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【ミニ小説】童貞卒業で学んだこと

 時は令和から平成の終わりに遡る。天皇が生前退位を発表し、世の中が1つの時代の区切りを付けようとしてた時だ。


 時村宏樹は童貞だった。下関の高校を3月に卒業し、長崎の国立大学に進学して2ヶ月経った頃だった。頑張る目的というものを失っていた。高校までは受験勉強があった。志望校を決めてひたすら勉強する、やることが明確であった故に毎日がエナジェティックでいられた。だけど大学ではどうであろうか。ただ家で悶々としている日々だけだった。

 

 そこに1件のLINEが入ってきた。

「ヒロキ、来月の7月の3連休空いてる??長崎に遊び行こうと思うけど笑。」

 下関にいる彼女の未央奈からの連絡だった。 

 

 知り合ったのは、同じ高校で同じハンドボール部に所属したことがきっかけだった。部活の休憩時間など学校の廊下でのすれ違いの時に多少の会話はしていたが、そこまで仲良くしているつもりはなかった。だが高校の卒業式の終わりに、付き合ってほしいと彼女から告白された。廊下で「ロッピー」と呼んでグイグイ絡んでくる未央奈を、宏樹は少しうっとうしいと思っていた。だが、あれは恋心から起因するもので、必死に自分との距離を縮めようとしていた事に気づき驚いた。恋愛対象として彼女を見ていなかったが、モテない自分に好意を持ってくれたことが嬉しかったため、付き合うことを決めた。

 

 4月から未央奈と遠距離であったため、3ヶ月ぶりに会うことになる。

 


「ヤレる.....‼」

 7月に童貞を卒業するという目標が見つかった。こんな明確な目標を見つけたのは、大学受験来かもしれない。久しぶりにエナジェティックになれる。周りの男からは嘲笑の対象とされ、女からは「経験ない人なんて無理!!」と門前払いされる童貞の称号を、いち早く取っ払いたかった。

 

 空虚な心の中をすっぽりと埋めてくれるような朗報に、宏樹は悶々と妄想を繰り広げていた。

 やったぞ、やったゾ…!!もうシコってばかりの人生はうんざりだ。ティッシュに精子を吐き出すだけの作業のような時間を何回繰り返したことか。しかし今回は違う。射精という最高の瞬間に未央奈がいる。バンジーガムのような伸縮自在の愛を、ティッシュでは無く彼女に受け止めてもらうのだ。ダメだ、考えるだけで感度ビンビンだよ…。

 部屋の中で1人でニヤニヤしながら、宏樹はテレビで流れるサランラップのCMを眺めていた。


 デートの1週間前から、宏樹はオナニーを我慢することにした。毎朝起きるたびに正面にある棚に置いてあるAVが目に入る。パッケージに写る新人女優の梅原のぞみが、性欲に直接訴えかけるような魅惑的な視線をこちらに向けていた。パッチリとした二重、そしてツインテールに結ばれた赤髪。美しい彼女の映像を一目見ようと手が伸びそうになるのをグッと堪えた。目的を間違えてはいけない。やるべきことは未央奈との最高の夜を迎えるために必要な準備だ。ありのままの性欲に従うことではない。人間は本来馬鹿な生き物である。目先の快楽に踊らされ、その先にある高次な夢・目標をないがしろにするのである。その場で10000円をもらうか、1年後に11000円もらうかの選択を迫られた時、どれ程の人間が前者を選ぶだろうか。俺はそのような人間には決してならない。


 デートを明日に控えた夜、宏樹はコンビニに向かった。0.3mmのコンドームを手に取り、真っ直ぐレジに向かった。何を買うか迷って店内を歩き回る事が多いのだが、現在の大きな目標を見据えた宏樹にとって買うものに迷いはなかった。必要な物資を手入れた後、颯爽と店内を後にした。店の外は暗く、辺りは静寂に包まれていた。夜道の坂を登る度に傾斜の負荷が脚にのしかかる。長崎はホント坂道多いよなとつぶやきながら、高校時代について思索に耽ることした。 
 3年間クラスが一緒で席が前後だった十勝忠博という男と仲が良かった。十勝は中性的な端正な顔立ちであり、同級生の女子からの人気が高かった。異性と全く無縁であった宏樹と対照的で、高校3年間で8人の女子と交際していた。昼休みになると宏樹はいつも十勝の恋愛話を聞いていた。自分の全く知らないジャンルであるため、とにかく話を聞いて面白かった。

