f.azumi

エッセイと童話、児童文学の「時灯りの庭」です。 散策にいらしてください。

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最近の記事

安曇野いろ「旅する詩人」

『数学者の朝』 キム・ソヨン 詩の感想などは、なかなか書けるものじゃない。 まるごと受け止めて浸る。ただそれだけ。 姜信子さんの訳が秀逸。 『数学者の朝』からソヨンの詩をいくつか。 <旅人> ひとの住まぬ地へと向かった者がいた 生きがたい場所であろうとも そこに生きた者がいた 家を建て 窓をつけ 鳩を育てた者がいた その窓から私はいま外を眺めている これほどに難解な地形を もっとも易く理解した者が もっとも長く立っていたであろう場所に立ひと 宇宙のどこか 人が生きられ

    • 安曇野いろ「風の草刈り」

      「電動バリカンで植木を刈ったら翌年花を付けなかったんだよ。 花芽もみんな刈っちゃったんだなあ」と友人が言った。 「でも、その翌年はちゃんと手刈りで切って、満開だったの」と奥さまの優しいフォローが入った。 夫も「そう言えば…」と畑での話を披露した。 「野菜の畝のまわりに植えてある緑肥を、草刈り機で刈り倒したら、緑肥がだめになっちゃった。面倒でも手で刈らないとだめだね」  私は、自然栽培の教室に通っていた時に耳にした「風の草刈り」という言葉を思い出していた。自然のままに生えている

      • 安曇野いろ「遊戯(ゆげ)」

         ひろさちや著『はじめての仏教』を読む。今まで頭に入って来なかった内容が面白いように分かって、楽しかった。文章のわかりやすさと共に、こちらもやっと仏教について学びたいと思う気持ちが追いついて来たからかもしれない。  釈迦は出家者の弟子には解脱への道を、在家信者の弟子には正天の教えを説かれた。釈迦が滅した後、出家者たち(阿羅漢)が小乗仏教の流れを、在家信者たちが大乗仏教の流れを作っていく。  仏教の根本精神は「中道」にある。そして私たちの修業の場は日常だ。「波羅蜜」も難しい

        • 安曇野いろ「ものがたり」

           お話上手なおばあちゃんの存在が、幼いころの上橋さんの心を やさしく耕して物語の種を蒔いたのだとエピソードを読みながら感じた。        おばあちゃんの語り。  <土饅頭に埋められた無縁仏を哀れに思い、掃除をして花を供えている老夫婦のもとに、ある夜、鎧金具の音をちゃりちゃりと鳴らし、平家の落人があらわれる。「夢ではないぞ夢ではないぞ」と言いながら。毎日供養してもらったおかげで、成仏できると礼を言って武者は消えて行く。  鎧金具や落ち武者の言葉を知らなくても、子どもの耳には

        安曇野いろ「旅する詩人」

          安曇野いろ「むらの生活史」

                 守田志郎「むらの生活史」 読みながら、懐かしい光景を次々と思い浮かべた。 陽だまりの中の豚小屋、鶏小屋の鶏たち。土埃の道。 苗取りや田植えの賑わしくもゆったりした風景。せぎの音。 小さく農を営んでいた農村に、改革の波が押し寄せるのは昭和三十年の終わりころ。機械化。そして、多種類を作るのではなく、一種類の野菜を大量生産する仕組み。作物だけでなく、豚も鶏も牛も畜舎の中で何百頭と飼われることになる。大量生産によって、大きな儲けが生まれる。自給自足の基盤は崩れ、食べる

          安曇野いろ「むらの生活史」

          安曇野いろ「海の声」

          唐招提寺御影堂襖絵2021年 11月 25日 長野県立美術館の東山魁夷「唐招提寺御影堂障壁画展」を見てきた。 68面の障壁画が一堂に展示され、静かで壮大な世界がそこに拡がっていた。 「濤声」は果てなく広がる緑青色の海と白波、黒い岩と青い松の木が点景となり、アクアマリンの流れの中に浮かんでいた。 息を呑むような大きさ。波の音と静けさが一体となって、見る者の身を包む。 襖の中から、海が溢れ出て来る。いつしか高い場所から海を見下ろしていることに気づく。すっかり絵の中に取り込ま

          安曇野いろ「海の声」

          安曇野いろ「八月の光」

          ふっと目くらましにあったように、言葉から置いてけぼりになることがしばしば。そんな瞬間を何度か繰り返しながら、読み終えた。 リーナ 未婚で妊娠したリーナは家を抜け出し、アラバマからミシシッピまで 恋人、ルーカス・バーチをさがす旅に出る。誰の目にも、バーチはリーナから逃げ出したのが明らかなのに。 ジェファソンの製板所にバーチがいると知り、リーナはジェファソンへ行く。 バイロン・バンチ 製板所で働く、見映えはしないが善良な若者。 (残業するときも、休憩時間を自分ではかって怠けな

          安曇野いろ「八月の光」

          安曇野いろ「洟をたらした神」

          「洟をたらした神」 吉野せい 著  彌生書房刊 「風の草刈り」という言葉がある。根から茎、穂へと植物はひとつの流れを持っていて、吹き抜けていく風は茎の弱った部分を折ってゆく。折れた茎の部分から刈り取るのが、風の草刈りだ。刈り払い機で大地を丸刈りにしてしまうのではなく、いわば虎刈りのような草の刈り方だ。見きわめるのはむずかしそうだが、さあっと吹いて行く風のように鎌をふりまわし刈って行く。手間がかかるけれど、自然との共存を目指す人には、理想的なイメージが湧くのではないだろうか。

