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安曇野いろ「洟をたらした神」

「洟をたらした神」
吉野せい 著  彌生書房刊

「風の草刈り」という言葉がある。根から茎、穂へと植物はひとつの流れを持っていて、吹き抜けていく風は茎の弱った部分を折ってゆく。折れた茎の部分から刈り取るのが、風の草刈りだ。刈り払い機で大地を丸刈りにしてしまうのではなく、いわば虎刈りのような草の刈り方だ。見きわめるのはむずかしそうだが、さあっと吹いて行く風のように鎌をふりまわし刈って行く。手間がかかるけれど、自然との共存を目指す人には、理想的なイメージが湧くのではないだろうか。
共存と口にするのは簡単だが、行為となるといつもむずかしい。
野生のものには境界の意識はない。共存と甘い考えでこちらが下手に出ると、たちまち、のさばりはびこるということもある。
自然農をするひとは、たえず距離を計り、匙加減を見きわめて、草を刈り草を引く。照り付けるお日さまと降らない雨に泣かされることはしばしばだ。
今年も陽にあぶられ、大豆は全滅。野沢菜も虫の穴だらけになった。
飢饉や小作料に苦しめられ、それが死につながった昔の農を考えれば、片手間農家の私たちが、不作を嘆くのは不遜な気がする。

吉野せいは、詩人・三野混沌の妻として、阿武隈山系の菊竹山山麓の荒れ地を開墾した。1970年、混沌が没して後に書いた『洟をたらした神』は厳しい労働と貧困の中から生まれた。作中に出てくる小さな青い陸稲の芽のような強靭で鮮烈な生が描かれる。序文を書いた串田孫一の賞賛と驚きを、そのまま引用したい。
「この文章は鑪紙などをかけて体裁を整えたものではない。刃毀れなどどこにもない斧で、一度ですぱっと木を割ったような、狂いのない切れ味に圧倒された。わたしは呆然とした。二度読んでも、何度読み返しても呆然とした。そして体が実際にがくがくし、吊り上げられるような気分であった。
(中略)文章を書くことは、自分の人生を切って見せるようなものかもしれない。これは書くものの決意であり、構えであるが、実際その決意通りに行くことはなかなかない。構えることによって不必要な力が入り、ぎこちなくなり、不安が募る。吉野さんはそれを澄ましてこともなげにやった。澄ましてというのは、楽々とという意味ではない。むしろ豪胆である。そしてその人生の切り口は、どこをどう切ってもみずみずしい」

「春」 
 冒頭の文章から心をぐっとつかまれる。「春と聞くだけで、すぐ明るい軽いうす桃色を連想するのは、閉ざされた長い冬の間のくすぶった灰色に飽き飽きして、のどにつまった重い空気をどっと吐き出してはほっと目を開く、すぐに飛び込んでほしい反射の色です」

 飼っているとさかの垂れたきびきびとしためんどりが姿を消し、獣にとられたのかと残念がるが、やがてめんどりはふわふわした十一羽のひよこを連れて姿をあらわす。そのやつれた姿を見て、「私」は思う。一人の子を生むのにさえ人間はおおぎょうにふるまうのに、一羽の地鶏は何もかも一人で隠れて、飢えも疲れも忘れて三週間の努力をこっそり行った。こんなふうにだれにも気づかれずに、見事な命を生み出すことを何かで仕遂げることができたら、人間の春はもっと楽しく美しく強いもので満たされるのではないかと。

「かなしいやつ」
「その手足が疲れを越えて萎えて弱り、その頭脳が生きる苦しみを稲妻のように閃かし、その眼は美しくもない世の汚辱の姿を涙で見つめ、その耳は払いのけたい偽りの怒りを鋭く聞く。けれど胸は波立ちながらもほっかりとぬくもりを持つ春風のように柔らかく、傷んだ傷口の上をそっと撫でてやりたい気持ち。その岐点に立ち、そのあたりをさまようものの吐息が詩というものかと、詩を知らない私は考える。だけに詩は人間の心に湧いて言葉の中に哮ける精髄の嵐なのだとも思う」

詩人・猪狩満直。ともに土に生きる開拓民の彼。吉野せいはこう表現する。
「鳩のような目で泣き、鷲の翼で飛び交い、いもっ葉の上をころがる水玉みたいに危うく転々しながら、捨て去った故里の上で死んだ。優れた素晴らしい詩も下手な詩も、残された後の批判の是非を一先ずおいて、描くときの彼の心にみじんな差異も猶予もない、生活ひとすじに吐き出す呼吸であった。
その中で涙も、呪いも希望も、たたかいも、愛情も、蹉跌も、四十年の生涯に背負うた重荷は、運命とあきらめきれない無残なものだった」

