グローバルとローカルは敵か?
こんにちはこんばんは!京都に住む大学一年生のAinaです!普段は国際交流団体の運営を今日で行ってます。
今日のタイトルは「グローバルとローカルは敵か?」。
なんとインパクトのあるテーマ笑。
今回は、グローバリゼーションとローカルの関係について、ドラッカーの「ポスト資本主義社会」を元に考察していきたいと思います。
グローバリーゼーション、すなわちグローバル化とは、世界規模の経済や文化・ヒトの往来が激しくなり、が一体化する動きのこと。どこに居ても同じようなサービスを受けたり、文化を体験したりすることができる。
グローバルリーゼーションは、不可逆的な流れであり、これからますます経済や市場は国境を超えて繋がるようになると予想できます。
ではここで皆さんに質問です。
グローバルの対義語は何であると考えますか?
シンプルにグローバルの対局はローカルでしょう、と。
しかし、ドラッカーは彼の著書『ポスト資本主義社会』の中で、このグローバリーゼーションの流れとともに、ローカルな文化やコミュニティの重要性はますます増すと指摘しています。
つまりグローバルとローカルは対局の関係ではなく、比例関係にある。グローバルリーゼーションが進むほど、ローカルの力を強め、お互いに影響を与え合う関係にある、と。
また、ドラッカーは、グローバル化によって、「中央集権的な国家が弱まる一方で、地方のローカルな課題を解決するために非営利団体や市民社会が重要な役割を果たす。」とも述べています。
私はこのドラッカーの見解に強く同意します。
グローバル化が進む中で世界各所で問題が起きる。だがしかし、解決できるのは地球規模ではなく地元規模。
例を挙げてみたい。
グローバリゼーションの外部不経済的なものとしてよく挙げられるのは、オーバーツーリズム(Overtourism)。
特に、私が現在住む京都市は、それの典型的な例であるとも言えます。
グローバリゼーションの台頭とともに、ヒトの往来が激しくなり、京都市内の観光名所に世界中の人が殺到する。そこで、新たなトラブルが生まれる。
ーでは、誰が解決するか?
そう、ローカルの人々。京都市民、NGO団体、京都市職員・市長など。
ここでドラッカーが述べる、グローバルとローカルが比例関係にあるという考え方を当てはめてみると、
グローバリゼーション(オーバーツーリズム)が進むにつれて、ローカル(ローカルな人々の結びつき・力)は強くなる。
ここで私のグローバルとローカルの違いを考えていきたいと思います。
私にとってローカルとは、ハイコンテクスト(high context)であると考えます。ハイコンテクストとは文脈依存のこと。暗黙の了解。非言語コミュニケーション。よく行くカフェで、「いつもので」で注文できる。地元の店の暗黙のルール。言葉なしに伝わる。身内のノリ。
一方、私にとってグローバルは、ローコンテクスト(low context)。ローコンテクストは、非文脈依存。1から全て説明。契約書やビジネスメール。交通標識や説明書。
グローバルもローカルも一長両端。
だからこそ私が目指したいのは、
「グローカル(glocal)」。
グローカルとはglobal×local。
前述の通り、グローバルとローカルは敵ではない。
絶対目指せると思ってます。両方のアドバンテージを足して2で割ったような社会を目指したいなと思います。
ではでは、今回はこの辺で!