アゴラ

この度、大東市にて支社を設立しました

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最近の記事

親父に教わった100の考え方その23 人間の価値は貸しをどれだけ作ること

うちの親父は、私がまだ小さい時から近所の人、学校の先生、、はたまた親戚の人の相談にのってあげていた 私があるとき「お父ちゃんんは何でそんなに色々な人の相談にのってあげてるん」と聞くと 親父はこう言った 「お父ちゃんは人間の価値は、死ぬまでにどれだけ,貸し借りの貸しを人に与えれることやと思うんや」 私が意味が分からずふーんという顔をし、聞き返した 「貸しを作っても返ってこないことも沢山あるんと違うんか?」 親父は 「別に自分に、すぐに返ってこなくても、何年か経った

    • 親父に教わった100の考え方その13 お墓参りは今ある自分に感謝すること

      何時の事かも覚えていないくらい、うちの家ではお墓詣りと仏様への感謝と報告は慣例の行事でありました。 毎年、お盆、お彼岸の墓掃除はもちろん、毎朝の仏壇へのお供え、また、旅行や、受験、お線香を必ず仏壇に供えてから出発若しくは帰りの無事を感謝しました、 それは、必ず親父が仏様に挨拶したかと聞いてきたからです。 ある日、親父にこう質問しました 「何で必ずお墓参りや、仏壇に挨拶しないといけないの?」 親父はこう言いました 「今、お前は生きてて楽しいか?」 私はもちろんはい

      • 親父に教わった100の考え方その12 褒める時は、こっそりひっそり、そしてわかるように

        私が小学5年生のころだったと思う ある夏の日、遊び疲れて家で昼寝をしていると、親父と親父の友達が話している声がして目覚覚めたが、なんとなく寝たふりをしてお店の会話を聞いてみよとおもった 大の字の寝ている姿をみた親父の友人が、「凄い寝方してるぁ」 というと親父が「天下泰平そのものやろ」と言っていた また、親ばかな親父は「そのうち、わしが出来なかった天下を取るくらいの器量な男になってほしいし、こいつは何かすると思うわ」と言ってくれていた 寝たふりをしながら褒められている

        • 親父に教わった100の考え方その11  自分教の教祖になれ

          4歳の時の話です 23歳の時、交通事故を起こし同乗していた友人を亡くしました。 事故をした時点から前の3日間が思い出せないという大事故です。 何故か私は肋骨6本の骨折程度でしたが、私の友人は亡くなりました。 落ち込む日が続くなか、幼馴染みから電話があり、一度会おうという事になり、会うことになったのですが、ただ単に話すだけではなく、ある宗教に勧誘されました。 以前の私であれば簡単に断っていたのですが、多分こんな私でも心が病んでいたのでしょうね その宗教は、沢山の人を

        親父に教わった100の考え方その23 人間の価値は貸しをどれだけ作ること

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          親父に教わった100の考え方その10 親が子ともに謝る凄さ

          中学2年生のころ、友達4人であまりにも暇すぎて会話もなく部屋で過ごしていると、ある一人の友人んが正月にやったドンジャラ(麻雀ゲームの子供版)やれへんか?という事になり、その友人が自分の家からドンジャラを持ってきた ルールもわからないままなんとなく遊んでいると 多分うちのお袋が親父に告げ口したらしく 急に私の部屋のドアを開けるなり、机を蹴飛ばし、ドンジャラをばらまいた そんな血相を変えたような親父を初めて見た驚きと友人がいるのに机を蹴飛ばした親父の行動になんでやと思いな

          親父に教わった100の考え方その10 親が子ともに謝る凄さ

          親父に教わった100の考え方その9 頭の中の天秤

          私が小学生の5年生くらいだったと思います。 その頃、私は成長期という事もあり、腕力には自身があり、どちらかと言えば、喧嘩が強かった方だと思います。 今で言う、いじめ問題といわれる出来事は、わが田舎の小学校でもありました その頃はいじめというより、からかって遊んでたり、力の強いやつが、あいつ気に入らないと言えば、そいつに好かれようと思い、気に入らないと言われた 人とあまりじゃべらなくなったり、他の人から見たらいじめと言われる出来事は日常茶飯事にあったと思います。 ある

          親父に教わった100の考え方その9 頭の中の天秤

          親父に教わった100の考え方その8 飲みにケーションはコミュニケーション

          私がまだ小学校の4年生ぐらいの時、学期末の通知簿を見て愕然としたことがありました 成績が悪い上に、先生からの所見が、落ち着きがない、すぐに暴力で解決しようとする。授業を聞く態度がなっていない、色々と反省点ばかりが書いてあった。唯一一つだけ、明るくクラスの人気者とだけ書いてあったが、今から見ても落ち込むような通知簿であった 親父に見せるのが怖いくらいだったので、今回は通知簿なかったよと意味不明な嘘をつこうと思ったくらいででした。 学校から帰ってきた私は、親父が自宅の仕事場

