続☆高木鉦太朗

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続☆高木鉦太朗

異なる感性に触れたくてフォローすることがあります。後に遅かれ早かれ必ずフォロー解除しますのでフォローバックのお気遣ひはご無用です。 読ませていただいた記事でも原則としてスキは入れないことにしてます。 あしからずご了承くださいませ。

最近の記事

生きづらさはマイノリティだけのものぢゃなくて人の数だけあるわよ

わたしはこの記事とは考へが違ふけど、どう違ふかを考へるヒントをもらへるいい記事でした。 みなさまにもお勧めします。 人それぞれの幸せを認め合える社会の実現に向けて、 といふこの記事の善意に共感賛同される方も多いと思ひます。 わたしは性格が歪んだオカマなので、この記事で扱はれてるパンセクシュアル、ノンセクシュアルの人がふつーの特にイケメン(つまりは女の子みたいな美形)でない、まあ、平均的にむさ苦しい男の子だったら大分印象が変はるだらうなと思ひました。 パンだからノンだからって

    • 結婚した(不倫でない)男女の身体の触れ合ひ

      快楽を得るためには、それをもたらす前提条件として、絶対の禁忌がなければならない。 そして、それを打ち破ってでも快楽を追求しようとするとき、人はすべての相対的な日常性から飛翔して、絶対を垣間見る。 教会に行っても神に会へなくなったので、セックスの快楽の中に神を見ようとする、キリスト教信者たちの苦肉の策。 これが、バタイユのエロティシズムですね。 最近報じられた、男女警察官の交番でのセックス。 既婚で不倫の男女の警察官が3時間。 みんな、あのニュースで思ひきりヤラシイこと、想

      • 思考の回転と停止

        人生を生きるのではなく、人生を考へ始めると高速無限の思考の回転が始まりますね。 回転するけど、前には進めない。 哲学から始まって今では科学となってるのも、元は、人間の止まらない思考だらうと思ひます。 科学の場合、科学技術を生むから、珍しく思考が生活を前進させてる。 哲学はご案内のとほり、生きるにあたって何の役にもたたない🤭 人生につまづきがあると、どうしても人生を考へ始めますね。 人生そのものが円滑に高速で回転すると、思考のはうの動きはゆるくなり、人によっては停まるやうで

        • キツネとタヌキは仲良く幸せになる

          さっきnoteの記事で、キツネとタヌキが出て来る童話を読みました。 優しい文体が人柄を示す、優しい物語。 ネタバレですが、お腹を空かしたきつねが、おばあさんに誘はれてご飯を食べにいくと、おじいさんが「あのタヌキはうまかったな」と棒を片手にニヤリとして「次はキツネだ」とおばあさんに言ってるので、びっくりして逃げ出すといふ展開。タヌキそばにキツネうどんだらうとその時点で予想するけど、もしかして「文学的」な話になってゐて、最後はおじいさんとおばあさんが食はれてしまふ、といふ話ではな

        生きづらさはマイノリティだけのものぢゃなくて人の数だけあるわよ

          真理を告げる統計学

          近代とは科学といふ知識体系こそが真理だと信じる時代だ。何事にしろ、科学的であれば信じるに足るし、科学的なエビデンスがあれば、そこで近代人の思考は停止する。 その先駆けは、科学的に構想された社会制度である共産主義だった。科学が現実をどう解釈するのも自由だが、その解釈に現実が気兼ねして姿を変へるわけではないのに、共産主義者たちは現実のはうが間違ってゐると確信できた。これが科学が人間を魅了する理由だ。 科学的思考においては、間違ってゐるのは、現実なのだ。これは前近代において宗教が持

          真理を告げる統計学

          第二の誕生

          辞書には 石女(うまずめ)は、 子供を産むことの出来ない女性を差別するため、現代では使われません とあるけど、 石女は妊婦にもゐる。 子を道具にする女は 子を産むことが出来ない女だ。 人間は子宮から放り出されただけでは誕生したと言へない。 子宮から出て3年、母子の愛着関係を通して、 「他者と相互依存出来る自己」 を形成したときに、人間として誕生する。 「生まれて来てよかった」 と子が大人になって思ふとき 女が子を産んだことになる。

          羨ましいですか?

          引用先は敢えてつけてません。 今の日本で「こころある人」たちが言ってることの最大公約的な内容かなと思ひました。 今だけ金だけ自分だけの社会と言ってもいいと思ひます。 こんな日本で無い社会ってどんなところなんですかね? わたしは、みんながウクライナとかパレスチナとかが大好きなのは、あそこの人たちは、ハマスとかは別にして、お金とか肩書きどころぢゃなくて、一番大切なもののために生きてるからだと思ひます。 みんな真剣な顔して、だらけたりふやけたりできない。いつ死ぬか、わからないんだ

          羨ましいですか?

