少年時代と夏の終わり。無職の車窓から。
少年時代と夏の儚さはどこか似ていて、気がつけば既に過ぎ去っている。
二度とは戻れないあの時を、なぜだかとても恋しく思う。
ある家族との出会いを、昨日のことのように思い出す。
「ここらへんでカブトムシは採れますか?」
長袖長ズボン、頭にはヘッドライト。アニメキャラが描かれた虫かごを持ち、キラッキラの目をした坊やが私に尋ねる。
「あぁ、そこの森にはわんさかいるよ。クワガタもたまに見るかな」
「やったー!早く行こうお父さん!」
息子さんと同じく、重装備のお父さんは「教えていただいてありがとうございます」と言って、深々とお辞儀をし、森へ駆け出して行った男の子の後を追った。
まだ7、8歳のわんぱくそうな子だった。
虫に夢中だから、あだ名はリトルファーブル。
お父さんはめちゃくちゃ人柄を良くした前澤友作といった感じなので、勝手にZOZOTOWNと呼ぶことにした。
自宅がある住宅街は「高齢化社会の縮図」で、いい歳をした私がいつまでも加入したての新メンバー状態だった。
しかし、ZOZOTOWN一家の出現によりぐんと平均年齢が下がり、最年少若手住民の座もリトルファーブルに明け渡すこととなった。
夜の7時にもなれば、辺りは静まり返り、通行人の足音すら鮮明に聞こえていたのに、新入りのおかげで少しだけ活気づいたように思えた。
ZOZOTOWNとリトルファーブルは毎日、日が暮れてからもサッカーをして遊んでいた。
近頃の子供はゲームにスマホ、YouTube。オンラインで何かと用事があるはずなのに、がむしゃらに外で遊んでいる姿は、私が知っている「あの頃」と
何一つ変わっていないように見えた。
そして、ZOZOTOWNも今時珍しいくらい礼儀正しい人だった。
通行人が通りかかればすぐにサッカーを中断。ボールを左脇に抱え、右腕は真っ直ぐに伸ばし、ピッと指を揃え、見事な角度でお辞儀。大きい声で「こんにちは!」
マナー動画を見ているみたいだった。
主夫さんであるZOZOTOWNに最初こそ、好奇の眼差しを向けてしまったが、この二人に好感を持たないはずがない。
そのうちに、
ちょっと、明日雨じゃない!ZOZOTOWNたちがサッカー出来ないわ!!
と、天気予報に怒りを覚えるくらいには彼らに対する思い入れも強くなっていった。
毎日サッカー、夏は虫取り。
蒸し暑い夜には私の部屋まで二人の楽しそうな声が聞こえ、記憶の中のなつやすみに思いを馳せた。
リトルファーブルはマメだった。
カブトムシをおびき寄せるために木に蜜を塗り、目印として黄色いリボンをつける。
住宅街にひっそりと佇む森も、リトルファーブルのおかげで夏だけはなんだかとても溌剌として見えた。
ある時、お向かいのおばさんから
「最近、そこの森に変なリボンがついてるのよ。空き巣の下調べかしら?」
と、聞かれたことがある。
盛大な誤解をしていたので吹き出しそうになったが、カブトムシハンターの仕事なんですよ~と説明した。
その後はおばさんも陰ながらリトルファーブルを応援していたようだ。
彼らは住宅街のアイドルになった。
気がつけば、リトルファーブルはZOZOTOWNの背を追い抜かそうとしていた。
毎日毎日やっていたサッカーもお休みの日が増え、森からもずいぶんと黄色が減っていた。
もうすぐかぁ。
いっそのこと時が止まってしまえばいいのにと思った。
だが、迫り来るそれは避けては通れない。
皆それぞれ違う場所からスタートしたはずなのに、なぜだか同じチェックポイントにたどり着く。
リトルファーブルもいよいよ向かい始めたらしい。
もう少しだけ、私には二度と手に入らない宝石のように光輝く時間を見せてほしいと願った。
しかし、現実は待ってくれない。
私の願望とは裏腹にリトルファーブルは足早にそこを通過していった。
今年の夏、森からは色が消えた。
ふと、ZOZOTOWNのことを考えた。
時間が出来てほっとしているのか、それとも心にポッカリと穴があいているのか、はたまた喜んでいるのか。
いや、でも、やっぱり寂しいはずだろう。
毎日毎日サッカーをしていたせいで、90年代から飛び出してきたサーファーのようになっていたんだもの。
そりゃ、寂しくなるよね。
でもね、ZOZOTOWN
知ってた?
リトルファーブルって腕をピッと伸ばしてまっすぐな姿勢、見事な角度のお辞儀と大きな声で、ご近所さんにちゃーんと挨拶してるのよ。
あなたにそっくり。
今日、かつてZOZOTOWNとリトルファーブルが毎日サッカーをしていた道を通った。
そっちそっち!
パス!パス!
賑やかだったあの頃と違い、そこは湿った空気と蝉の声が響くだけの場所になっていた。
時計の針を、しっかりと着実に進めているリトルファーブル。
かたや、止まったまま動き出せない無職の私。
そういえば、もう9月だ。
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