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御朱印ブームに伴うお坊さんの苦悩

わたしは色々あって(別に複雑な理由はないけれど)2年ほどキャバクラで働いている。

2年間でいろんなお客様との出会いがあったが、お坊さんもその1人である。

お坊さんだってキャバクラに行く。
そのときは色んなお寺のお坊さんが会合だかなんだかで、集まってお仕事をしたあと、打ち上げ的に来られていた。

(ちなみにお坊さん御一行はとてもマナーのなった素敵なお客様たちだったので、もしかしたら皆さんが期待されているような暴露話は何もない。)

そんなチームお坊さんの1人に、わたしはありがたいことに指名をいただいていた。

わたしは元々営業職をしていたこともあって、人と話すのがかなり好きである。
かつ、とても知的好奇心が旺盛なために一般的に「キャバクラ」から連想されるようなお客さまからはあまり指名されなかった。
どちらかと言えば「仕事について」とか「将来について」とか、出来ればお酒の席では忘れ去りたいような会話をしたかったのだ。

たぶん、キャバ嬢としては失格である。 

ただ、たで食う虫も好き好きという言葉もあるように、そんなおしゃべり野郎のわたしを面白がるお客様や、「わたしの見た目が好き」という稀有な人もいた。

が、世の中の本質かもしれないけれど、後者とは長く続かない。
わたしの仮説では、「見た目オンリーで好意を持つと中身は想像で補填するので、よく知っていく過程で必要以上に失望してしまうから」だと思う。

・・・脱線したのでこのテーマは別に書くとして、とにかくそのお坊さんは稀有で素敵なお客様だった。

それをいいことにめちゃくちゃ話した。
だって、お坊さんの話を聞けるなんてそうそうないから。

『御朱印ブームに伴うお坊さんの悩み』を聞いたときには心底同情した。
同時に、かなり思うものがあった。
だから、noteにまとめておきたい。


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【朱印(しゅいん)】
朱印は、主に日本の神社や寺院において、主に参拝者向けに押印される印章、およびその印影である。敬称として御朱印とも呼ばれる。
(引用:Wikipedia)

この御朱印、参拝した証としてその神社やお寺の方に書いていただくものなのだが、それぞれの神社やお寺によって種類が異なり、検索してみると、手書きで味があるものも多くて集めたくなる気持ちもわかる。


ただ、この御朱印ブームに伴って
ろくに参拝もせずに一目散に社務所(事務所)にやってきて、御朱印帳を取り出し、
『書いてください』と言ってくる観光客が急増しているというのだ。

そのたびに『御朱印は、参拝をされた証です。どうか、そちらのご本堂にお参りをされてからお持ちください』と、聞いているこちらが恐縮するほど丁寧な口調でお伝えするらしい。

すると観光客は、『何でよ!もうあと10分で観光バスが出発するからそんな時間はないの!ここに置いておくからお土産を買ってくる間に書いておいて!』などと言ってくるらしい。

ちなみにそのお坊さんのお寺は、社務所から本堂までが目と鼻の先、5歩もあれば着くというから驚いた。

お坊さんもおっしゃっていたが、
そんな観光客にいちいち説明するよりも、書いてしまった方が早いのだ。
わざわざ理不尽に説教されるよりも、心を無にして書いてしまえば楽なのだ。
でも、一度そうしてしまったら、今まで参拝してくださった人の気持ちはどうなるか。
自分たちや先人の住職たちが大切にしてきたものはどうなるのか。
だから、逐一そう伝えているというのだ。

自分ごととして考えてみてほしい。

どんな仕事にも「お叱り」「クレーム」は付き物だ。
だけど中には腹が立つ理不尽なものもある。
それをひとつずつ対応していては、正直手が取られて仕方がない。
そこに割く時間があるなら、良質な顧客へ使いたい。
だからサラリと受け流す。
そんな経験が、働く人なら誰しもあると思う。

