見出し画像

私は波乱万丈な幼少時や10代を過ごし、人生とは一体何であるか、生きる意味とは何であるか、何故、自分はこんなに苦しまなければならないのか、そして、この見えない出口のない苦しみはいつまで続くのかという心の闘いを続けました。

そこで私を勇気づけた音楽は、尾崎豊や、HIDEや、XJAPANや、ベートーヴェンや、マーラーや、ショスタコーヴィッチ、Dir en greyの音楽でした。
洋楽では、NilvanaやMuse、エヴァネッセンスや、アヴリルラヴィーンたち大切でした。

単純に人生の意味を知りたかったのです。悪魔のように呪われていたと錯覚していた幼少期の心の傷、怒り憎しみそういった負の感情が自分にないと言われれば嘘です。

しかし、それらは、自分の聡明さを余りにも濁すので触れたくはなく、いつも、怒りを外側に発散させることで、真実から目を背け、世間の前で、いい人を演じ続けていたのではないかと思います。

私は自閉症スペクトラムと、ADHDを持って生まれ、心の年齢は幼く、その分、純粋でした。だから、初めて、NilvanaやMuseに触れたとき、その余りのダークな世界観に、ショックを受け、それはXJAPANもディルにたいしても同様の感情を抱きました。

しかし、彼らのアーティストに共通していたのは、音楽は悪魔的だけど、精神的に非常に繊細な音楽を奏で、メロディが美しく、切なく、社会的な弱者の気持ちに訴えることのできる音楽であったということです。

当時、自己肯定感などという言葉は流行っていませんでしたが、私はうつ病になる前まで、これらのアーティストが自分のあるがままの自分でいられる存在であり、それを誰にも覚られたくなく、それゆえ、私は○○のアーティストが好きだなんて、嫌いな人には絶対に口が裂けても言えませんでした。

しかし、私の大本を辿れば、私はどんな人も善人だと思う癖が大人になってしばらくたつまであったので、よほどのことがなければ、それでも人をわざと憎もうなどという恐ろしいことを大人になりある時期になるまで考えたことがありませんでした。家庭環境がよかったのでしょう。

だから、最初、恋愛をする前まで、太宰治の人間失格でさえ、正直、御花畑の自分にはその恐ろしい蓮のような世界観が、何度も読み返さないと難解で理解出来ぬほど、認識できなく、いい意味で右脳左利き人間、悪い意味で内向型人間の私の心は純粋でした。

しかし、後に知ることになるのですが、私を陥れた人間にも、深い悲しみや人にはいえないトラウマを抱えていたことが最近になってわかりました。

サイコパスと呼ばれる人でさえ、私は先天性のモノよりも、後天的にPTSDの精神的外傷や、トラウマや、恐怖心が強いと、健常者でさえ、なってしまうのではないかとさえ思ってしまう。

だから、どんな悪人も、生まれてくるときは赤ん坊だとすると憎めなかったりするモノです。

私は右脳型人間でありますが、28才のとき、ひふみ神示や、長渕剛に触れ、その対極にある左脳や、右利きの芸術の世界観に次第に敬意を憧れを示すようになって行きます。

28歳まで、私は完全に右脳の自己の内面の世界を生きて、その中の平和で安穏とした世界で、ときに誰かに守ってもらいながら過ごしました。

右手の世界が開く世界を構築しないと、実は、右脳ばかりでは世界は広がらないことを28才になるまで知りませんでした。

尾崎豊さんもHIDEさんも、共通の原理があります。

いかに、尾崎さんやhideさんがすごい歌詞を書いていたのか気づいたのは、正直、38才になった最近のことで、それまでは、こんな世界観の広い歌詞だとは正直思いませんでした。

XJAPANもHIDEさんも、暴力を肯定しているのではなく、暴力が存在することをありのままに描いているのだと私のバンド仲間はおっしゃりましたが、なんらかの深い意図があるのではないか?そして、その意図を我々に示そうとしているのではないかとは私は想わなかったのです。

私はDAHLIA以前の正直XJAPANの歌詞全体が、余り気に入らなかったのは事実です。それは想像力の欠如のように思い違いをしていました。

のちの章でXJAPANやHIDEさんについての説明のブログも書きますのでそれにあわせて読んでください。

しかし、彼らが意図しているのは、革命であり、それは単なる革命ではなく、アウトサイダー的なキチガイじみた革命であることが私は理解したのでです。

これは、絶対に右脳の創造力だけでは到達できなかった私の答えで、今現在もYoshikiさんはボロボロになりながらも何等かの革命を狙っていることがうかがえ、それは我々の想像も及ばない所にあるのかもしれません。

大分、主題から脱線してしまいましたが、18才になるまで、私は音楽や、芸術には秩序が必要であることを知りませんでした。

美意識と人と異なるサイキックの能力さえあれば、芸術は簡単に完成出来ると心のどこかで思っていたに違いありません。

このときの私は実に未熟だったと言わざる負えません。

だから、私は、人のモノマネや意表をつくことが縦横無尽にうまくできたし、それを悪いことのようには思わなかった節があります。

自分は、人の特徴や、勘を読める優れた人間であたかもあるかの如く自惚れていたし、それゆえに、HIDEさんのピンクスパイダーの歌詞ように、狭い世界観に閉じ込められていました。

完全なオリジナルとは誰かのコピーではないと知りつつも、自分の狭い世界観を広げる為には、歴史や、文学や宗教、心理学、絵画、映画、漫画、あらゆる側面から、感化され、それを自分のモノとして吸収するまでは、深い独自性は生まれないのだということに、この頃の私はうっすらと気付き始めていました。

しかし、この頃の私は、心のどこかで、一流の芸術に触れなければ、真、善、美がわからないということに終始してそれらのことに触れようとしませんでした。若さゆえです。

しかし、出口のない迷路の中をさまよいながら、答えを探していました。人々が社会や恋愛に夢中になっている中、私は一人、哲学的なことを考えていました。

そして、28才以降の私はそれとは真逆の、愚、鈍、根、の蓮のような生き方に次第にきれいごとではない、尊敬の念を示すようになっていきます。

私の音楽


ASRIV~アズリバ~AS A Lotus river のメンバーのTATSUOの個人。ASRIV~AS A Lotus riverや、世界配信する音楽特典情報をお届け。