展覧会レビュー:古代エジプト展 天地創造の神話
──酎愛零が展覧会「古代エジプト展 天地創造の神話」を鑑賞してレビューする話──
幸せな再会をする、その時まで。
どうも、1月後半までオリジナル小説の追い込みでろくにnoteにも顔を出していなかった私です。けれど展覧会には行くんですねえ〜なんせ展示期間は待ってはくれませんので!(・∀・)
以前の記事でもお伝えした通り、この冬春に行きたい展覧会のひとつに行ってきました!
今回は、東京都八王子市、東京富士美術館で2022年1月16日まで開催されていた「古代エジプト展 天地創造の神話」です!めたくそ寒い!(((;ꏿ_ꏿ;)))
東京富士美術館は、「世界を語る美術館」を目指して1983年(昭和58年)に設立された美術館です。絵画、彫刻、版画、鎧兜から工芸品まで、洋の東西を問わず、約3万点ものコレクションを誇る美術館で、特にルネサンスから現代にいたるまでの西洋絵画に強い印象があります。宗教団体(創価学会)が運営しているということに抵抗感を覚える方もいらっしゃるかもしれませんが、コレクションは間違いなく日本有数の質・量だと言っていいでしょう。
さて、今回の展覧会、正式名称は「国立ベルリン・エジプト博物館所蔵 古代エジプト展 天地創造の神話」であり、展示品はエジプトからではなく、ドイツはベルリンの博物館から来ているんですね。
ここで簡単に国立ベルリン・エジプト博物館のご紹介をしますと、実は単館の博物館ではなく、「国立ベルリン博物館(群)」の中のひとつの館であり、ベルリンのミッテ区はその名も博物館島という所にある博物館です。ここ、ただでさえごちゃごちゃしている上に、マップで見るとベルリン新博物館に重なってピンが立つのでものすごくわかりづらいんですよね……もし行かれるなら、ベルリン大聖堂を目印にしてゆくとよいでしょう。大聖堂まで着いたら、あとは自力で探してください。
そしてなんと!この展覧会!
もちろん、その中でもルールはありますし、鑑賞している他の人のじゃまにならないように、ぶつからないように、周りには細心の注意を払わなければなりません。しかし貴重な遺物を撮り放題とは、太っ腹やな〜
と、いうわけで、今回は画像多めで行きますよ〜!
エジプトの創世と滅亡、生と死を巡る壮大な旅へ、しばしおつきあいください!
■天地創造 〜ヘリオポリスとヘルモポリス〜
古代エジプトにおいて、宗教的な二大拠点であったヘリオポリスとヘルモポリス。
人間は何を拠り所にして生き、死後はどうなるのか、何を頼ればいいのか。それはおそらく世界のどこでも、人類普遍の命題であったことでしょう。古代エジプトの人々は自然やそのサイクルに神を見いだし、それぞれの地域で創世神話を形作っていきました。
原初の海、ヌンから自力で発生したアトゥム神。アトゥム神に創られた大気の神シュウと、湿気の女神テフヌウト。シュウとテフヌウトの子供である大地の神ゲブ、天空の女神ヌウト。そして、ゲブとヌウトから生まれた、冥界の神オシリス、豊穣の女神イシス、嵐と暴力の神セト、葬祭の女神ネフティス。
これら九柱の神々は特に、ヘリオポリス九柱神と呼ばれ、ヘルモポリスの神々と共に、多彩なエジプト神話の歴史を形成していきます。
エジプトの神々は獣頭のものが多いことでも有名ですね。その場合はその動物が象徴するものを暗示していて、他にも動物が礼拝しているものもあったり、異なる動物と動物を組み合わせたキメラ的なものがあったり、(いや、それは無理やろ……)と言いたくなるような魔改造?的ヴィジュアルもあったりしてわくわくします!(๑´ڡ`๑)
セベク神はイシス親子と縁が深いですね。神話によっては太陽神と習合していることもあります。そしてホルス神も太陽神との習合をしていることが多いです。もしかしたら太陽神つながりで、この2神そのものを友情合体?させたのかもしれませんね。
後に付け足された神話では、あまりにも殺しまくるので、人間に歯向かわれた太陽神ラー本人が『ちょっ……バッ……、やりすぎや!人間おらんくなるやろ!∑(゜ロ゜;)』とばかりに焦り、セクメト神にお酒を飲ませて酔っ払わせてようやくおとなしくさせたのだとか。ヤマタノオロチしかり、酒呑童子しかり、強大な力を持つものにお酒を飲ませて攻略する、というのは、世界中どこでも変わらないのかもしれませんね。
■秩序の維持 〜宇宙の摂理、マアト〜
さて、どのような社会組織であっても、その健全な運営には秩序が欠かせません。古代エジプトに限ったことではなく、現代においても、ささいな口論から暴力沙汰に発展したり、気に入らないものに難癖をつけて存在を否定したり、逆恨みから相手を傷つけたり殺したりなど、秩序のほころびは暴力や破壊、破滅を誘発します。
では、秩序を維持するためにはどうすればよいのか?
