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安曇野いろ「むらの生活史」

       守田志郎「むらの生活史」

読みながら、懐かしい光景を次々と思い浮かべた。
陽だまりの中の豚小屋、鶏小屋の鶏たち。土埃の道。
苗取りや田植えの賑わしくもゆったりした風景。せぎの音。
小さく農を営んでいた農村に、改革の波が押し寄せるのは昭和三十年の終わりころ。機械化。そして、多種類を作るのではなく、一種類の野菜を大量生産する仕組み。作物だけでなく、豚も鶏も牛も畜舎の中で何百頭と飼われることになる。大量生産によって、大きな儲けが生まれる。自給自足の基盤は崩れ、食べる野菜は儲けた金で買えばよいという考え方が生まれる。
そして、村からは牧歌的なゆったりしたリズムが消えていき、収入も多くなるが、支出も多くなるゆとりのない光景が増えて行く。
農林技官を経て、研究者となった守田志郎は日本各地の農村を訪ね歩く。
農村が農村としての趣や形を保ちつつも、それが崩れ始めてきている頃の話である。
村を訪ね、車を停めた著者の耳に入ってきたのは、静寂。
圧気とも呼べるその静寂の中にくすぐるようなせせらぎの音。
自分たちの車がこの村に分け入って来たことで、この静寂が破られたのだとふと気づいたとき、都会人の著者は気恥ずかしさを覚える。
その気恥ずかしさは、本の中の様々な場面に垣間見え、大事な言葉が呑み込まれてしまったような気にさせられた。最初はそれが歯がゆかったけれど、読み終えたときに納得がいった。都会の消費者の要求で、農村の在り方が変わっていくのは事実だけれど、その変化がどう現れるか……結論は未来にゆだねられている。その時のその場では見えないことの方が多かったのだ。質問や結論を控えて、村の暮らしに溶け込んでいく著者。その姿勢から見えてくるものは多かった。
生産者は効率化と儲けとを望み、消費者も多くの農産物を望んだ。
生産者は仕事の喜びを手放すとは、その時は思わなかったし、消費者も農薬や化学肥料で作られたものを食べたいわけではなかった。
大きな失敗を経て、大事なことがいろいろとわかってくる。
三世代三組の夫婦が暮らす、農家の暮らしが紹介される。
日々の労働を通して見えてくるのは、夫婦単位の姿よりも、女同士、男同士の縦の繋がり。それは、嫁姑の関係に見られるような、対立の構図よりも自然な風景として描かれていた。
対立もあったかもしれないけれど、いつしか、自然に落ち着く場所に落ち着いてゆくものなのかもしれない。
わたしたちはあまりにも、せっかちに、暮らしを進め過ぎたのかもしれない。栄養学や経済学や、何々学と名のつくものに振り回され過ぎたのかもしれない。
ただ、いまさらなくしたものを惜しんでも仕方ない。今の私たちの暮らしや行動が、そのまま未来を形作るということを心に止めて生きて行こう。
あきらめるのではなく、できることは実践して、過去から学んだものを生かしながら。声高に叫ぶことも時には必要かもしれないけれど、日々の暮らしの中で一人一人がふと気にとめる。ただそれだけでも、流れはできる。


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