          文化は言葉である

          大東亜戦争が始まった頃、『近代の超克』と題して学者や文学者が集まって対談したことがあります。内容は主にアメリカの文化文明の批判でしたが、全体的な方向としては、大東亜戦争を単なる軍事的衝突ではなく、日本を飲み込まうとする西洋の近代文化に対する文化防衛戦争の一貫と捉へやうとしたのだと思ひます。 もちろん、戦争に負けると、時流におもねったといふことで参加者は徹底的に批判され、参加者もただちに、大いに、反省したやうです。 かうして反西洋文化派がたちまち反省してしまったのは、近代の超

          文化は言葉である

          結婚は一度はしときなさい

          昔、関西のお笑ひ芸人さんのトリオで「かしまし娘」といふ人たちがゐました。  三姉妹なんですが、テレビの対談番組の中で、結婚の話になったとき、長女の人が、 「妹たちには『結婚は一度はしときなさい』と言ってゐた」と語ってゐました。  その理由。 「この世には思ひ通りにならないことがあることを知る。そして、我慢することを学ぶから。」 当時は、わたしも若かったので、ものすごくショックを受けました。  結婚って、愛とかウェデングドレスとか幸せとか、そんなアメリカンなイメージで彩られて

          結婚は一度はしときなさい

          腐った女と女の腐ったやうな男

          女は生ものだから足がはやい。冷蔵庫から出して、うっかり食べ忘れてたりしたら、もう異臭がしてる。手遅れだ。 腐りだしたらこれほど危険なたべものはない。 せっかくだから、もったいないからと、意地汚くつまんだりしたら、確実に死ぬ。しかも、吐いて下して地獄の苦しみの中でもがき死にだ。 口の卑しい男が、これまで、腐った女に当たって何人死んだことだらう。 男は性別にこだはって男であらうとしないと精神が、夏場にテーブルに出しっぱなしにしてしまった女のやうに、腐る。 へんな匂ひがしてくる。

          腐った女と女の腐ったやうな男

          いい小説

          noteは書き方を教へてくれる。 目次やまとめ、これがあるとわかりやすい。 今の文書は、わかりやすいことが第一なのだ。小説ですらさうだ。誰が読んでも何を言はんとするかがわかる、考へせられたと語り合ふ読者が何を言っても意見がぶつからず、仲良くなれる、それが春樹的な「いい小説」だ。 わたしにとって「いい小説」は、自分には今の世の中に居場所が無いかもしれないと思ってゐる人に、ほんたうに居場所がないことを知らせるものだ。 自閉症とか毒親とかの時代の共通語で語れない人生を送ってゐると

          溺愛

          男の子を溺愛できる女性はほとんどゐない。 男性は人間が環境と戦ふために女性から作り出された第二の性。用途のための道具であり、目的ではなく手段であり、本質を持たない仮象であるから、どんな男でも男であることがいやなのだが、お母さんから溺愛されると、なんとか、男であるといふ運命を受け入れられる。 変へられない運命を受け入れさせるのは、溺愛しかない。

          男性の幸福な死と姫について

          映画の『レオン』や『イコライザー』は、男が男でありながら幸福になれる奇跡的状況を描いてゐる。 男性が女性と違ふのは、 ①殺戮と破壊の衝動 ②死と隣接したときの快感 を持つことだ。 子供でも男の子に生れたら、生き物をみたら殺そうとするし、それも、できるだけ残酷な方法で苦しめて殺すのを楽しむ。男の子に釣りを教えたらみんな喜んで始めるが、わたしは、魚の身になったらあれほど苦しいことは無いと思ったから絶対にイヤだった。 男の子には相手の身になって感じる、といふ想像力がからだに備はっ

          男性の幸福な死と姫について

          男であることを受け入れて覚悟を決めることからしか、男の人生は、始まらない

          まりりんさん、このことは国家機密レベルの絶対秘密。 この秘密には女性ですら気づいてない人が多くて、むしろ男性みたいにコントロールされてると思はないでコントロールされてる人間になりたいらしい🤭 せっかく女の身体に生れたといふのに、それをスーツに包んで男みたいに資本主義の社会で、社会的な存在になって働きたいとは奇妙な欲望だ。男性とは貨幣経済社会の奴隷なのに🤭 実際、昔から女性が、この貨幣経済社会で誇りある仕事にしてゐた先生業の人たちは、何かといふと、自分たちがサービス残業の地獄

          男であることを受け入れて覚悟を決めることからしか、男の人生は、始まらない

          性別は、外見が決める。

          性別は、外見が決める。 それで、自分の性別に合ふ外見に整へようとしたくなるのだらう。 外面の内側に、内面だけの性別があるなら、外見がどうあらうと、その内面の性別は揺るがないはずだ。 男女以外の第三の性別、つまり、男でも女でもない第三の性的な外見は見たことがない。 なぜなら、人間の顔は、男か女のどちらかでしか認識できないからだ。 魚にそっくりな顔になったら、第3の性と言ってもよいだらう。また、性別は無い、と言っても通ると思ふ。 人間の顔はしてゐるが、男か女かわからないとい

          性別は、外見が決める。

          ヤスパースと仏像

          ヤスパースが仏像を称賛してるとは知りませんでした。 偶像としての仏像ではないはず。 ヤスパースは聖書や預言といった明示的な神の言葉を疑はしく思ふ哲学者だから。 「神性は暗号の中に示現、あらはれるが、しかも隠れたままである。」 (『臨床哲学』加藤敏より孫引き) このヤスパースの言葉は、なにもののおはしますかはしらねども、の歌と同じことを言ってるとわたしは思ひました。 絶対的存在は、相対的存在である実存の意識によっては把握できない。といふ理屈。 ヤスパースは、神はカクリミ

          ヤスパースと仏像