古代エジプトにおけるそのひとつの解が、神々への信仰、そして現人神とも呼べるファラオによる統治でした。私が思いますに、人間とは、おそらくそのすべてが自制や自戒の心を持っている存在ではありません。中には、人の形をしただけの獣以下のものすら存在するのです。そんなものたちを含めて、秩序だった統治をするために必要とされたシステムが「圧倒的な強権を振るう王政」だったのではないでしょうか。そしてそれには人間以上の存在である必要がある、そのために──神に近づくために、ファラオという存在が形成されていったのではないかと、私は考えています。
これらの図像からもわかるように、ファラオは神々に直接謁見し、供物を捧げて、神々に代わって地上の秩序=マアトを守る役目を担っていました。
しかし人間の社会は必ずしも理想通りにはいきません。
えてして力を得た者は増長し、私利私欲に走りがちなものです。時にファラオの力をしのぐほどの権勢を持つに至るのは、他ならぬ神々を奉じる神官団でした。これでは王を中心とした秩序が保てなくなる……そこで、新たな秩序を打ち立てようとするファラオが現れます。
それが、アメンヘテプ4世。トゥトアンクアメンの父であり、宗教改革と芸術表現の刷新を断行し、後にアクエンアテンと名乗った、異端のファラオです。
アメン神官団が王をしのぐほどの力をつけることに危機感を抱いたか、それとも自らの信仰心ゆえか、アメンへテプ4世は多神教であるエジプトから脱却すべく、アテンのみを崇拝し他の神々への信仰を禁止する世界初の一神教(現代の研究では厳密な一神教ではないという説もありますが)を創始し、自分の名をアクエンアテン(アテンに利する者)へと変え、首都をそれまでのテーベ(現在のルクソール)から、現在テル・エル・アマルナとして知られる地すなわちアケトアテン(「アテンの地平線」の意)へと遷都しました。
アメン神官団の手の届かない新天地で、新たな秩序を1から作り直そうとしたのかもしれません。事実、アケトアテンでは今までの画一的な様式美にとらわれない、写実的で生命力にあふれる新しい芸術様式が生まれました。その最高傑作とも呼べるのが、ベルリン国立博物館が所蔵する王妃ネフェルトイティの胸像でしょう。
今日アマルナ芸術として知られるこの時代の作風は、一言で言えば、写実主義と誇張主義とでも言いましょうか。極端に顔や手足や指が長く、唇の厚い表現や、ネフェルトイティの胸像のようなリアリズムの追求はそれまでのエジプト美術にはあまり見られなかったものです。
しかし、急激な変化に民衆も世論もついていくことができなかったのでしょうか、急ピッチで進められた改革は20年にも満たずに終焉を迎えます。アクエンアテンの死後、理想郷だったはずのアケトアテンは存在ごと消されるように徹底的に破壊され、アクエンアテンの像も名も歴史から抹消されました。そこに込められた思いが何だったにせよ、時代にとってそれは秩序どころか、秩序を乱すものと映ったのかもしれませんね。
■再生と復活 〜死後の審判〜
古代エジプトでは、冥福を祈り、葬祭文書「死者の書」が死者とともに埋葬されました。これは死後の世界のガイドブックとも言うべきもので、ピラミッド(墳墓)テキスト、コフィン(棺)テキスト、死者の書と、時代を下るにつれて洗練されていったものです。
内容は、死後に起こることと、それへの対処法です。「ここでこう訊かれるから、こう答えろ」的なことをやっているんですかね……エジプトでは、死後、42柱の神々の前で、偽証することなく生前に罪を犯していないことを誓い、天秤で自分の心臓とマアトの羽との計量を行って、釣り合わなくてはなりません。死者の書に書かれているノウハウによると、このとき「心臓が所有者である死者を裏切らないようにする呪文」が記されており、これを唱え忘れて自分の心臓があることないこと言いふらすのを想像するとジワりますね(・∀・)
