居場所は作るものじゃない。
私は人と関わるのがあまり得意ではない。
というか、むしろ苦手。
グループの輪に入るのも緊張してしまう。
だから人前で気を遣わずに話ができる人や
なんの抑圧もなしに自分を表現できる人が
昔からものすごく羨ましかった。
「自分なんていても居なくても変わらないんだろうな…」
そんな寂しさと孤独感が
常に心にあったように思う。
物心ついたときから私には
居場所がないと感じてた。
どこにいても誰といても不安。
誰かの中に自分を残さなければ
自分の存在がこの世界から消え去ってしまう…
そんな恐怖心があったんだよね。
自分を残そうと毎日が戦いで
誰かに必要とされることが
私の存在価値だと思ってた。
だからかな?
偽りの私でしか人と関われなくなっていた。
嫌われるのは死に値する…
そのくらい怖いことだった。
でもね、
そうすればそうするほど
みんなは離れてく。
相手との壁がさらに分厚くなって
孤独感は増していく。
私はどう人と関われば良いのか
もう分からなくなってしまった。
そんな想いがますます自分を緊張させ
心を固くし、自分を閉ざしていった。
「なんで分かってくれないの?」
私はいつしか怒りを抱くようになった。
私ばっかり我慢してる!
こんなに頑張ってるのに!
そんな不平不満。
寂しいが積もりに積もると恨みに変わる。
私はみんなを敵にした。
というか、そうしないと心が保てなかった。
寂しさと孤独感に潰されそうで怖かった。
テハナシを知り、お掃除を進めてきた。
過去の寂しさの欠片を拾い集め
味わい直し、手放してきた。
心には層がある。
まるでミルフィーユのようなその層を
一枚一枚剥がしてきたからこそ、
やっとここまで言語化出来るようになった。
そのくらいあの頃の私の心は占領されていたのだ。
そしてこの気持ちを思い出し
向き合っているのは、
手放す準備が出来たから。
そう思う。
そのおかげでひっくり返りが起こった。
「全ては自分」だったのだ。
私はずっと自分のことしか考えてなかった。
してもらうことしか考えず
いざしてもらっても「無い」ばかりを見る。
欲しい!欲しい!
貪るような自分の気持ちばかりにフォーカスを当て
いつの間にか自分自身が蝕まれていた。
相手に真心を向けてすらいなかったのだ。
そんなやつ、信用に値しない。
居場所がほしいのなら
まずは自分が相手を思いやること。
ちゃんと真正面に立って
相手の目を見て
相手に心を開く。
自分から与える姿勢があってこそなのだ。
自分ばかりのクレクレちゃんじゃ
どんなに良い人を演じても繋がることはできない。
上辺で利用されて終わり。
だってそもそも自分がそうしてるんだもの。
全ては自分。
自分の在り方次第。
欲しがる前に問いかけよう。
私はちゃんと相手を思いやれているかな?
意識を向けられているかな?
心を開き相手を受け容れようとしてるかな?
居場所は作るものじゃなくて
心と心を通わせ合うことで
自然と居場所になっていくもの。
今の私はそう思う。
自分が最初。
その意識でこれからは人と関わっていきたい。
そして居場所という絆を増やしていきたい。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?