覚えるのは得意だ。
ドリンクを作るのは遅いし下手だけど、ソフトクリームを早く綺麗に巻くのは自信がある。


でも、それじゃダメなんだ。


何もかも全部できないわけじゃないんだから、ちょっと頑張ればできるはずなんだ。他の得意なことと同じようにやればいいはずなんだ。


そう思いながら大人になり、社会に出て数年が経っても、怒られる場やきっかけが少し変わっただけでした。


私にとって「〇〇はできるのになんで××ができないんだ」と言われることは、「日本人なのになんで総理大臣にならないんだ」と言われているようなものでした。他の人にとってみればなんてことないものだとしても、私からみればハードルが天高く大気圏を突破し、宇宙まで突き抜けているようなとんでもない域の話でしかなく、それは根性とかやる気だとかでどうにかなるようなものではありませんでした。

職場を変えたり手当たり次第いろいろな本を読んだり、計算を学び直すためのドリルを買ってみても、心の深い部分はいつまでも暗く、澱んだままでした。かき混ぜればかき混ぜるほど濁っていく「それ」の原因がなんなのかもわからないまま、なるべく傷つかないように生きていくために他者を避けるようになった私は、次第に自分の殻に籠るようになっていきました。

ここから先は

1,866字

¥ 100

期間限定 PayPay支払いすると抽選でお得に!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?