「最近、彼女とはどうなのよ?」

「順調だよ。亜紀はホントいい子よ。いつも好きだよって言ってくれるし、なんてったって可愛い。部活のバドミントンを真面目にやってるところも好きなんだよなあ。いかにも強化系って感じ。」

「ふーん。前カノの姫奈とずいぶん違うタイプだよね。」

「確かに姫奈は正反対やね。気まぐれで噓つき、マジでヒソカ。デートの約束したのにドタキャンされるし、ハンド部の高橋先輩と浮気してたし、それで俺が怒っても、その修羅場を楽しんでるかのような女だった。恐ろしいよ。」

「変化系だな。なんかそう言う女の子って絶対エロいじゃん。」

「お前の予想はあながち間違ってない。歴代の彼女の中で姫奈がいちばん体の相性よかったわ。お互いの家に行ってはヤリまくりよ。」

「おまえちゃんとゴムつけてんだろうな。」

「当たり前だろ。避妊と性病対策は大切だから。特にお前、性病には気をつけろよ。将来童貞を卒業する機会があるんだろうけど、挿入だけじゃなくてキスとかオーラルセックスで感染するからな。」

「オーラルセックスって…?」

「フェラとかクンニとかだよ。」

「そうか…。」

 

 部屋に戻った宏樹は、すぐさま就寝の準備をしてベッドに入った。眠りにつこうとするものの、十勝の言葉が頭の中で反芻して眠れなかった。

「オーラルセックスの性病対策か…、どうすればいいのか分かんねえな…。」

そう呟きながら、仰向けの姿勢から左方向に体を向けた。目線の先にはキッチンがあり、その横の棚には調理グッズが無造作に並べられていた。

「……そういう事か!!」

 解決策を思いついた瞬間、宏樹は安心したかのように眠りについた。

 

2019年7月13日。宏樹は長崎駅の改札口で未央奈と再会した。

「ロッピー!」

そう言いながら、未央奈は宏樹の元まで駆け寄った。

「あんまり駅で大きな声出さないでよ。」

「ごめん!テンション上がっちゃって!」

「分かったよ。とりあえず水族館でも行こうか。車で10分くらいかな。」

「うん、いこいこー。」


2人を乗せた車は、長崎バイパスの上を走っていた。宏樹は6月に免許を取得したばかりで、運転自体は慣れていなかった。この日のためレンタカーを予約した宏樹の心は落ち着かなかった。自分の心臓を手で直に持って綱渡りをしているような感覚だ。1つでも操作が狂えば、一瞬で命が吹っ飛んでしまうような脆さがある気がしてならなかった。


 土曜日のお昼の水族館は家族やカップルで混んでいた。ペンギンが泳ぐのをスマホで撮影している未央奈の後ろ姿を、宏樹は退屈そうに眺めていた。久しぶりに水族館に来たけど案外つまんないな、と宏樹は思った。子供の頃は大きな魚が水槽の中を泳ぎ回る姿を見て感動や興奮を覚えていたが、19歳の自分にとっては刺激が足りなかった。そもそも未央奈の水族館に行きたいという提案に、宏樹は乗っかっただけだった。水槽の中で、腕輪を付けられたペンギン達が群れを成して移動している。一体ペンギンは何のために生きているのだろう。彼らの生涯において目的はあるのだろうか。水族館に生きてる限り、飼育員に餌をもらい、狩りをする必要もなく食いっぱぐれない。毎日食つなぐことができる状況下では、アドレナリンが出る瞬間なんてあるはずがない。少なくとも俺は腕輪を付けられたペンギン達とは違う。エナジェティックになれる目的がある。ペンギンを落ち着いて見ていられなくなり、宏樹はその場を後にした。


