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109. 私が忘れかけていた娘の顔

bonsoir!🇫🇷 毎週金曜日更新のフランス滞在記をお届けします。今号は、ちょっと時系列を現在に戻して、先日の節分に、懐かしい人がアメリカのサンディエゴから訪ねてきてくれた時のお話。


2019年12月、ロサンゼルスからAmtrakに乗って、アメリカの西海岸サンディエゴに向かった。しょっちゅう仕事で海外に出かけている夫とは違い、まったく海外慣れしていない私にとっては大冒険だった。しかも、この時は当時2歳イヤイヤ期真っ只中の娘も一緒。しかも彼女はアトピー持ちで、癇癪を起こすたびに「体が痒い!」とのたうち回るので、食事やトイレの心配に加え、「いつ痒いって言い出すんだろう…」と思いながらの旅は、私にとってかなり大きな挑戦だった。
(今思えば、私がそれだけ神経質だから娘もこういう状態だったのかもしれないのだけれども)

大都会ロサンゼルスの街並みにびっくりして、地下鉄でお金をくれと話しかけてくるおばさんにオドオドして、全くAmtrakの乗り場の位置がわからなくて、泣きそうになりながら走り、Amtrakの車内で車掌と乗客の喧嘩が始まりオロオロして。娘にはニコニコと平常心を見せていた(つもりだった)けれど、内心は何かイベントがあるごとに気持ちがあっちへこっちへ、とても忙しかった。

2023年。3年ぶりに、友人と日本で再会した瞬間、3年前にAmtrakを降りて、駅のロータリーで彼女を見つけた時の光景がワッとよみがえってきた。車から降りて手を振ってくれるのを見て、ほっと安心して半泣き状態だったなぁと。

娘は、友人の姿を発見するや否や、私のことなんて忘れ、靴をぽいと脱ぎ捨て、少し遠くからニコニコと手を振る彼女の元へ走っていく。なんだか懐かしい気分に浸りながらも、ハッと母親モードになって、「靴、そろえなよー」と娘を引き留める。私の声にわずかに反応するが、娘は振り返ってニヤリと笑って行ってしまう。

3年ぶりの再会にちょっと緊張しつつ、話題に花が咲いていく。
友人は、「あの時から活発だったよね。一人でどんどん行ってしまうんだもん」と言った。そうだ、Amtrakの駅で拾ってもらい、ホエールウォッチングに連れて行ってもらったらば。船に乗り込むやいなや、目の前に広がる大きな大きな海にひかれて、娘は船の先までどんどん一人で歩いていった。サンディエゴの強い日差しに照らされた彼女の背中がなんだかとても頼もしく思えたものだ。

「うちにきた時、オンステージを披露してくれたよね」と、また友人が言った。そうそう、プロの音楽家の友人の前であの時娘はドヤ顔で歌とピアノ演奏を披露して、物語を作って即興劇をやったりもしていたっけ。

あぁ、あれもこれも。忘れてしまっているもんだなぁ。
冒頭で転記した自分が一年以上に書いた記事でさえも、「こんなこと書いたっけ?」と思ってしまう始末。あんなに濃ゆくて一生忘れないだろうと思っていた日々も、気がつくとどんどん記憶の彼方へ行ってしまって、忘れてしまうんだなぁ。でも、ちょっと寂しいけれど、それは健全なことなんだと思う。

自分の幼少期のことを母親から聞くことは多いが、でもたまに、叔父や母の友人なんかが「あなたはこんなことしていたわよ」「こんなこと言っていたわよ」と言ってくれて、すごくびっくりすることがある。そして同時に、切り離してどこかへ言ってしまった自分のもう一つの断片が返ってくるような不思議な感覚になることがある。

娘が大きくなった時にも、そういう経験に巡り合えると良いなぁと思っている。
私から語られることのない「自分の断片」を見つけて、びっくりしたり、もしかしたら私に対して怒りが湧いたり(ママはこう言っていたのに違うじゃないか!って)いろとりどりの感情に触れることは彼女の心を豊かにする。本当にそう思った。

思った。思ったんだけど。そういう風になるとも思っているのだけれど。
でも改めて考えるとやっぱり寂しいな。

そんな節分だった。

和菓子屋で買った鬼さんたち

友人から「年女が豆をまくと良いんだよ」と教えてもらい、今年干支3周目に入った私は、友人と娘と一緒に小さな家の中のあらゆるところにポンポンと豆をまいていった。3年分か、それ以上の分の「鬼は外」「福は内」をやったような気がした。お母さんになって一番辛い時、娘の自我が芽生えた大切な瞬間、彼女に会えて私は本当に幸せだった。

彼女は海の上に吹く軽やかな風のように、またアメリカへ戻って行った。

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