有名な「死者の導き手アヌビス神が見守り、知識の神トート神が記録し、すぐそばには腹を空かせた怪物アメミットが控える中、オシリス神の前でマアトの羽と天秤で重さを計られる死者」の図像はこの後になります。
首尾よく死後の審判を通過して楽園への切符を手にすると、死者は来世で「復活」し、第二の人生を死者の楽園で過ごすことを許されます。これが古代エジプトで言う「再生」なのです。このあたりが、現世に転生しては死ぬことを繰り返す仏教的死生観である「輪廻転生」とは大きく違うところですね。遺体をミイラにするのも、来世で復活したときに肉体がないと困るからです。
さらに、埋葬時には、来世で復活した時に自分で働かなくてもいいように、召使いの形を模した人形「シャブティ」が副葬品として入れられました。シャブティは多ければ多いほど本人が楽をできますので、このシャブティの数からも、死者の生前の力や人望を推し量ることができます。
■おわりに
死は、生命にとって必ず訪れるもの。親しいものとの別れは、どうしようもない悲しみに心が痛むもの。
神話、宗教、信仰。洋の東西を問わず、そういったものは、人間にとって計り知れない無明の闇である死に意味と形を与え、恐怖と悲しみに相対しやすくしたものであるのかもしれません。
しかしながら、そうした心のよりどころであるがために──自身が全幅の信頼を寄せていればいるほど──他者にそれを否定された時、怒りと憎しみをもって相手を攻撃してしまうことが多いのではないでしょうか。また、自らの心を癒やし、納得させるための手段であったはずの信仰が、いつのまにかそれを遵守し、遵守させるための目的にすりかわってしまう恐れもあります。こうなると、逆に新たな心の重荷になってしまうか、自分の心を殺して盲目的に従うかになってしまうことが懸念されます。
宗教改革を断行したアクエンアテンと、既得権益を守ろうとしたアメン神官団、それを見る民。はたして信仰とはどうあるべきなのか、秩序とはどういった手段で維持・更新していかなければならないのか、古代エジプトに起こった出来事は、現代を生きる私たちにとっても決して遠い問題ではないのです。今回の展覧会では、強くそのことを思いました。
アクエンアテンの魂がまだ現世に留まっているとしたら、こう言うのではないでしょうか。『余の改革は上手く行かなかった。早く理想の世を作りたかったが故に、拙速だったのかもしれぬ。』『しかし、今の時代もまた危機に瀕しておると見受ける。早急な改革を望むのは止むなき事……余と同じ轍を踏まぬ、神に愛された才の持ち主が雲間から出て、世の民に普く太陽の光を届けんことを。』『それはそうと、我が妃は美しいであろう?』……なーんて!
いずれ私たちも必ず通る、死後の世界への扉。今までに亡くなった近しい人、親しい人も、来世へと旅立って、現世の苦しみや痛みを捨て去り、幸せに暮らしているのかもしれませんね。願わくば、全ての人に、安らかな旅立ちを。幸せな再会が、待っていますように。
今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
それでは、ごきげんよう。
……と言いたいところですけれども!
雪が!鑑賞してるあいだにはんぱないんですけど!?(;´Д`)
この記事が参加している募集
サポートしていただくと私の取材頻度が上がり、行動範囲が広がります!より多彩で精度の高いクリエイションができるようになります!