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名曲「スカボロー・フェア」に唄われた海辺の街へ

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今週と来週は、娘一家が住む北ヨークシャーに滞在中。ふだん静かに暮らしているシニア生活において、幼い孫たちの成長ぶりを見に行くのは大きな楽しみの1つです。

滞在中は皆で自然公園や海辺へ行くことも多く、こども以上にエンジョイしているかも?!笑

そこで今回は、そんな行楽によく出かける街・スカボローをご紹介しましょう。

名曲「スカボロー・フェア」に唄われた中世の街

哀愁ただようメロディーが印象的な曲「スカボロー・フェア」。米国フォークデュオ、サイモン&ガーファンクルが1968年にリリースしたカバーバージョンが世界中でヒットしました。

オリジナルは昔から英国で歌い継がれてきた、17世紀に遡れる伝承民謡。死んでしまった騎士の霊が旅人に語り掛けたとされる、センチメンタルな歌詞が切ない名曲ですよね。

パセリやセージなどハーブの名前が挿入される不思議なフレーズは、霊に取りつかれないよう旅人が薬草の名前をおまじないとして唱えた、という説もあります。

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曲名の「スカボロー・フェア」は、この海辺の街で13世紀~18世紀の約500年間にわたり開催された交易市。毎年8月15日から9月29日まで催され、英国内だけでなく周辺諸国からも商人が集まるトレード・フェアだったそうです。

今はもう夏季の交易市は行われていませんが、街角の隅々に歴史を感じさせる雰囲気が残っています。

ロンドンからの日帰りも不可能ではないとは言え、片道およそ3時間。できれば海岸沿いに並ぶホテルの1軒に泊って、ゆっくり味わうのがオススメです。

2000年前、北欧からのバイキングが上陸した海岸

スカボローの海岸沿いは北湾と南湾に分かれており、どちらも柔らかい砂のビーチなので行楽に最適です。

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北海に面した湾岸は、1世紀に北欧から侵攻してきたバイキング族の上陸拠点。街の名前スカボローも、バイキング王が名付けた地名スカロボルグが由来だと言われています。

一見とても穏やかそうな海。でも2千年前やって来たバイキング船を想像すると、また違った情景が目に浮かびますね!

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遊泳エリアにはライフガードが常駐していて安全。サーフィン、カヤック、スピードボートといったマリンスポーツも盛んです。装備の貸し出し業者や初心者向けスクールもあり、冬でもサーファーを中心に人気のある海岸です。

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しかし海水温の低い英国では、真夏でも14℃から17℃と低め。夏でも子供たちにウェットスーツを着せる親が多いのも、仕方ないかな?!

中世のスカボロー城・つわものどもが夢の跡

バイキングに続いてローマ人、サクソン人が占領したスカボロー。12世紀にイングランド王ヘンリー2世の統治下となった後も、1318年には侵攻してきたスコットランド人が街を焼き・・・と攻防を繰り返しました。

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そうした歴史の一部を今に伝えるのが、丘の上に残るスカボロー城。

もともとは12世紀に築かれた堅牢な石造りでその後も増改築され、17世紀まで要塞として使われました。

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今は史跡保存の政府系チャリティ団体「イングリッシュ・ヘリテージ」が運営していて、入場料は大人£8.70、小人£5.20(5歳未満は無料)です。

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場内では中世の生活が再現されていたり、さらに遡って青銅器時代など古代に関する展示もあったりと、スカボローおよび周辺の歴史を感じ取ることが出来ます。

ブロンテ姉妹の末娘アンの墓地 聖メアリー教会

スカボロー城のすぐ近くには、12世紀に築かれた聖メアリー教会もあります。17世紀の清教徒革命(ピューリタン革命)によって激しく損壊したのち、本堂を再建。英国国教会の教会として現役です。

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ここは、小説家ブロンテ姉妹の末娘アンのお墓があることでも有名。

ブロンテ一家はアン以外、生涯のほとんどを過ごした街ハワースで父親が牧師をつとめた教会で永眠しています。でもアンだけは療養のため滞在していたスカボローで亡くなったのでした。

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のちに分骨され姉シャーロットやエミリーと同じ教会にも埋葬されましたが、今もこの聖メアリー教会にあるアンのお墓を訪れる人は絶えません。

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その墓地の隣には「パラダイス」と名付けられた一角も。

空と海が一体となったような風景を楽しみ、ここで繰り広げられた歴史の変遷を垣間見れるスカボロー。サイモン&ガーファンクルが歌った伝承民謡「スカボロー・フェア」の舞台へ、いつか行ってみませんか?


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