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著者が語る:『愛の論理学』<名誉殺人>!

『愛の論理学』は、マスターとバイトのアイと常連の名誉教授が飲んでいるバーにゲストが訪れて、4人が多彩な「愛」に関わる問題を議論する形式になっている。本書の目的は、『哲学ディベート』や『自己分析論』などと同じように、読者が臨場感を味わいながらディスカッションに一緒に参加して、自分自身の見解を自由自在に考え抜くことにある。

その「第2章:『服従愛』と『名誉殺人』<文化人類学的アプローチ>」のゲストである「国連職員」は、次のように語る(PP. 42-46)。

国連職員 ……雪の降る十二月十日、十六歳の少女が首を絞めて殺害された。その犯人が警察に自首したんだが、なんとそれは彼女の実の父親だったんだ。
 この少女の一家は、パキスタンから約三年前に仕事を求めてカナダにやってきた移民でね。父親は、タクシー運転手になって一家を支えていた。この父親がイスラム教徒で、しかも戒律の厳しい原理主義宗派の信者だった。
 彼は、『コーラン』の戒律を厳格に守って生きていて、女性が髪や肌を露出することも禁止していたから、当然のように自分の娘にも「ヒジャーブ」の着用を命じた。ほら、イスラム教徒の女性が身体中を覆う長いスカーフのことだよ。しかも彼は、娘が周囲に感化されることを嫌がって、門限を午後五時と決めていた。
アイ 思春期の女子高校生に、夕方五時の門限というのは……。
国連職員 酷だよね。最初は父親の命令を守っていた娘も、トロントの生活に慣れて、新しい文化に順応すればするほど、父親に反抗するようになった。
 彼女は、一歩家を出るとヒジャーブを脱いで、他の女子高生と同じようにカジュアルな服装で出歩くようになった。友達と一緒にいたら、五時の門限など守ることはできないから、それを破ることも日常茶飯事となった。
 父親は、毎日のように、遅く家に帰ってきた娘を叱って暴行を加え、顔や身体に傷のある少女の姿が、何度も同級生に目撃されている。そして、ついに父親は、実の娘の首を絞めて殺したんだ。
マスター きっとその父親は、娘を叱っているうちに、カッとなって首を絞めてしまったんでしょうね。
国連職員 いやいや、それが、そうじゃないんだよ。
 この父親は、最初から明確な殺意をもって少女を殺した。だから、第一級予謀殺人罪で起訴されることになったんだがね。
 イスラム文化圏には、家族の名誉を汚した娘の殺害を正当化する「ジャリマ・アル・シャラフ」と呼ばれる慣習がある。日本語に訳すと「名誉殺人」という意味になるんだけど……。
マスター 「名誉」と「殺人」なんて、変な組み合わせですね。
国連職員 イスラム文化圏で、結婚前の恋愛や性交渉がタブーであることは知っているよね? なかには、家族以外の男性と、二人だけで会話するか、視線を合わせただけでも、「シャルムータ」とみなされる地域があるんだ。
アイ 「シャルムータ」って、どういうことですか?
国連職員 「娼婦」や「淫売」のような意味。ここで大問題なのは、このような地域では、その種の「噂」が生じただけでも、「ふしだらな娘」を処罰しなければ、家族全体が村八分にされてしまうということだ。
 このような閉鎖的な地域で村八分にされたら、家族は井戸の水も飲めなくなるし、村の牧草地で飼っている羊も締め出されて、とても生きていけなくなる。そこで、家族の名誉を挽回するために、家族の父や兄が、実の娘や妹を殺害しなければならなくなる。しかも、その方法が残虐であればあるほど、その殺害者は、家族の名誉を高く守った「英雄」として賞賛されるんだ。
 この因習は、ヨルダン、イラン、イラク、イエメンなどの中東諸国ばかりでなく、トルコやアフガニスタン、モロッコやチャド、パキスタンやインドなどにも見られ、現在でも年間六千人以上の女性が犠牲になっていると推定されている。
マスター 殺害者が残虐であればあるほど「英雄」とは……。
 ちょっと理解できない異様な発想ですね。それらの国々の刑法は、どうなっているんですか?
国連職員 たとえばヨルダンを例に取ると、窃盗や怨恨を理由とする殺人は刑法で禁じられているし、犯行者が死刑になる可能性も十分あるんだが、「名誉殺人」に限っては「寛大な判決」をくだすという特例措置が設けられている。
 これは『ヨルダン刑法』の第九十七条と第九十八条にも明記されていてね。一般に「名誉殺人」の実行者は、六か月から二年程度の懲役刑を宣告されるが、それは形ばかりのことで、実際には刑期よりもずっと早く釈放されることが多いんだよ。

パキスタンにおける「名誉殺人」

2012年、パキスタン北部コヒスタン地方で、5人の若い女性が手を叩いて歌い、それに合わせて2人の若い男性が踊っている動画が流出した。その後、これらの5人の女性は「家名を汚した」という理由で家族から殺害された。踊っていた男性1人も殺され、残った1人は逃亡生活を送りながら、裁判所やジャーナリズムに救援を求めている。[原題:The Kohistan Story:  Killing for Honor, 2016.]

読者は、この「習慣」をどのようにお考えだろうか? 「文化相対主義」的観点から、これも独自の一つの「伝統」だと容認されるだろうか? 女性の「人権」を踏みにじる行為だと国際社会で非難の声を上げるべきだろうか?

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