神山波子

1970年生まれ。子どもの頃からのエピソード。 なんだか思い出して書いてみたくなりまし…

神山波子

1970年生まれ。子どもの頃からのエピソード。 なんだか思い出して書いてみたくなりました。ほぼ実話です。

最近の記事

戴帽式

いつからだろうか。 母が学校行事に来なくなったのは…。 小学校中学年くらいからだろうか。 だから私も学校のお便りを渡さなくなっていた。 ーーーーーーー 私は高校を卒業し、 看護師の専門学校に通っていた。 入学して数ヶ月が経ち、 「戴帽式」のお便りが配られた。 なかなかのイベントらしく、 ナイチンゲール誓詞を唱えながら、 自分への誓い、想いを胸に刻むような 行事であることを聞いた。 いつもなら捨てるお便りを その時は母に渡してしまった。 戴帽式当日の会場は、 戴帽式が嬉

    • いつの間にか…

      小学校からの親友がいた。 一生、付き合っていくと思ったいた。 彼女の家庭環境は複雑で、 私の家はややネグレクトだったと思う。 お互いが相手の辛さを少しだけわかっていて、 いや、わかっていなくても わかりたいなーって思っていた。 話すと元気が出た。 心の支えだった時期があった。 大切な友達、だただた彼女が好きだった。 彼女とは小学校のとき知り合ったが、 転校し遠距離になってしまった。 あまり会えない期間もあったが お互い連絡を取り合い、 近況報告から始まり、たわいも無い 世

      • 届いたお弁当

        幼稚園のときだった。 幼稚園のころの記憶は 数えるほどしか残っていないが、 この日のことは今でも覚えている。 幼稚園には毎日お弁当を持って行った。 私のお弁当箱は楕円形のアルミ製だった。 上からパカっと閉じるタイプの物で よく煮物の汁がお弁当の袋に染み出していた。 匂いも漏れ出していて… いつも少しだけだけど、嫌だった。 さらにお弁当を開けると 寂しくなる日が多々あった。 一面真っ茶色、煮物・煮物・漬け物 おばあちゃんのお弁当みたいだと思った。 なおみちゃんやミーコのよ

        • ボタン

          中学2年。 話したことのない1つ上の先輩がいた。 全く私のことを知らない人。 私の存在を認識していない人。 1980年代。 私は田舎の中学に通っていた。 その人はキリッとした端正な顔立ちで 背が高く、短ランが似合っていた。 好きとか嫌いとか、そんなところまでの 感情にも辿り着くわけもなく、 外に続く階段に座る先輩を 3階の教室から見るのが好きだった。 夏休みに入るころだったか、 私の学年の小さくて可愛くて男子からも 人気のある千春ちゃんが、 先輩と付き合っているという

          ファッションショー

          たぶん小学3年の冬だったか…。 何故だか全然覚えていないが、 女の子7.8人でファッションショーを することになった。 体育の後だったか、 みんな体操服を着ていたので 体育館の真ん中に、着替え用の洋服を集めて置き 一人ひとり友達の好きな洋服に着替え、 ランウェイするという ファッションショーごっこ。 ちょっと嫌な予感もあった。 だって私の冬は、だいたい茶色のとっくり& ベッチンのエンジのズボン。 どの季節も3パターンくらいで まわしていたからだ。 背が高く天然パーマでくり

          ファッションショー

          りえちゃん係

          小学校1.2年のとき、 私はりえちゃん係であった。 りえちゃんは、ちょっと気難しくて みんなで行動するのが 少し苦手な子だったと思う。 何か気に食わないと、 授業中でもトイレに隠れて 出て来なくなってしまい、 先生や他の子が行っても出て来てくれず、 何故か私が声をかけたときに 出て来てくれたので、 自然と私がりえちゃん係になっていた。 何度か、りえちゃんのお家に 遊びに行ったこともあった。 りえちゃんは里子であった。 当時はその意味もわからなかったが、 母がそう言ってい

          りえちゃん係

          鉢植え

          小学校2年くらいだったか…。 私たち子どもの頃もお誕生日会があった。 私も仲のいいお友達の家へ何度かお呼ばれし、 筆箱や消しゴム、かわいいメモ帳なんかを プレゼントに買っては、ノリノリで お邪魔させてもらっていた。 数人で集まることも楽しかったが、 みんなでご飯やケーキを食べ、 カルピスやオレンジジュースを たくさん飲めることも 楽しさを倍増させていたんだと思う。 そして帰り際に、 今日は来てくれてありがとう!と渡される ファンシーショップやサンリオで買ったと 思われる小

          フォアグラがフェラガモ

          20代前半の頃だったと思う。 女友達もちらほら結婚し始めていた。 私も数回結婚式に出席していたが、 時代のせいか随分派手な格好で お式に行っていたと、 当時の写真を見ると我ながら驚いてしまう。 ある時、式のお料理にフォアグラが出てきた。 当時フォアグラは、今よりずっと高級で、 結婚式のコース料理やラグジュアリー感のある お店でしか提供されないような リッチな人が食するイメージがあった。 そして私たちのテーブルにも フォアグラがサービスされた。 その時… 『うわぁー

          フォアグラがフェラガモ

          プールでズル

          小学校5年の夏休み明け。プール最後の日。 私が子どもの頃は、プールの授業が厳しかった。 泳げない私は、毎年夏休みの水泳特訓みたいなのに半強制的に出席させられていた。 だけど一向に上達はしなかった。 25メートル泳げない私は赤帽、 25メートル以上泳げる子は青帽、 50メートル以上泳げる子は白帽と決まっており、5年生にもなると 赤帽を被っている子も少なくなっていて…。 私はプールが嫌いだった。 プール最後の日は、 クラス対抗で競走したり個人戦があったりと、 心がドーンと暗い

          プールでズル

          初めてのミルクティー

          私が小学校4年生ぐらいだったと思う。 理科だったか社会だったか忘れてしまったけど、グループ発表があるので みんなで資料を作ることになった。 その時、なぜだか太郎くんの家に 集まることになった。 太郎くんの家は少し遠く、坂も多かった。 でもみんなで話しながら歩いて行くのは 楽しかったし、ワクワクした。 太郎くんは、いつもどことなくオシャレで きちんとしていて、ちょっと魅惑の人でも あった。 そんな思いもあり、ワクワクした。 太郎くんの部屋は新しくて綺麗だった。 私には、

          初めてのミルクティー