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アメリカ・ハイスクールから初心者でバスケを始めた息子が飛躍しちゃった実話



こんにちは。
カリフォルニア州ベイエリア在住の元超熱血ママのyasugoです。


我が家がアメリカに移住して2年半が経ちました。
息子は15歳で日本では中3の代ですが、アメリカでは7月生まれの場合は、10年生(新高2・ソフモア)で、すでにハイスクールも2年目突入です。
〇年生の他にハイスクールでは学年の呼び方があってそちらの方がメジャーです。(大学も同じ呼び方だけど、ややこしいとは思わないみたい)

フレッシュマン 9年生(高1)
ソフモア  10年生(高2)
ジュニア  11年生(高3)
シニア   12年生(高4)

学年の区分は州による
カリフォルニアも主流の高校4年制



息子は日本で生まれ育って、1歳になる頃から娘のミニバスに連れていかれていた環境にありながら、アメリカに行くまでバスケ未経験でした…。

体育館の隅っこでよちよちと遊びながら、ドリブルの音を聞いて育ったにも関わらず、バスケへの興味関心は一貫してゼロ!!


幼いながらに、土日でも長期休みでも早くから遅くまで練習だー試合だーと休みなのに休めない娘のハードな活動に「こんな生活だけはしたくない」と思っていたようです。


中学・高校でも部活の応援は息子も強制参加だったのですが、結局1度もバスケをやりたいとは言いませんでした。


ここまで未経験だったのに、まさかバスケットボールの本場のアメリカで始めるとは!!


渡米後すぐに息子の成長期がやってきたのも、非常にタイミングが良かったと思います。

成田空港では、私(167.8㎝)の方が大きかったのに、サンフランシスコに着いたら抜かされたことを皮切りに、足のサイズも28㎝が1年も経たずに30㎝になっていました。
ちなみに現在は33㎝(15インチ)です。



大きすぎな



その後は、身長もどんどん伸びてハイスクールが始まる頃には180㎝を超えていたので、アメリカでも大きい方になったとは言え、大きい子はもっと大きいし、線が細い息子は身長が武器とは言えませんでした。


しかも、アメリカのハイスクールで部活に入るには、トライアウトに受かることが必須条件。


身長がちょっとあるだけで未経験者が入れるほど楽なことではなかったのです…。

フレッシュマン(9年生のみ)3軍
JV・ジュニアバーシティ(9~12年生)2軍
バーシティー(10~12年生)1軍

息子のハイスクールのバスケ部は3チームあって、それぞれのチームでトライアウトが行われます。各チームにコーチが2~3人いて活動時間も別なので、完全に独立したチーム編成です。
各チームともにベンチ入りできる最大15名しか入部できません。


息子はもちろんフレッシュマンチームのトライアウトを受けました。その期間は1週間あって、3日間参加後に合否が出ました。

シーズン制なので、他シーズンのスポーツとの掛け持ちはよく聞きますが、同じシーズンでも2つの部活のトライアウトを受けることが可能で、トライアウト期間が1週間あったとのこと。


最初の3日間に参加した選手は、合格者のみ残りのトライアウト期間の練習に参加ができました。4日目には半数ぐらいになっていて、別のトライアウトを受けていた選手を含めた中から最終メンバーが決まるというシステムでした。


息子は運良くこのトライアウトに合格できたのですが、明らかに初心者だったのは息子だけ。
身長だけで通ったと揶揄されていましたが、コーチからは初めて息子を見たオープンジム(5月)とサマーキャンプ(6月の1か月間)から比べて素晴らしい成長率だったことが合格の決め手だったと言われました。(トライアウトは10月)


実際、最初に見た時はこの子は背は高い方だけど、どこから教えたらいいか迷うレベルの初心者っぷりにトライアウト通過は難しいと思ったそうです。


しかしながら、サマーキャンプ中は教えたことを理解してすぐにやろうとしているのが見えたのと、それができるようになるまでの時間が短いことにポテンシャルを感じたと言っていただきました。


ここでも出ました日本選手の「聞く力」!!


