死の本能

フロイト先生は第一次世界大戦を見て、人間には性欲としての生の本能だけでなく、死の本能があると思ふやうになった。

死の本能などといった考へは科学者は相手しなかった。疑似科学でしかない精神分析の教祖であるフロイト先生らしいポエムな発想であるから、文学者や文学者になりたい精神科医たちが盛んに引用したのだが、細胞の自殺―アポトーシスが発見されてからは、さすがはフロイトといふことに風向きが変はった。

軍隊蟻が進撃すると人の赤ん坊すら骨にされると言はれてゐるが、その群列を細い川がさえぎると、先頭にゐた蟻たちが互ひに尻を噛んで鎖状に連なって橋を作る。その橋を渡って進軍は再開される。もちろん、橋となった蟻たちは水に浸かってそのまま溺れ死んでゐる。

日本人の特攻は、昆虫にすら観察される、全体のための自己犠牲であって、特に日本に特有のものではない。
かうした自己犠牲が可能になるには、生物の中に「生きたい」といふ願ひだけでなく、場合によっては「死にたい」といふ願ひが強烈に生じるやうに仕組んでおかなければならない。

かうしてみると、死の本能は、ことさら文学的哲学的に扱ふ必要のない、生物にはありふれた本能の一つなのかもしれない。

戦後の日本、自民党政権がわたしたちに提供してくれたのは、もっぱら性の本能、生の本能の満足だった。
もはや、わたしの見解では、性の本能も生の本能も容器いっぱいに満たされてをり、この三十年ほどは、どんな快楽を、幸福感といふ心の受容器に注いでも、むなしく溢れて零れるだけだ。

安全で安心できる都市生活の中では、立木の上から突然襲ひかかってくるサーベルタイガーの牙に頭蓋骨をえぐられる心配もなく、公園を散歩できる。
子供たちは危険な場所から遠ざけられて、仲間の溺死体やら焼死体やらを一度も見ることなく、成人してしまふ。かつては、子供たちが弱い子供をいぢめ殺すことも子供の遊びの一つだったが、そんなことはもう話として認めることもできなくなって、子供たちとはひたすら生の本能に満ちた天使として扱はれてゐる。

こんな世界で、どうすれば、生きてゐる実感を感じられるのか?

大衆はそのための安易な方法をよく知ってゐるから、
誰か、何か、みんなで攻撃できる対象を目を皿にして探してゐる。

政治家や芸能人の不祥事、会社の不正、公務員の特権濫用、さういふものを見つけて、たまりにたまった死の本能を吐きだそうとしてゐる。
死の本能は、自己に向かはなければ、他者や社会への執拗な攻撃と徹底的な破壊として現れる。

武士道精神とされたものは、生の本能と死の本能の、動的均衡を目指すスキルの体系である。このスキルの体系を身に着けないまま武器の使ひ方だけに精通した者は、侵略軍の兵士のやうに、敵とみなした者すべてに、執拗な攻撃と徹底的な破壊を行ふ。

戦争は決して人類の愚行ではないが、死の本能の管理と善用を工夫しなければ、愚行以上の事態となる。例としては、先の戦争でアメリカ軍が行った都市部への空爆がある。
ただ単に敵の殲滅のために用ゐられた死の本能は、都市だったところを死に、死だけに変へてしまった。そこには、もはや、戦争は無い。戦争なら、兵士がゐて殺したり殺されたりしなければならない。
日本の各都市では、兵士でもない人たちが、兵士も含めて、無機質な死のローラーの下敷きになっていった。その死のローラーは、現代科学の造り出したB29といふ戦略爆撃機と焼夷弾から出来てゐた。

若者は生の本能に満ちた存在のやうに見えるが、実は、若者が若者であるのは、その身体の中に、死の本能を旺盛に持ってゐるからだ。

老人になるとは、身体から死の本能が漏洩してゆき、生の本能ばかりが身体に残ってゐる状態である。

だから、老人は、一日でも長く、一分でも長く、一秒でも長く、生きたいと願ってゐる。
さうやって生きようとするのだが、その理由は何も無い。
生の本能であるから、本能のままに、ただ生きたいだけだ。

人間として、何を目的に、どんな理由で生きるかを定めるには、生の本能と拮抗する死の本能が必要だ。
そのふたつの本能の均衡を取ることは難しい。
実際のところ、均衡は何とか取ろうとする動的な試みとしてしか現出しない。

サーカスの綱渡り芸人と同じだ。
毎日、毎時、ふらふらと死と生がそれぞれの先端に付着した平均棒をゆらしながら、無意味の深淵の上に渡された一本のか細い意味の上を、進んだり退いたりする。
それが人間の人生だ。

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