          安曇野いろ「洟をたらした神」

          安曇野いろ「光の地図」

          友人から絵をもらった。 展覧会で見て、好きだと言った絵を覚えてくれていて 「たんぽぽ」と名前がついた絵が、わたしのそばにやって来た。 光を含んだ蒼い色が、いらだつ心、かなしむ心を包んでくれる。 一日の終わりに、この絵はわたしと静かな語らいをしてくれる。 画家である彼女は、3・11の被災地の瓦礫にも 絵を描いている。 暗く重い瓦礫の上に、金や銀の色彩を施して。 瓦礫の絵をひとつ、わたしも受け取った。 小さくて重い瓦礫を手にしたとき 自然に言葉が生まれた。 できたての詩を彼女に

          安曇野いろ「光の地図」

          安曇野いろ「山へ」

          美しい一日 一年に数度、たとえようもなく美しい日がある。 朝から光がさんさんと降り注いで、 あたり一面明るく輝いていて、 吹く風は澄んで心地よく、 ことのほか静かで、 足もとには柔らかな影ができる。 そうした日に、街を歩きながら、今日は山はいいだろうなあと思う。 山全体がまぶしく光っていて、 木々の葉がそよいでいて、 日の光がふんわり暖かいだろう。 歩いていると山の中の匂いがする。 花の香りがどこかから降ってくる。 鳥の声や沢の流れ、小枝を踏む音。 自然の音だけが聞こえる。

          安曇野いろ「山へ」

          安曇野いろ「旅の道連れ」

           どうしてもなじめなかった村上春樹の作品を、読めるようになったのは サリン事件のインタビューをまとめた「アンダーグラウンド」を読んだことが大きい。インタビューなので、語る人の内面が骨子をなしているわけだけれど、その内面を引き出し文字にした村上春樹と言う作家のすごさを実感した。具材の持つ旨味や特性をうまく引き出し、時間をかけて丁寧に作られた料理のような、と言えばいいだろうか。料理人の姿は見えなくても、味わってみれば料理した人の心が感じられる。そんな作品だった。それで見直した、と

          安曇野いろ「旅の道連れ」

          安曇野いろ「マイモニデス物語」

          『昼も夜も彷徨え』マイモニデス物語              中村小夜  中央公論新社  中村小夜の「昼も夜も彷徨え」をラジオドラマで聴いた。 久しぶりに聴いたラジオドラマは新鮮で、テンポの良い展開が楽しかった。 自由奔放な青年思想家の波乱万丈な物語になっていた。だが、耳では拾い切れない大事な言葉がいくつかあった。原作をふたたび手に取ってみた。  主人公のマイモニデス(モーセ・ベン・マイモン)は、ユダヤの思想家であり哲学者、医師でもある。ユダヤ教徒への迫害が厳しくなる中、ア

          安曇野いろ「マイモニデス物語」

          安曇野いろ「タウゼマイン」

           魚豊 作・画 「チ。」     ー地球の運動についてー  八巻からなる地動説の劇画を読み終えた。迫力のあるストーリーだった。 天文学と哲学と宗教の物語。タイトルの「チ」は「地」であり「知」であり「血」であるという。冒頭から衝撃的な拷問場面だった。本書の中には、異端審問官による拷問シーンが繰り返し描かれる。そこから目をそらすことは不可能だ。さすがに一読目はドキドキしっぱなしだったが、再読したときには呼吸が楽になった。命がけで「真理」を守ろうとする人々を描くためには、この拷問

          安曇野いろ「タウゼマイン」

          安曇野いろ「葡萄」

          子どもの頃、庭に葡萄棚があった。裏庭に涼しい木陰を作り、蜂たちが金色の羽ばたきを繰り返していた。透き通るような黄緑色の葉っぱの中に赤紫の実がいくつもぶら下がった。種ありの小粒のデラウェアで、当時は人気の品種だったが、実家を立て直したとき、畑の隅に追いやられた。しかも棚さえ作ってもらえず、地面を這って日陰でいじけていた。  七年前に畑を引き継いだとき、日の当たる場所に葡萄を植え直してやり、棚を作った。甲斐あって、復活した葡萄の実は、小粒ながら甘くておいしい。ムクドリに食べら

          安曇野いろ「葡萄」

          安曇野いろ「霧の中」

           濃霧が立ち込めた朝。母の通院のため、東山の麓、明科へと向かう。 少し進むだけで川霧が濃さを増し、白い靄にすっぽりと包まれた。 あれ? この道でよかったのだろうか? 不意に心もとなくなる。 目印になるものが何も見えない。 ただでさえ、東へ向かうふたつの道を取り違えそうになる時がある。霧の中で、不安だけが増していく。  いいのだ、この道で。そう言い聞かせながら運転する。 狐に化かされたり、妖精や魔法使いの罠にかかるのはこんな朝ではないかと思う。安曇野の伝説の主人公「八面大王」は

          安曇野いろ「霧の中」

          安曇野いろ「言葉の力で」

          友人が送ってくれた、詩人で童話作家の杉本深由起さんの詩集です。 詩を連ねていって、ひとつの物語になっています。 その中から、いくつかを抜粋しました。 勇気を出して、自分の心に忠実になろうとしたら いじめの標的になってしまった少女。 「言葉の力で、いじめを越える」少女の心の軌跡。 『ひかりあつめて』 杉本深由起 小学館   < 引っ越してきた街>  道をたずねたら  海に向かって  三つめの角をまがればすぐですよ  という答えが返ってきた  いかにも言い慣れた感じで  

          安曇野いろ「言葉の力で」