双極性障害 「休む」練習
ハレーは大嫌い
私は中高生の頃にバイクが好きで、いわゆるリターンライダーとして大人になってからあるきっかけでバイクに再度熱中し始めました。
最初はスカパーで放映されていたバイクの世界選手権のレースに心奪われ、いつの間にかずるずると引き込まれて行きました。
ちょうどその頃「膝擦り」といって、”コーナーリングしながら倒したバイクの内側の膝を擦ってやっと一人前”、みたいなブームに乗って、レーサーレプリカ(レース仕様のバイクにそっくりなスタイルの公道を走るタイプのことです)のバイクで、必死に膝を擦る練習に励みました。(練習したのは公道ではなく自分で見つけた秘密の場所)
膝を擦れるようになって、そこからさらに、サーキットを走りたいという思いに駆られ、最終的には小さいレース用のバイクを買って、月に2回くらいはこれまた小さなサーキットで一生懸命走り込む時期を過ごしました。
私は昔からアメリカンタイプのバイクが大嫌いで、いわゆるハーレーダヴィッドソンに代表される、後ろにのけぞるくらいの姿勢でゆったりと乗るタイプのバイクはどうしても受け入れられませんでした。
じゃあ、どんなバイクが好きかというと、前傾姿勢丸出しのタイプです。
簡単に言えばロードレース仕様のバイクですね。
この自分のバイクの好みを自覚しながら、前傾姿勢で前のめりに突っ込んでいく自分のスタイルは、そのまま私の生き方の姿勢にも直結しているような気がして、正直誇りに思ってました。
しかし、時がたち、今はバイクに乗ることもなくなりました。
そして街ゆくハーレーダヴィッドソンを駆るライダーを目にすると、ああいう突っ込み型じゃなく、ゆったりと構えて、コーナーを攻めるなんていうのとは対極のスタイルで生きるべきだったのでは?とよく思います。
双極性障害である私は前傾姿勢でコーナーを攻めて攻めて、そしてある日バイクではなく私自身が燃料切れを起こしてしまった。
きっとそんな生き方をしてきたのだと思います。
今後もしバイクに乗る機会があったとしても、前傾姿勢のバイクには乗らないでしょう。
購入する時に少し迷って、本当は前のめりで走りたいけど、私の心まで前のめりにしてしまう可能性があるかも?と思い至って最後にはきっとゆったりした姿勢で乗れるバイクを選ぶような気がします。
見た目のカッコよさよりも生きる姿勢を変えてくれる方を選ぶような感じで。
立っている時の重心
バイクだけではありません。
私は立ってじっとしている時、前の方に体重がかかっているのにふと気づくことがあります。
あの部位はなんていうんでしょう?足の親指の付け根と土踏まずの間の、”母指球”っていうところでいいのかな?
そこにに体重が一番かかっているのを感じます。
つまり足の裏の真ん中より明らかに前より。
重心を母指球に乗せると、太股の前側や体の前面に力が入ってしまい、重心を少しずつ母指球から後ろの方に移していくと、段々前の太腿の力が抜けて楽に立てるポジションが見つかります。
たぶんこれが多くの人の立っている時の重心なのではないでしょうか?
こんなことを知ると、やっぱり普段立っているだけで私は前のめりなのかも、と気づかされます。
ヘッドレストに頭を預けること
私はヘッドレストのついたイスを持っています。PCを使う時にそれに座るのですが、放っておくと頭がだんだんヘッドレストから浮いて、なんだか首がカクンと前に曲がったような姿勢でPCに向かっている状態になります。
それに気が付いて座っている間何度も頭をヘッドレストに寄りかかるようにするのですが、そのリラックスした姿勢を維持しながら座り続けることができません。
特にPCの画面に見入っていなければならない状態ではなくても、いつの間にか、頭の位置が前の方に浮き上がってきてしまいます。
二つの枕
そして寝ている時も、ひどいときは枕を二つにしてうなずくような姿勢でなければ落ち着いて眠れないという時期もありました。
枕ひとつ、あるいは枕無しでは逆に落ち着かず、つまり寝ていてさえ何かに立ち向かうかのように前傾姿勢になっていたのだと思います。
これは今克服しようと努力している最中。
体も反応している
精神疾患と言えば、字の通り精神、心、気持ちになんらかの不調を起こすことだとは思うのです。
ただこれまで自分の心と付き合ってきて、症状は明らかに体にも現れるし、またその体に現れた症状に気が付かないでいると、心の不調に拍車がかかるような気もするのです。
最近マインドフルネスという言葉をよく聞きます。以前はヨガがこれにかわるものだったと私は勝手に解釈しています。
いずれにしても、普段注意を向けない体に意識を向けて、どんな状態なのか?
心が体で何かサインを出していないか?
ヨガや瞑想などはそういったことをキャッチして、体からアプローチして心を落ち着かせたり、ちょっと自分の心や体を客観視してみる方法に思えます。
私は以前noteで「無意識」について書いたことがあるのですが、私の体は放っておくとこの無意識の作用で、色んな場面で緊張して、総じて前景姿勢になってしまいます。
前景姿勢が改善したからといって私の心や精神面で何が変わるか分かりませんが、例えばイスに座って、1日5分でもヘッドレストに頭をつけて落ち着いてみる、そんな練習が必要なのかもしれません。
そう、「休む」練習です。
「休む」ことを知らない、あるいは忘れてしまった私には、きっと「休む」練習が必要なのでしょう。
立っている時、座っている時、横になっている時、体の状態を感じながら「休む」。
書くと簡単なのですが、きっと”無意識に”楽に立つ、座る、横になるためには、そうしたことが"できなってしまう"までに要した時間と同じくらいの月日が必要だと、そう覚悟しています。
いや克服できない可能性も大きいとさえ思ってます。
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