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昭和歌謡曲とともに大人になった私♪筒美京平名曲の数々♪1980年〜1984年

作曲家・筒美京平さんが2020年10月7日逝去された。

筒美京平さんの作品を筒美作品の編曲にたずさわりながら敬愛してきた直弟子である音楽プロデューサー・武部聡志さんを中心に、亀田誠治さん、本間昭光さん、松尾潔さんなどの名だたるトッププロデューサー陣と、それに賛同するアーティストたちにより、トリビュートアルバム「筒美京平SONG BOOK」が3月24日にリリースされた。

昭和の歌謡曲と言えば筒美京平さん。
その名前はよく目にもしていたし、耳にもしていたが、どの曲を作曲されていたのかははっきり覚えていなかったので、今回少し調べてみることにした。

特に私の記憶に残っている楽曲を3回に分けて年代順に著述(※YouTubeに上がっている動画をお借りしています)する。

今日は昨日に引き続き、花の1980年代に突入することとしよう。

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●1980年 近藤真彦「スニーカーぶる〜す」

この曲は近藤真彦のデビューシングル。
ジャニーズのたのきんトリオが一世風靡した時代のはじまり。
もちろん私はマッチ推し!やんちゃな感じが大好きだった。
忘れもしない、はじめて自分で購入したレコードがマッチのこの「スニーカーぶる〜す」だ。

●1981年 近藤真彦「ブルージーンズメモリー」

「青春グラフィティ スニーカーぶる〜す」に続く、たのきんトリオの映画第2弾「ブルージーンズメモリー BLUE JEANS MEMORY」の主題歌。

●1981年 近藤真彦「ギンギラギンにさりげなく」

第23回日本レコード大賞最優秀新人賞受賞。
マッチ全盛期。今見てもやっぱりカッコいい!
マッチをテレビで見ない日はなかったように思う。

●1982年 田原俊彦「君に薔薇薔薇…という感じ」

たのきんトリオのひとり、田原俊彦の8枚目のシングル。
歌唱力はいまいちだったが、キレッキレのダンスは見ていて気持ち良かった。
マッチにはない強みがこのダンス力だったように思う。

●1982年 稲垣潤一「ドラマティック・レイン」

当時15歳の私の心の中で、稲垣潤一がどんどん広がっていった時代。
彼をきっかけに、大人の歌の世界に憧れ始めたと言ってもおかしくない。
彼のどこか寂しげな歌声がこの曲にピッタリで、ドラマを叩きながら歌う姿に私は衝撃を受けたのを覚えている。
初めて自分でLPを買い揃え始めたのが、彼の作品だった。
「筒美京平SONG BOOK」では、JUJU がカバーしている。
JUJUも大好きなアーチスト!テレビで聴いた時は感無量だった。

●1983年 稲垣潤一「エスケイプ」

本当に名曲揃い。
是非知らない方には聴いて頂きたい!
自分も大人になり、改めて聴いても少しも色褪せていない楽曲ばかり。
その時代が思い出され、ただただ懐かしい。

●1983年 稲垣潤一「夏のクラクション」

何年か前にライブにも行かせてもらったが、さらに大人の魅力が増し、めちゃくちゃカッコ良かった。
歌声も全然変わっていなかった。
今でも大好きなアーチストで大好きな曲ばかりだ。

●1984年 小泉今日子「ヤマトナデシコ七変化」

アイドル全盛期真っ最中、当時の私の中ではダントツにオシャレで可愛いアイドルだったキョンキョン。
この曲のタイトルどおり、アイドルらしい曲もちょっぴり切ない曲も見事に歌いこなしていたイメージだ。
歌だけでなく衣装も髪型も、画面に登場するたびに私を楽しませてくれていた歌手である。

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2回目の今日はここまで!

書きながら、改めて筒美京平さんの天才ぶりを再認識する。

アーチストごとに作るメロディー。
全く違う人物が作ったと思えるくらい、幅広い作風である。

明日は、1985年から1987年までの名曲をご紹介する予定だ。





※最後まで読んでいただき有難うございます!

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