でも、お坊さんはそうはいかない。
宗教という目に見えない「概念」の中で、
熱心な信者や、初めて来た観光客、お宮参りの親子、建物に興味がある外国人・・・
本当に色んな人を相手にしながら、
何かを押し付けたりするではなく
参拝者のために「いつもそこにある」存在を守るには管理者の信念が必要不可欠なのだ。
わたしはそれを思うと胸が熱くなってちょっと泣いてしまった。

忘れてはいけないがここはキャバクラである。

ちなみに、お賽銭は寺社仏閣の修繕・維持費、働く方のお給料、お守りを作る費用などになる。

つまり、お参りをすること=その神社やお寺を存続させていくこと なのだ。
もちろん、お賽銭を入れずにお参りしても構わない。

ただ、神社やお寺の歴史に思いを馳せるわけでもなく、無論参拝もしない。
もちろんお賽銭を入れるわけでもない。
だけど社務所に長蛇の列をつくって、マナーも守らずスタッフの時間をどんどんと奪う。

そんな御朱印目当ての観光客に
何度丁寧にお願いしても聞き入れてもらえず、
泣く泣く、御朱印の記帳に数百円のお金を取るようにしたという。

中にはブームを逆手にとって、御朱印を高額化したり、人員削減のために「ご自由に押してください」というスタンプを設置した神社もあるのだそうだ。

それは各々やり方があるのだから、是非を問うようなことではない。

ただ、わたしは思うのだ。

わたしは元々ウェディングプランナーをしていて、神社での神式やお寺での仏前式も多く担当した。
営業するためには知識が必要なので、沢山のお寺や神社に行き、ご住職や禰宜さんにお話を伺った。

それまでのわたしは恥ずかしながら、お墓参りや七五三、初詣、合格祈願など節目には家族とお寺や神社に行くくせに、何も知らなかった。
何だか古臭いし、そもそも神様なんて信じていないし、仰々しくて近付きがたい。
今となっては本当に失礼な話だけど、そういうふうに思っていた。

だけど、ウェディングプランナーになって、
神社やお寺で働く方がどういう気持ちでお仕事をされているかをたくさん聞いた。
その神社やお寺の歴史はもちろん、
・無神論者がほとんどの日本でどういう存在価値があるのか
・若い世代にどうアプローチし、存続させていくか
そんなことを真剣に考えて向き合う姿を見て、わたし自身の考え方が変わった。

鳥居をくぐる前には一礼するようになったし、
参拝するときにはできる限り事前に調べ、わからなければ現地で尋ねるようになった。

相変わらず神様は信じていないけれど、
敬うべき『歴史と人』がそこにはあると分かったからだ。


ここで話を戻すが、御朱印はそもそもそんな『歴史と人』を敬う人が集め出したものであるはずだ。
それなのにどこかでおかしなことになって、
「御朱印を集めること」が参拝の目的になっている人が増えているのではないだろうか。

もちろん、御朱印がきっかけとなって寺社仏閣への興味を持つようになることはとても素晴らしい。
件のお坊さんも「御朱印ブームで参拝者が増えた」と言っていた。
参拝者が増えれば、長く存続できる。

ただ、何よりも忘れてはいけないリスペクトがあると思う。
宗教とか歴史とかそんな難しいことではない、単純に「人の気持ちを考える」ことを忘れてしまっていないだろうか。

御朱印をいただくならば参拝して当然。
参拝するならばマナーを守って当然。

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と、いう話をキャバクラの席でした。

チームお坊さんはカラオケを歌っていたけれど、わたしとお坊さんは語りあった。
主に、世間知らずのわたしにお坊さんが丁寧な口調で教えてくださり、わたしが私見を熱烈に述べただけだけど。

そのあと、お坊さんにもカラオケのデンモクが回ってきた。

ちょっと照れ気味に、
「では」と言って青雲を歌ってくれた。

青雲TVCM『強く生きよう』編

お坊さんも、キャバ嬢のウケを狙うのだ。

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