「洟をたらした神」
土埃をかぶった頭髪はぼさぼさ。頬はまるまるとしてあどけない。
甘えないし物をねだることもない。貧乏暮らしに順応して、突っ放されたところでけっこう一人で生きている。八つになるノボルはそんな子。
いつも根気よく何かを作っていて、熱中すると青洟が一本、たえずするすると垂れ下がる。
物をねだることのないノボルが、ある日二銭のヨーヨーをねだる。二銭あれば、キャベツ一個、大きな飴玉なら十個。貧しい母はつれなく拒絶する。そのあとふっと外に姿を消したノボル。母の胸に昔読んだ本の記憶がよみがえる。<粉挽小屋の貧しい母子。息子がコマの引きひもを欲しがる。一銭のと二銭のと。二銭の紐は長い。貧しい母は一銭しか渡さない。息子は短い紐を伸ばそうと、母の留守に、挽小屋の回転柱に紐をひっかけて伸ばそうとする。だが、紐が指からすり抜け、その反動で息子は牛が引く円形の中に叩き転ぶ。老いぼれた牛は息子を踏みつぶし、幾回となく踏みつぶして粉を挽き続ける> 同じ二銭。「ただ貧乏という闘うだけの心の寒々しさが薄汚く、後悔が先だって何もかも哀れに思えて来た」ノボルはどこへ行ったか姿を見せない。
ところがノボルは、自分の手でヨーヨーを作り上げて帰って来る。
「売り物の形とはちがうが、狂わぬ均衡のカンに振動の呆けは見られない。
せまい小屋の中から、満月の青く輝く戸外に飛び出したノボルは、得意げに右手をしだいに大きく反動させて、どうやらびゅんびゅんと、光りの中で球は上下をしはじめた。それは軽妙な奇術まがいの遊びというより、厳粛な精魂の怖ろしいおどりであった。」

「梨花」
胸を突かれる。慟哭をそのまま文字にした文。幼い命を守り切れなかった母の悔いと悲しみと怒りと愛が、行間を埋め尽くし流れ出す。読んでいる私の目はかすみ胸は波打つ。

「四人子の末に生まれて、お前ほどおとなしく、お前ほど手がかからず、一番私から投げ捨てられていても泣き声立てずにもの静かに育った子はなかった。お前は月のように、泉のように、見た眼だけはやわらかな健やかさを続けて来た。梨花とは父親が名付けたよく似合う名前であった。(中略)垢に汚れた綿入れの中からふっくりした白い顔を出して、お前はどんなに可愛い微笑みを見せたことか。梨花よ、あの顔が見える。もしもその笑いが早くお前の顔から消えていたならば、どんなに無頓着な私でも疾うに気づいていたことだろうが、お前はいつも笑うていた。その笑顔が私の目をくらましていたのだ。」

熱を出して苦しむ梨花を医者に見せたいけれどお金がない。せめて夜が明けるまでと、看病を続ける母の心の中には赤黒い焔が噴き上げる。歯を食いしばる。貧しい小さな小屋の中の病の赤ん坊と息をつめて見守る子どもらと心の中は半狂乱の母と。
梨花の病から死に至るまでのほんの数日間が、息をつかせない勢いで、嵐の吹き荒れ過ぎ去るがごとくに語られて行く。「どこをどう切ってもみずみずしい」という串田孫一の評のとおりに、どの場面を切り取っても、悲しみと怒りがほとばしるような文章で、読み終わってから太い息を吐かずにはいられなかった。

 住井すえの夫、三野混沌の詩 

いちばんむずかしいことで、だれにもできること。
                  (こんとん)
ふしぎなコトリらがなく
はながさいている
どういうものか ひとのうちにゆくものではない
ひろいはたけにいけ
きんぞくのねがするヤマはたけにいけ
まっしろいはたけへいけ
そこでしぬまでとどまれ
あせってはならない
きたひとにははなしをしろ
それでいい
クサをとりながらつちこにぬれろ
いきもはなもつかなくなれ
これはむずかしいことだが
たれにもできることだ
いちばんむずかしいこのことをしていけ
いちばんむずかしいなかでしね

反歌のように、この詩の後に慕鳥の詩誌「苦悩者」のなかの一節を
吉野せいは添えている。
「自分はその山上であるいは死ぬかもしれない。何もしないで、希望も構想もその形とはならないで。しかしそれでもいい。それが運命となら、自分はよろこんでこの自分を与えよう。そしてながながとばったのようにこの足を伸ばそう。ああ生きて多くの苦しみを与え、なげきをかけた肉体よ、けれど「生(いのち)」は滅びはしない。自分箱の新年の上に生きている。慕鳥

「水石山」
放牧された何十頭の馬が悠々と群れていた。
その中の一頭が、木の下で佇む「私」を目がけて走ってくる。
「栗毛の肥え太った馬が一頭、群れを離れてひたひたと寝方の私を目がけて歩いて来る。色とりどりの観光客の中から、土臭い私を敏感に見分けたか嗅ぎ分けたか、根方を離れた私に迷わずに寄ってくる。
私はすり寄る馬を待った。たてがみを押さえ鼻づらをなでると、私がよろけるほどの力で吸いついてくる。青草を充分に食べて肥え太った若駒だった。毛並みがすべすべ艶づいてその大きな目の玉が澄み切って空を映している」
潤んでいるその若々しい瞳をのぞき込んだ「私」は、そこに死んだ夫、混沌の魂を見る。

詩人、三野混沌の碑が、友人らの手で開墾地に建った。
友人の草野心平が吉野せいに言う。
「あんたは書かねばならない。わたしは今日混沌の碑を見るためと、あんたにそれを言いに来た」
「いいか、私たちは間もなく死ぬ。私もあんたもあと一年、二年、間もなく死ぬ。だからこそ仕事をしなければならないんだ。生きているうちにしなければ。わかったら、やれ、命のあるうちにだよ。死なないうちにだよ」

それに応えて書いたこの本は、鋼のように強く、すぱっと切れば、生々しい感情がほとばしり出る、まるで作者そのもののようだった。

図書館にリクエストした本は、黄ばみ薄汚れ、奥の倉庫から取り出された。
古さと年月を感じさせる本を、私は吉野せいさんと邂逅を果たす思いで手にした。




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