女性の醜さ
人間は、自分にしか関心が無い。さう決めてものごとをみると、まさにさう見えて来る。
自分以外の人間に熱烈な関心を持つやうに見えるのは、母親であるが、その母親が他者として関心を向けるのは自分の身体から出て来た自分の子供だ。
だから、それは結局のところ自己愛だと因縁をつけることもできる。
母親が自分の子供に向ける関心どころではなく他者に関心を向けてゐるらしく見えるのは、男性の女性に対する関心だ。
これは性欲のためだと説明できる。
男性が或る女性にとても親切で、その女性の幸福を願ってゐるとしても、その女性が醜女だったり、何より老いた女だったりしたら、そんな関心は生まれないだらう。
夫婦のやうに、性的な魅力以外の何かによって結びつく男女の関係でないかぎり、男性は若くなくなってきた女性には恐ろしく不親切で冷たくなる。
女性の醜さは、自分が性欲の対象であるから関心を向けられてゐる事実をごまかすことから生まれる。
女性とは、お金を持ってゐるからちやほやされる人と同じであるが、お金を持ってゐる人が自分の魅力はお金持ちになれた能力や人柄にあるのだと思ってゐるやうに、女性は性的魅力によって自分に向けられる関心を、自分の人柄にあると思ってゐることが多い。
お金持ちが常に友人知人に囲まれてゐるのは、友人知人と接してゐる人たちに(お金持ち本人としては無意識であるかもしれないが)常に、有形無形の利潤を与へてゐるからだ。
お金持ちに気に入られてトモダチだと思ってもらへると得をする。
それでお金持ちは人望がある。友人知人だと言って群がって来た人たちにまったく利潤を与へなければ、「あいつはどうしようもないケチだ」と言ってみんな去ってゆく。また、お金持ちがお金を無くして困ってゐるとき、友人知人だと言ってゐた人で、そのお金持ちを助ける人はゐない。そのことを知ってしまったお金持ちは、ひどい人嫌ひとなって、親しく口をきくのは愛人たちだけといふことになったりする。
お金持ちの比喩は、だいたい女性にあてはまる。
女性は自分に対する他者の関心の源が性的なものだと知ってゐる。そして、それを意識することをたいていの女性は拒んで無意識化する。
オシャレをするのは性的な魅力を増すためだ。だから、男が化粧をすると気持ちわるい。老婆が小悪魔的な女子高生と同じかっこうをすると気の毒に思へる。
つまり、オシャレが成立するためには、オシャレをする人が女であり、性的な魅力が無ければならない。女性の性的な魅力は若さによって保たれるから、或る年齢以降は、オシャレとは「若く見える」やうにすることになる。
女性の魅力が性的なもの―つまり男性に交接したくなるやうな肉体がそこにあると思はせるもの―なら、それは若さを失ふにつれて減衰してゆく。
女優などは、中年以降も、「まだビキニ水着が魅力的」といふやうなことで、女性の魅力をもっぱら性的なものとして保たうとするから、(女性の)性的な魅力☆と直結してゐる若さが強迫観念となる。年齢よりも若く見えるといふことを追ひ求める。
(☆統計的な研究では、性的なパートナーとして、男性は若い女性を選び、女性は地位のある(富と権力のある)男性を選ぶ。これは、男女の性行動の事実として否定することはできない)
素人女性には、さういふ老いてゆく女優たちに倣って、五十歳なら四十歳に見えるやうに様々な工夫をする人もゐる。さうしてみても、女子高生から見たら、オバサンである。そして、男性たちが見るのは、女子高生をはじめとする若い女だ。
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