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「人権というのは、『マジョリティの人がマイノリティの人の人権を認めてあげる』、というものでは絶対にないんです」
皆さんは、ジェンダー平等にどれだけ関心がありますか?
noteで教育の記事を熱心に読んで、いろんなことを研究している人は「関心がない」という人は少ないかもしれませんね。
こういう考え方が浸透してほしい。特に人権学習大好き人間は自分の進む道が正しいかこれを読んで考えてほしい。是非。https://t.co/KRYdwTpjUg @buzzfeedより
— 保健体育科教員時々サッカー指導者 (@taiikusoccer) March 4, 2021
以前、自分が投稿した記事です。
オールジェンダートイレというものを知っていますか?
自分は、多目的トイレは知っていて、トランスジェンダーの人も使えるトイレだという認識でした。
「人権というのは、『マジョリティの人がマイノリティの人の人権を認めてあげる』、というものでは絶対にないんです」
上の記事の中で
オールジェンダートイレの設置は、人権を大切にするICUのポリシーであり、メッセージでもある、と加藤教授は語ります。
「人権というのは、『マジョリティの人がマイノリティの人の人権を認めてあげる』、というものでは絶対にないんです」
「どんなジェンダー、セクシュアリティ、障害、人種にせよ、どんな背景を持っていても人間が人間である限り全員平等でなければならない。人間が全員持っている、幸福で安全に暮らす権利なんです」
「それを考えると、マジョリティのトイレがほとんどを占めていて、マイノリティの方には『はい、1個用意してあります。なんでここ使わないの?』というものではないんです」
とあります。
まさに、人権を”真剣に”考える上で、絶対に必要な感性です。
福祉学習などでも同じことが言えると思います。
全員に「さん」って必要ですか?
男子には「くん」女子には「さん」と呼んでいると体の性と心の性が一致していないトランスジェンダーの子が呼ばれるたびに嫌な思いをするということで全員に「さん」をつけるというのが人権に精通している人がよく言っていることだと認識しています。
この話は結構前からあった話で「さん」をつけている人も増えてきたように、(特に真面目な新卒さん)感じています。
ですが、心が女子なのに「くん」で呼ばれることの問題点は、その女子が「呼ばれたくない呼称で呼ばれていることに気づけていないこと」が問題なんじゃないんですか?あだ名なし論も同じでは?
ウン十年前の金八先生で上戸彩さんが演じていたトランスジェンダーの生徒が「くん」で呼んで欲しいって言っても「全員にさん付けが決まっているから」って答えるのかな?先生なら嬉しそうに「くん」で呼んであげる気がするけど。
呼び捨てが親しみがあって嬉しいという人も入れば、嫌だという人もいるし、さん付けが嫌な人もいるし、苗字で呼ばれたくないなど、いろんな感性があるよね。って話。それに気付こうよって。
もし、嫌な思いをさせない、を徹底するのであれば、名前を呼ばずに「一番、二番」で呼べばいいと思う。
これって「男性でありたい、女性でありたいっていう人はダメ。そんなんいうもんじゃありません」ってことじゃんね。それって多様性??どっちかというと画一性じゃね? https://t.co/BUvgvtRG4L
— 保健体育科教員時々サッカー指導者 (@taiikusoccer) February 26, 2021
多様性という錦の御旗を傘に、人権の画一化がなされているようで違和感を感じることが多くなったように感じます。
自分は、昨年、学校の研修でトランスジェンダーを経験した元教員の方と話す機会がありました。その時に
「トランスジェンダーとかシスジェンダーとか名前がついている区分ではなくグラデーションのようで一人一人違うんだよ。だからいろんな人の話を聞く必要があるんだよ」
という話を聞いて、全て知るのは無理だけど、自分の知っていることからでも生徒と考えたいなと思い、保健の授業で、1時間取り扱うようになりました。その授業展開は今後あげる予定の「保健体育 保健授業篇」で紹介していきます。
「当事者にはなれないけど、ともに歩むことはできる」
誰かが言ってそうなことで締めたいと思います。
では。
ciao.
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