下北半島の尻屋崎灯台・寒立馬🐎・恐山  (2015年7月)

画像1 下北半島の最東端にある岬。この先端には日本最大級の明るさを誇る白亜の灯台 尻屋崎灯台があります。尻屋崎は、昔から難破岬と呼ばれ遭難船の多い所として船乗り達から恐れられていました。明治時代に入り、日本も世界各国と貿易を行うようになったため、航行船舶の安全を守るために、イギリス人が設計し尻屋崎で焼いたレンガで建てられた灯台です。レンガ造りの灯台としては日本一の高さを誇ります。
画像2 南部藩政時代から田名部馬と呼ばれる比較的小柄で寒気と粗食に耐え、持久力に富んだ馬が「四季置付」と称し周年放牧されていました。 これらは、南部馬を祖とし、藩政時代から明治、大正、昭和に亘って主として軍用馬として外来種との交配によって改良されてきた田名部馬であり、なかでも、尻屋地区ではこの田名部馬をブルトン種と交配することにより独自の農用馬(肉用馬)として改良してきました。
画像3 かつてこの地方の「かもしか」を動物作家戸川幸男氏は「寒立(かんだち)」と名付けたといいます。 昭和45年尻屋小学校長岩佐勉氏が、当時「野放馬」と称されていた馬を次のように短歌に詠みました。 「東雲に 勇みいななく 寒立馬 筑紫ヶ原の 嵐ものかは」  さらに、昭和43年尻屋崎が下北半島国定公園に指定され、訪れた観光客が「白亜の灯台と寒立馬」が織り成す牧歌的叙情風景に魅せられ、誰ともなく「寒立馬(かんだちば)」として愛称され今日に至っています。
画像4 862年、慈覚大師円仁は 「東へ向かうこと三十余日、霊山あり その地に仏道をひろめよ」との 夢のお告げに従い諸国を行脚 そして辿り着いたのが、この地 恐山であると言われています
画像5 植物が生えずに白い岩がむき出しになっています
画像6 お地蔵様に祀られる風車は、亡くなった小さなお子さんへの供物です。触ったり、抜いたりはご法度です。
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画像8 積み石 は三途の川の賽の河原は親より先に亡くなった子供が「親不孝の罪」を背負い、積み石 で塔を建てる罰を受けているという民間信仰からできた光景だそうです。
画像9 恐山の境内は1周3km程度の参拝コースがあり、徒歩約40分で巡ることができます。その境内には火山岩で形成された136の「地獄」があり、現世で犯した罪の罰を受ける地獄を表しているのだとか。
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画像12 東日本大震災犠牲者追悼の為 極楽浜に建てられた地蔵菩薩像 背面には大小数十の手形が彫られています
画像13 恐山には地獄だけでなく極楽もあります。恐山菩提寺に隣接する「宇曽利山湖(うそりやまこ)」は白い砂浜が南国のビーチのように広がり、極楽になぞらえ、極楽浜とも呼ばれています。
画像14 この湖の湖水はpH3.5という弱酸性。生息している魚類は酸性に適応力があると言われるウグイのみで、ほとんどの生き物は生息していないそうです。
画像15 本州最北端の地 大間崎 津軽海峡をはさんで、函館市汐首岬までの距離はわずか17.5キロメートルです。
画像16 魚喰いの大間んぞくに行き三食まぐろ丼を食べました。写真がどこかに行ってしまいました(´;ω;`)  https://oma-wide.net/menu/sakanaguinoomanzoku/ ← サイトはこちらから

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