その後も娘と夫と自主練をしてきたことで、短期間で初心者の硬さがなくなっていたことにも「どこかチームに入ったのか?」と驚かれました。



娘の大学バスケでも感じたのですが、女子も男子もコーチからの指示や指摘に言い訳をする選手が多く「ミスをした理由やそうなった背景を説明すること」がある種の選手としての力量を見誤って欲しくないアピールとも取れたのですが、選手とコーチとの心理的距離がとても近いと思いました。


見た目はみんな大きいけれど、ミニバスの低学年の選手がコーチにいじけながら言い訳をするのと近い感じなので、親しいよりも甘えられる距離感に、日本の部活だと中学以降で見ない光景に違和感でした。


ま、初心者の息子にミスの言い訳をするようなプライドがあるわけもなく、素直にどんどん吸収するしか選択肢がなかったのが功を奏しました!


シーズンがたった4か月弱の中では、日本のようなチーム作りや連携プレーを浸透させる時間もないので、個人プレーありきの試合展開になりがちです。


コーチからセットプレーの指示が出ていても、行けると思えば個人プレーをぶち込んでしまう選手もちらほら…。


息子はコーチの指示通りにプレーが進まないことやみんな好き勝手すぎることへの不満を漏らすようになった時に、指示を理解してやるべきセットプレーが頭の中で展開できるところにいるのだなと驚きました。


私が思う以上に息子がバスケットボールを理解するのも早く、「想像できることは実現できること」が息子を見て本当にそうだなと感じたのです。


もしかすると、ドリブルの音を聞いて育ったことが息子の潜在意識の中に少しはあったのかもしれません。感覚的に心地よい的な…。


いや、ないか。
いつの時代も体育館に着いた途端に「帰りたい」を連呼していたことを都合よく忘れてました。笑


日本で10年間、アメリカで2年間とバスケを続けた娘が現役引退を決めたタイミングで息子がバスケを始めたので、娘が息子を指導することもあったのですが、自分が現役の時に言われたら嫌だったことは完全封印したことも息子の飛躍に繋がりました。


娘のおかげもあって、息子は「楽しい!」を原動力にプレーをして、探求心を刺激しつつ、自分のペースで動画を見たり、筋トレをしたり、自主練のシュート練習の中で少しずつ技もできるようになっていく過程すらも楽しいループが完成!!


これこれー!!こういうのをずっと待ってました!!とばかりに息子に見えないところで喜びました!!


唯一の懸念だったのが、夫の熱血パパっぷりで…。
それこそ、日本での私の勢いさながらのチェックが入って


〇〇やったのか?
あれをやらなきゃダメだろう!
これぐらいできるようにならなきゃ!


というように、夫は足りない思考で見える現実に焦りや不安を感じていました。それを正面から否定してしまうと、夫も頑なになってしまうし聞く耳を持てなくなってしまうので、そう見える状況や結果に同調しつつも、夫の視点では見えなくなっている今の息子ができていることの事実の伝え方にも気を付けながら、夫との会話を続けてきました。


日本にいた時に私が娘にしていたことを、夫がそのまんま息子に感じて言ってしまうことも、私と娘だからこそ夫に伝えられると思いました。



そして、夫を変えようとしたら、絶対に上手くいかないことも脳科学の知識を持った今ではよーくわかるので、夫が自分で気付くまではフォローに徹しています。


私がそうだったように、夫も自分で気が付かないと自分の思考のあり方に疑問が持てません。


「息子に言わないといけないことを言うのは、親として当然」という概念が「言わないとできない子、やらない子」に通じているうちは、夫は息子のできないこと、やっていないことしか探せないし、見えないのです。


「言わないとできない子、やらない子」と思える事象を見つけると「親として当然の息子に言いたいことを言える」前提が成立します。


だからやっぱり自分が言わないとダメだ!と思うし、親としての責任を果たしていると思えるから安心するのです。


子どもの状態(やる気や積極性のなさ)には不安を覚えるのに、その環境にいると親としての存在意義を感じられるので、脳はなかなか他の事実を見ようとできません。


「子どもを見守る=親の存在意義が破綻」してしまうので、黙って見ていることが不安なのです。自分が親の責任を果たさないと、子どもは落ちこぼれになってしまう。失敗してしまう。そんな恐怖に打ち勝とうとも思えません。だから変わろうとも思わないし、子どもの自主性を信じないという結論に行き着きます。


誰よりも子どもの自主性を願っているのに否定していることも繋がりません。


それは、子どもに対する「放任」と「見守り」の境目というのが、それぞれの親子によって違うもので確証が持てないからです。


こうすれば絶対!がないから怖い



我が家も娘と息子でも違うし、その時々の環境でも変わってくるものだと思います。だから一概にこれが正しい!!というのがないのが厄介で。いわゆる子育てに正解がないってやつですね。


人によりけり!!
環境によっても時代によっても変わるって
なんじゃそれー!!なあやふやさ



娘に関しては、もう21歳で大人であることや、自分で将来を見据えていることからほどんど口を出すことはありませんが、15歳になったばかりの息子はそうはいきません。


そこで私が気を付けていることは、


〇〇はもうやったの?

