続☆高木鉦太朗

自由と民主主義と個人がわたしの敵。異なる感性に触れたくてフォローすることがあります。後…

続☆高木鉦太朗

自由と民主主義と個人がわたしの敵。異なる感性に触れたくてフォローすることがあります。後に必ずフォロー<解除します>のでフォローバックのお気遣ひはご無用です。 読ませていただいた記事でも原則としてスキは入れないことにしてます。 あしからずご了承くださいませ。

最近の記事

批判、誹謗、論破したくなるのはなんでか?

初めまして。 わたしも誤解を招く書き方するはうなので、炎上には常に怯えてます。 批判に耳を傾けることも大事だとは思ふのですが、 インターネット上の批判的な意見は、建設的な結果を産まない、 といふ気もしました。 ↓ちゃうどこの記事 のコメント欄で、この記事をお書きになった川中紀行さんから、 インターネットでの批判的な意見について、↓のやうな、示唆をいただいたところでした。 インターネット上だけではなく、どこでも、意見が違って、批判したくなって、それで話し合ひをしても、い

    • おばあちゃん仮説と母親、妻、女であること

      性との関係が年齢によって変化するのは、人として成長してるからだとわたしは思ひます。 性は、 肉体、そして精神や心理の奥で、魂が何を求めてるのか? の指標になり得る。 だから、わたしはセクシュアリティについて書くのをいまだにやめられません。 性依存になってると、。 男性は、死ぬまで生殖活動から解放されないので元々、そんなです。 いくつになっても、セックスしたい恋したい、いつまでもいつまでも、って思ふ。 名誉教授が女子大生とお付き合ひ、顔中シミだらけの老人が女子高生とホテ

      • 後、100年生きたい( ´艸`)

        コメント欄に書いたことだけど、自分の考へが端的に出てるな、と思ったので、記事にしてしまひます。 以下、本文。 個人、個人の自由、人権、そして、それらをもたらした近代。 近代以降、わたしたち自身、それら抜きの社会を考へられない。 一方、イスラム教は、 自由(つまり、なんらかの拘束や制限や禁忌をもたらすことの出来る、絶対的価値は無い、といふニヒリズム)、 男女平等、 政治から宗教を分離すること、 人権(元々は、キリスト教の神が、すべてのキリスト教徒に、生まれながら与へてある

        • 未成年の恋愛や性行為は、道徳によって規制するべきだ

          成人男性(女性)と中高の女子(男子)との性行為を違法☆とするのは、男性や女性の嫉妬と羨望のためだ。 未成年の恋愛や性行為は、道徳によって規制するべきだ。 道徳的に「それはいけない」「それはまだ君たちには早い」と言って禁止するには、大人としての道徳(大人とは道徳を持った存在)を確立する必要がある。 法律で取り締まるのは、道徳とは何かを考へるを、今の日本人が避け続けてゐるからだ。

        批判、誹謗、論破したくなるのはなんでか?

          女性の美しさ

          愛するといふことについては、女性は能動的だ。 わたしは、極言して、愛せるのは女性だけだと何度も書いて来た。 誤解は、男女のからだから生じてゐる。 女性は確かに性行為において受け身でしかあり得ない。 そして、恋愛においても、女性は不特定多数の男性に魅力をばらまいて(そのことを意識してやらないやうに、ふつうは、女性の脳は出来てゐる。AV女優のやうに不特定多数の男性に魅力をばらまくことが明確に、かつ意識的な行為となってゐる女性は、本能をしのぐ理性の持ち主である)、複数の男性に競

          女性の美しさ

          女性の醜さ

          人間は、自分にしか関心が無い。さう決めてものごとをみると、まさにさう見えて来る。 自分以外の人間に熱烈な関心を持つやうに見えるのは、母親であるが、その母親が他者として関心を向けるのは自分の身体から出て来た自分の子供だ。 だから、それは結局のところ自己愛だと因縁をつけることもできる。 母親が自分の子供に向ける関心どころではなく他者に関心を向けてゐるらしく見えるのは、男性の女性に対する関心だ。 これは性欲のためだと説明できる。 男性が或る女性にとても親切で、その女性の幸福を願

          なぜわたしはオカマのマゾなのか?

          『エロスとアフロディテ』(マイケル・バリント(ハンガリー出身の精神分析医 1896-1970))によると、 ギリシア神話のエロスとは、ペニスの象徴で、まだ大人になりきってゐない男子の神である。 アフロディーテは、女神であり、母神でもある。 エロスの愛は激しく求める愛であり、アフロディーテの愛は成熟した穏やかな愛である。 この場合の愛とは、セックスと同義でもよくて、性愛のことだ。 バリントの『エロスとアフロディテ』(1936)は、フロイトが『性欲論三篇』で述べてゐる幼児性欲

          なぜわたしはオカマのマゾなのか?

          母親になる女性はゐなくなる

          個人であり、自由な個人して生きたい女性は、母親になるのをいやがる、のは当然だと思ひます。 個人とは、唯一絶対の神に存在を保証された、唯一無二の存在、つまり、人権を持った現人神です。神だから何よりもエライ。 子供にとって、母親とは、個人ではなく、属性です。 属性だから、母親となった女の人は、「山田花子」ではなく、「山田(太郎←花子さんの息子)くんのお母さん」と呼ばれる。 子供にとっての母親とは、自分を無条件で愛する存在です。 誰かを無条件で愛する、といふことは、ふつう、人

          母親になる女性はゐなくなる

          仏教は勉強である

          仏教は、他の宗教とはちょっと違ふ。 何かを信じても埒が明かないと見定めたお釈迦様が、認識によって、生を乗り切ろうとした方略だ。 お釈迦様が考へたことは、三島由紀夫氏が『金閣寺』の中で簡潔に述べてゐる。 「子供らしい負け惜しみはやめにするさ」と柏木は嘲笑した。 「俺は君に知らせたかつたんだ。この世界を変貌させるものは認識だと。  いいかね、他のものは何一つ世界を変へないんだ。認識だけが、この世界を不変のまま、そのままの状態で、変貌させるんだ。  認識の目から見れば、世界は

          仏教は勉強である

          今、なぜインドには仏教が無いのか?