          親父に教わった100の考え方その8 飲みにケーションはコミュニケーション

          親父に教わった100の考え方その8 飲みにケーションはコミュニケーション

          私がまだ小学校の4年生ぐらいの時、学期末の通知簿を見て愕然としたことがありました 成績が悪い上に、先生からの所見が、落ち着きがない、すぐに暴力で解決しようとする。授業を聞く態度がなっていない、色々と反省点ばかりが書いてあった。唯一一つだけ、明るくクラスの人気者とだけ書いてあったが、今から見ても落ち込むような通知簿であった 親父に見せるのが怖いくらいだったので、今回は通知簿なかったよと意味不明な嘘をつこうと思ったくらいででした。 学校から帰ってきた私は、親父が自宅の仕事場

          親父に教わった100の考え方その8 飲みにケーションはコミュニケーション

          親父に教わった100の考え方その7 嘘も方便

          大学4回生の時、私の妹が就職の為下宿先を探していた時の話です 下宿先も見つかり、親父が田舎に帰るとき、その下宿先近くに昼間からあいている焼き肉屋がありました。 場所は古川橋という京阪沿線でした チェーン店の焼き肉屋ではなく、ちょっと古ぼけた、庶民の為の焼き肉屋といった感じです。 多分10人ぐらい入ったら満パンになるくらいのお店 夕方の5時くらだったと思います 親父が、私に帰る前に焼肉でも食べていこうと言いい2人で入りました。 店に入ると、なぜか剥製のキジが飾って

          親父に教わった100の考え方その7 嘘も方便

          親父に教わった100の考え方その6 喧嘩両成敗

          中学3年の春のことです。 何故か変に頭が回る私は、生徒会の副会長に立候補して、内申書の評価をあげようと言う作戦にうって出ようと思いました。 出来れば、無投票で勝つため周りの友達で立候補しそうなやつに根回しして出ないように頼みまくりました しかし、一人の裏切りが出たのです、それもよりによって、同じ野球部の女の子にもてるタイプの背が高く細身の男 私の立候補動機が不埒なうえ、 絶対的に女子人気がそっちに行き私は勝てないと思ったのですが、私の後輩の野球部員が、私の為に動きま

          親父に教わった100の考え方その6 喧嘩両成敗

          親父に教わった100の考え方その5 1+1は、無限ていう話し

          以前に書きましたが、私が社長に成りたいと親父に宣言したときの話をします。 こんなことを教えてくれました 1タス1はなんぼや 私は、急に親父が何を言ってるんだろうと思いながら、「2」と答えました そこで親父は私にこう言ってくれました 「数学では2やけど、人間学では違うなぁ、1タス1は3にも4にも5にもなる、だから1タス2とか、1タス5とかしていったら100にも1000にもなる。 わかるか?」 「掛け算や累乗計算に似てるけどそれでもない」 「組織の話やで、でもな最

          親父に教わった100の考え方その5 1+1は、無限ていう話し

          親父に教わった100の考え方その4 武士は食わねど高楊枝

          高校3年生の冬の出来事 同級生は、もう就職すると決めた人は働き先が決まったり、大学、専門学校組は受験の準備しているさなか、うちの親父の呼び出しがかかった。 なんだろうと思いながら、うちの家の応接の椅子に座り親父が私の正面の椅子に座った直後 親父が「すまん、お前を進学させることが出来なくなった、すまん」 えっなんなんだと思った瞬間 日頃威厳のある親父が「不景気でお金がない、申し訳ない大学に行かすだけのお金がない」というと親父の目から涙がポロっとこぼれたのを初め て見

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          親父に教わった100の考え方その3 どうなりたいかを意識さす

          中学3年生のある日、またまた親父に話があると呼び出された 「もうそろそろ将来何になりたいか考えたか? 何になりたいか言ってみろ?」 私はそんなこと一度も考えたことなかったし、ましてや日々、クラブ活動や、友達と遊ぶことでいっぱいで将来のことなんかこれぽっちも考えたことがないごく普通の中学生だった そんな私が答えに詰まると、高校受験の前に教えてくれと言い放ちそのまま仕事に戻っていった えらいこっちゃ これをちゃんと答えないと高校進学させてもらえないような気がした私は、そ

          親父に教わった100の考え方その3 どうなりたいかを意識さす

          親父に教わった100の考え方その2 自覚を与える

          それは15歳の誕生日の出来事でした。 その日の夕方学校から帰ってくると 「ちょっと二人で話ししようか』といつもより何故かかしこまった親父が、家の中でお客さんが来た時ようの小さな応接室に呼び出されました。 だいたい話があるときは、妹と私の二人で呼び出され、家の仕事をしてないと怒られたり、もっと妹を大切にしろと注意される事くらいなのですが、なぜか二人で話をしようという父に対して、中学生の私が思ったのは、自分ではわかっていないが、又学校でなんかやらかして、先生から家に電話があり

          親父に教わった100の考え方その2 自覚を与える

          親父に教わった100の考え方その1 しゃべくりの極意

          私の父は自営業でした。家で、日本古来の着物に携わる仕事の為、工場の二階でいつも一人テレビを見ながら生糸の結びつけをしていました。 小学校3年生くらいの時、そんな親父が私に一つ約束事を言ってきました 学校から帰ったらまず今日学校で起こった出来事を必ず報告すること。 楽しかったこと、つらかった事なんでもいいから報告するように 多分ですが、親父は子供とのコミュニケーションがとりたかったのだと思います。 そんな私も、親父と話すことが好きで、いつも学校から帰ってくるとすぐに親

          親父に教わった100の考え方その1 しゃべくりの極意