〇〇をしなくちゃダメ!



と言いたくなるシチュエーションでの言葉がけを、「やれ!」のトーンで息子に話すのは、極力避けています。


何をやるのかの具体化を共有することを意識して、いつやるのか、どうやるのかは息子に託すことにしています。


ここに夫が入ると、「今すぐ(俺の思うように)やれ」の話になってしまうので、夫が来る前に息子がやり始めているのが理想ですが、なかなか毎回そう上手いことはいかず…。早いとこ息子が先回りする流れが当たり前になるのが待ち遠しいです。


息子が自主的にやらないとバスケにしても勉強にしても、効果も成長も限定的だということが私の子育てにおける大前提なので、夫の熱血スイッチが入る前に私が息子とコミュニケーションを取って、息子のタイミングで行動ができるように整地するのが今年度の目標です!!


子どもができないことは親にはよく見えるものなので、そこを指摘するのは本当に簡単なのです。

でも、今できていないことを子どもにやらせるのは、私たち親の最終手段。
そう決めるだけでもちょっと違うと思います。


最後の手段を投じる前に、子どもにちゃんと見ていることを伝えてみましょう。できていることも、できていないこともちゃんと見ていることをさらっと伝えるだけでいいです。


テストでも試合でも、それが結果に出る時もあれば、出ない時もありますが、「その過程をちゃんと見ているよ」の親の姿勢が子どもに伝わるのがいいのかなと思っています。


結果が出なかった時は、子どもなりに対策を講じるものだから、私たち親の反応が結果ありきにならないことが子どもの継続の力に繋がる!!


私はこれを娘の子育てを通して学びました。


良い時を褒めて、悪い時を叱るだけでなく、それまでの過程こそを見逃さない親でありたいです。


息子は初心者スタートで、「フレッシュマンチームの今シーズン最も成長した選手」に選ばれたのですが、始めからトントン拍子にすべて上手くいったわけではありません。


パスが永遠に回ってこない試合も何試合もあったし、せっかくもらったパスをキャッチミスしてしまったことも1度や2度ではありませんでした。


その時にミスしたことだけではなくて、与えられたプレータイムの中で、息子が今の自分にできることをちゃんとやっていた部分をしっかりと息子に伝えるようにしていました。


いつも必ず味方のためにスクリーンをして壁になっていたことは、スタッツにも出ない地味なプレーでともすれば、息子本人も忘れてしまうことだったり、当たり前のことにしてしまうからです。


バスケを始めたばかりで、全試合絶好調なわけがないのだから、結果を出すことを焦らない。やれることを地道にやり続けることの大切さを諭すように1度だけ言ったら、あとはバスケの話はしませんでした。


息子が本当に落ち込んでいる時やフラストレーションを感じている時、娘や夫が何か言った後には、あえて何も言わなかったこともありました。


その代わり、調子良くブロックが続いたり、気持ちよくシュートが決まった時は、息子の上機嫌のお喋りを大笑いしながらみんなで聞きました。

どれも日本で娘の応援をしていた時にはなかった家族の空気感です。

我が家は娘との10年間があったから、息子はバスケが最速で上手くなっているし、家族で全力応援できている自負があります。(夫も変化の途中です)


アメリカのバスケシーズンは4か月弱なので、高校生活4年間をギュッとしても1年ちょっとです。そのうち日曜日は基本オフで、朝練もなし。


18時間/週(と活動時間が決まっている)この限られた時間で、息子は経験値を上げていかないといけません。


息子のお尻を叩いてやらせることは遠回りにしかならないから、私たち家族は息子の「バスケが楽しい!!」を死守することに全力であり続けたいです。


楽しいがもたらす可能性は無限大∞!!



まもなく始まるソフモアの1年間で、息子がどこまで成長できるのかワクワクしながら家族みんなで応援を楽しみます!


息子との心の距離感をムリなく保てるようになった私の変化の過程はこちらで綴っています↓


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