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靴のはなし

1年前。
今の家に引っ越した私は、新生活1日目にして頭を抱えていました。



靴の底が取れた。




数秒前までは、スニーカーだったはずのもの。

靴底がつま先のところからベロンと剥がれて、サンダルめいたなにか、絶妙に面白いものになってしまった。



もともと履き古していた靴ではあったものの、引越しのための多忙な日々がどうやら急激な破壊を招いてしまったようでした。

ちゃんと送り届けましたからね、後はうまくやってくださいよと言わんばかりに盛大に壊れた靴は、まるで新居に着くことを待っていたかのように、その役目を終えたのでした。



その靴は、東京に住んでいた時に仕事用に買ったものでした。

高くはないけれどものすごく安いわけでもない、シンプルなデザインのスニーカー。軽さと歩きやすさに定評のある、定番中のド定番。ちょっと普通すぎるかもと悩みながら店の中をぐるぐるねりねりと練り歩き、結局一番最初に目にしたその靴に決めました。

新しいスニーカーを履いて出勤した日、とある人に声をかけられました。

その人は職場の上司で、仕事ができて、とてもおしゃれな人でした。あまり口数は多くなく、周りの人たちからは怖いとさえ言われていた彼は、誰よりも早く出勤して休憩室を清掃し、カレンダーをめくり、私を見つけるとフォークリフトの運転席から手を振ってくれる、優しい人でした。

どこにでもある量販店で買った、ありふれたスニーカー。どんな服装にでもそれなりに合えばいいとだけ思って選んだその靴を、彼は『すごくいい』と言いました。


その日の夜、いつか買ったけど使わずに放っておいた靴用洗浄スプレーを発掘し、まだそんなに汚れていないスニーカーに吹きかけました。

たった一人に褒めてもらっただけで途端に宝物になってしまった靴を磨きながら、胸の奥がほこほことあたたかくなっていくのを感じました。

できるだけいつもキレイにしておこう。また褒めてもらえるように。そんなささやかな祈りを込めるひとときは、連絡先を交換し、一緒にご飯を食べに行くようになってからも、ずっとずっと消えることはありませんでした。



あの時の気持ちはどこへやら。なんだこの残骸は。本当にあの靴なのか。
悲しいやら悔しいやらいろいろな気持ちが混ざり合う中で、昔、同居していた父方の祖母によく言われた言葉を思い出しました。

『いつもキレイな靴を履け』という言葉。
それは身の丈に合わない高価な靴を無理して履けということではなく、自分が身につけるものは常に清潔にし、気を配れという意からくるものでした。

小学校が長期休みから明ける頃、我が家にはいつも″靴洗いデー″なるものがありました。放っておくとどこまでもだらけて山や川で遊び回っている私達きょうだいを捕らえた祖母は、終業式の日に持ち帰ってきたままの内履きをアイスクリームやお菓子と引き換えに出させ、裏庭の水場で手洗いさせました。

納屋から持ってきた、何十年前に買ったのかわからない粉洗剤と毛先が曲がっているタワシを使ってひたすら擦る。あらかた汚れが取れたら水でジャバジャバと流し、農具洗濯用に成り下がった二層式洗濯機の脱水槽に入れる。脱水が終わったら一番日当たりがいい場所に転がしておき、もらったおやつを握ってまた遊びに行く。季節の終わりや何かの節目に、そんな日がありました。


これも何かの節目かなあ、と思いました。


予想外の出費にやるせなさを感じつつ、引越し祝いということで自分に贈ろうとむりやり納得させ、靴屋に向かいました。



店に着き、しばらく歩き回っていると、見慣れた靴が視界に入りました。


同じ型で、白と黒のシンプルなデザイン。ロゴの場所もおんなじで、値段も記憶とあまり大差ない。


間違いなく、”あの靴”でした。



ありがとう靴屋。ありがとう仕入れてくれた人。ありがとう流通に携わった人達。


靴を買いに来ただけでこんなにも全世界に感謝したことはない。そう思いました。
嬉しさと安堵で今にも泣きそうになりながら、『これの24.5下さい!!』と大声で言いました。





やはり靴はいい。底がある靴はいい。歩ける。

それが靴ってもんだということを忘れかけていた私は、新・私の思い出のスニーカーを履きながら、ふつうに歩けることに大きな幸せを感じていました。
そして、祖母がよく言っていたように、できるだけいつもキレイにしよう。そう思いました。


汚れや穴に早く気づくためにも、たまには足元を見ることを忘れないように。


この靴を履き、大切にできるのは私自身なのだから。




【靴のはなし】 おわり

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