 1日のデートが終わり、宏樹は未央奈を自宅に招き入れた。二人はコンビニで買った350mlのレモンサワーを片手に窓の外を眺めていた。

「今日は楽しかったね。」

「うん、そうだな。」

「グラバー園もきれいだったし、ペンギンが凄い可愛かった。」

「喜んでくれてよかった。明日は中華街にでも行こうね。」

「うん、分かったよ。」

「ちょっとトイレ行ってくるわ。」

 狭い密室で便器に腰を掛けた瞬間に、心臓の鼓動が高まっていくのを感じた。セックス前に緊張することなんて、最初で最後かもしれない。事が終わったら十勝にでも連絡しよう。宏樹は決意した。


 トイレから戻ってくるなり、宏樹は後ろから未央奈を抱きしめた。

「大胆だね。」

「ちょっと我慢できなかった。」

そうして二人は顔を合わせた後、キスを交わした。

「シャワー浴びよっか。未央奈先は入っていいよ。」

「おっけーよ。」

 未央奈がシャワー室に行った後、ベッドの準備を始めた。これから起こる出来事に胸を躍らせていた。
 すると突然、聞き覚えのない声がした。


”おい、聞こえるか。”


 宏樹は一瞬困惑した。

”俺はお前の中の精子だ。"

「精子?冗談だろ。」

”お前の脳内に直接語り掛けている。”

「どういうことだよ。」

”今日でお前は童貞を卒業する。一週間ぶりの射精を経て、今日で俺たちとお別れだ。”

「…………は?」

”別れの言葉はなしか?”

 宏樹は向こうのペースに合わせられている事に納得のいかない思いを抱きつつも、相手の求めるアンサーを返す訳には行かなかった。

「…じ、自分のエロの欲望に、フルスピードで突っ走るのが俺の人生だった。だから、お前らと俺は兄弟だった。お前も俺と同じだった。」

”世話になったな。”

「こちらこそありがとう。」

”あ、最後に伝えとくけど、性病対策はちゃんとやっとけよ。10代の若者中心に感染が広がっているらしいからな。じゃあな。”

 最後に言うことがそれかよ、と宏樹は反論しようとしたが辞めた。Wiz Khalifaの「See You Again」を口ずさみながら、未央奈の風呂上がりを待つことにした。

 
 薄暗い部屋の中、2人はお互いの服を脱がせ合った。間接照明だけ点けたのは、未央奈からの要望だった。なぜ部屋を暗くするのか宏樹には分からなかった。セックスをするなら相手の顔や裸をしっかり見たいのに。恥ずかしいのか、雰囲気を作りたいのどちらかだろう。全く女を理解するには時間がかかりそうだな、と宏樹は思った。
 
 2人はベッドに横たりキスを始めた。粘膜と粘膜が絡み合う音が脳内で響き渡っていた。そのまま乳房に口づけした。そして腹部へと移り、上から下へと線をなぞるように、愛撫する場所を変えていった。宏樹の舌が陰部の近くまでたどり着いた瞬間、性病対策のことを思い出した。直接陰部をクンニするのは危険だと思った宏樹は、ベッドから離れて台所に向かった。棚に収納されているサランラップを手に取った。女性器をクンニする時はラップかけることで性病対策になる。宏樹が前日の夜に導き出した解決策である。これを未央奈の股にかけてしまおうと思いながら、再びベッドに戻っていった。
 


 しかし、未央奈は困惑した顔でこちらを見ていた。

「何でサランラップ持ってるの?」

「何でって、性病対策だよ。直接よりもラップかけてやった方が、病気の確率下がるじゃん?」

「は?病気の予防でラップをかけるって意味わかんないんだけど。そもそも私、性病じゃないし。ねえ、臭いの?臭いから性病だと思ったの?」

「ち、違うよ。セックスするのにコンドームをつけるのと一緒で、クンニの時はラップするものだと思ってたんだ。」

「もういい。宏樹がそんな風に思っててガッカリした。このまま続けても気分乗らないからもう終わりにしよ。」

「ごめん……。」

 彼女からの試合終了の宣告に、宏樹は全身の力が抜けてしまった。何も考えることができない。宏樹の目の前が真っ暗になった。




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