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私にとっての不登校とは

こんばんは、足の長い人です。

今日は、「私にとって不登校ってどういうものか?」について伝えようと思います。これまで、フリースクールや学校の先生やボランティアなど、色んな立場から不登校に関わってきました。なんだかんだで10年以上、不登校に関わっていたことになります。私もおっさんだなぁ…おい。

私にとって不登校とは「学校とは何か?教育で大事なことって何か?」という問いを与えてくれた先生です。もっと突き詰めていくと「学校って行かなきゃいけないのか?」、「学校の目的って何だろう?」、「というか子どもの教育で大事なことって何だろう?」「学校に行かない子どもの生きる力はどうやって身につけたらいいのか?」など、というように問いは広がります。

自分で言うのはおこがましいかもしれませんが、この問いについて考えることってものすご~く大切なことだと思っています。だって根本だもん。作物を育てるときに、作物だけじゃなくて土を見るのと同じです。土が悪かったら作物はやはり育たないからです。意外と学校の先生も、保護者も、考えたことがある人って少ないんですよね。

多くの人は「学校に行くことが当たり前」だと思っているから。今まで自分自身がほとんど疑うことなくそうしてきたからです。自分の常識を、いちいち疑って考えるってめんどくさいししんどいんですよ。しかも、この問いって答えがない。

だから多くの人は「考えたって仕方がないから考えない」になります。けど学校って何か、教育とは何かを考え続けていかないと、やることがすべて対症療法にしかなりません。

大事なことは、子どもが不登校であれなんであれ、子どもが自分自身で人生を歩んで幸せになってくれるのが一番だと思います。人によってズレがもちろんあると思いますが、大きくは違わないはず。

極論になりますが、学校に行かずとも、子どもが自分の人生歩んでいける生きる力が身につくなら、別に学校なんて行かなくていいんですよ。学校教育なんて一つの手段にすぎない。

もし今、我が子が不登校だという親御さん、クラスの子に不登校がいるという学校の先生、子どもが学校に行かない・来ない理由を探すよりも、目の前にいる子どもが「どう生きていってほしいのか?」をまず考えましょう。子どもが生まれた時の気持ち、初めて担任を持ったときの気持ち、初心に立ち返って考えてみてください。

私の経験上、不登校は「進化の過程」ですし、どの人間も成長したい!という欲求があると思っています。

だから大丈夫です。子どもとの関わりを、大人がまずは楽しみましょう。

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