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カーテンコール


鳴り止まない拍手の中、役者がお互いを称え合う。

「役者」が「人間」に戻り、「観客」が「自分」に戻る瞬間。
たくさんの「ありがとう」を拍手にのせて、同じ時間、同じ空間に生きているということを感じる瞬間。

夢の終わりを知らせるカーテンコール。幕が下がりきるまでのその時間が、私はいちばん好きでした。







梅雨が明けた、ある日の有楽町駅。
生まれて初めて自分で買ったチケットを握り、私はとあるビルへ向かっていました。


えんじ色の座席が特徴的な、シックな造りの劇場。スモークが漂う舞台の上には古木とアイアンで作られた壁や扉、ベルベットのカウチやランプなどが置かれていました。黒と茶色を基調にアメリカンヴィンテージデザインで彩られたその空間は絵画のように美しく、「主」が来て完成されるその時を、今か今かと待っているようでした。



いつも画面越しにしか見たことのない人たちが、目の前に現れた時。呼吸が、空間が、世界の何もかもが止まったように感じました。


作曲家の兄と、作詞家の弟。ミュージカル映画の作曲をするというチャンスを掴んだ二人は、ブロードウェイからハリウッドへやってくる。夢、誘惑、挫折を経験しながら、成功をおさめるために仕事や恋に奔走する。

登場人物は10人。演じる役者はたったの2人。コロコロと場面が変わっていく舞台から、わたしは目が離せませんでした。


ついさっきまでは社長の服を着ていたダンディな男性が、次のシーンではベテランのおじいちゃん音響技師として説教を垂れ、仕事の相談をして出て行った秘書の男性が、次のシーンでは真っ赤なドレスを着た赤毛の美女になって戻ってくる。


息を切らし、ズレたウィッグすらも笑いに変え、次の瞬間何が起こるのかわからない舞台。

今この瞬間を生きる役者。湧き出る笑い声。予想できない小爆発の連続。




自分の人生を「喜劇」と思うようになったのはいつだったか。



人より生きづらいことは確かに多い。でも、面白そうなことや楽しそうなことは日々この世界に生まれ続けている。自分が泥のように深く沈んでいても、誰かを憎み続けていても、いつも時間は等しく流れていく。


スポットライトが当たらない場所で涙を流す日があっても、うまく話せなくて落ち込んでも、私の人生は「喜劇」なのだ。物語をよりおもしろくする衣装や小道具は多ければ多いほどいい。そのほうが、舞台は盛り上がる。



完璧でなく、全力。


宇宙にまで届きそうな拍手喝采の中、私は舞台を見つめながら、そうありたいと思いました。



夢の終わりを知らせるカーテンコール。幕が下りる最後の最後まで、深くお辞儀をしよう。



『私の喜劇をおもしろくしてくれてありがとう』と。






【カーテンコール】おわり


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