          お釈迦様はインド人。仏教はインドの宗教。でも、今、インドには仏教が無い。 なぜ? 日本でもお寺には講堂が必ずあって、そこで仏教の講義を受ける、ことになってます。 仏教とは勉強するものなのです。 だから仏教が興隆すると、大寺院ができますが、それは仏教の大学、研究センター、講習所みたいなものです。 さういふものがあってこそ、仏教はその地域、その国、その民族の宗教であることができます。 その点が、神道とか、インドの土着のヒンズー教などとは違ひます。 もし、神社が破壊され、神主が

          今、なぜインドには仏教が無いのか?

          オカマになった理由

          わたしがオカマになった根本的理由、といふか、これは原因と言ふべきかもしれませんが、とにかく、それは、ありのままの自分を受け入れられなかったこと。 さらに、男性とは何か?とずっと考へてきた結果、 男性存在とは中身が無い から、ありのままの自分なんてものを手放しで探しても、無いものは無いから、見つからない。 一方、女性は中身が詰まってをり、客体として存在が定まってをり、だから「男たちがいやらしい目で見る」「痴漢にモノ扱ひされる」「女はマスコミに性の消費材とされる」といった苦情

          オカマになった理由

          コメント欄での対話

          noteで面白いなと思ったことはいろいろありますが、あやのんさんのnoteを読んでて、そのコメント欄が(記事をきっかけとはしてるけど)記事から独立してるといふか記事としっかり並存してるといふか、コメント欄そのものが記事と同じくらゐ面白くてためになる。 それどころか、記事だけでは得られなかったことがわかり、考へなかった問題が出て来る。といふことも、読んでゐて、少なくありません。 さういふ体験をしてゐるうちに、自分も、少なくとも自分のコメント欄では思ったことを書かうと思ふやうに

          コメント欄での対話

          資本主義社会では誰もが商人

          まりりんさんの記事のコメント欄に書いたこと。 迷惑な長文コメント。一気に書いて、ごめんなさいって思ひながら送信しまた。なんかごちゃごちゃしてて、何よこれ?って感じで、みんな、読み飛ばすと思ふ( ´艸`) でも、さっき、読み返したら、自分としては、なんかずっと思ってたこと、「資本主義社会では、誰もが、商人」論、 になってる( ´艸`)から、自分の記事にもしてしまひます。 自分の記事にしてもみても、読んでもらへないのは同じね( ´艸`) もっと簡潔に書かないとダメですね。

          資本主義社会では誰もが商人

          コミュニケーションと歴史的仮名遣ひ

          言葉が通じると、なんだか話せばわかりあへる気がしてしまひますが、よく考へたら、言葉がわかることがかへってあだになることも少なくなさそうです。 といふのは、たとへば「猫」といふ言葉を出して語る、或いは、その言葉によって語られることを聴く、さういふとき、話す者も聴く者も、「猫」といふ言葉を知ってゐる、わかってゐると思ってしまひます。 けれども、話す者と聴く者で共有する知識は、「猫は英語ではcatだ」といふくらゐのもので、その他の大部分は、「猫」といふ言葉の裏にそれぞれの経験がず

          コミュニケーションと歴史的仮名遣ひ

          https://www.youtube.com/watch?v=xkv7GBI88Nc&pp=ygUj5ZGq44GE44Gu5pel5pys5Lq65b2iIHVzaiDlj6_mhJvjgYQ%3D 日本人形ゾンビ@usj2023ホラーナイト 踊りが終はった後 日本人形さんに誰か女性が 「市松ちゃ〜ん」 と呼びかける声あり その声のはうに向かって きゃああ! と叫びながら襲いかかる日本人形さん わたしも襲はれたい( ´艸`)

          https://www.youtube.com/watch?v=xkv7GBI88Nc&pp=ygUj5ZGq44GE44Gu5pel5pys5Lq65b2iIHVzaiDlj6_mhJvjgYQ%3D 日本人形ゾンビ@usj2023ホラーナイト 踊りが終はった後 日本人形さんに誰か女性が 「市松ちゃ〜ん」 と呼びかける声あり その声のはうに向かって きゃああ! と叫びながら襲いかかる日本人形さん わたしも襲はれたい( ´艸`)

          男といふ不安と性欲

          堀間善憲さまのnoteの記事は、これまで、何度も何度も、引用させていただいて、他人の提灯で灯りをとるといふ次第で自分の記事を書かせてもらってゐます。 ただでさへ、インスパイアされる記事なのに創作大賞の応募作になってからは、エライことになりました。 大賞応募の記事は、一つのテーマのもとに、いくつかの小説や映画や評論や楽曲が取り上げられて縦横に論じつつ、確実に核心に迫るといふスタイルなので、そこで取り上げられてゐる小説や映画など、ひとつひとつから、それぞれ思ふところが湧き出て

          男といふ不安と性欲