親父に教わった100の考え方その3 どうなりたいかを意識さす

中学3年生のある日、またまた親父に話があると呼び出された

「もうそろそろ将来何になりたいか考えたか? 何になりたいか言ってみろ?」

私はそんなこと一度も考えたことなかったし、ましてや日々、クラブ活動や、友達と遊ぶことでいっぱいで将来のことなんかこれぽっちも考えたことがないごく普通の中学生だった

そんな私が答えに詰まると、高校受験の前に教えてくれと言い放ちそのまま仕事に戻っていった

えらいこっちゃ

これをちゃんと答えないと高校進学させてもらえないような気がした私は、それから将来について考えるようになったのであるが、しかし、頭にピーンとするものなんて一切浮かんでこない、そのうち親父も言ったことなんて忘れるだろうと思っていたのだが

二か月後、親父がまた、私に「決まったか?」と聞いてきた

その時、私が言った言葉は、「まだ探せてないから、高校は普通科に行かせてください」だった

あっという間の3年間、それなりに考えてはみたものの何をしたらいいのかまだ分からない

高校3年生になった春、又親父が聞いてきた 「決まったか?」 忘れていない質問、もちろん私も忘れていないが、まだ答えが出ていない私

まだわからいから大学に行かせてくれないかというと、親父は、わかった行かせよう、その四年間に必ず答えをだせよ、聞かせてくれと言われた

それからの大学生活は、色々なアルバイトをしながら自分は何が向いていて何が向いていないかを意識しながら働いてみた。

そして答えは、何の仕事をしたいかはわからないけど、社長になると言う事を決めた

大学では、要領と愛想がいい事を得意技としていたので、大学の先生に大学に残らないかという異例な就職先まで推薦されたのだが、それも断った、又友達が公務員(警察)を受けようという事で、試験も受けた、私は3次まで行ったのだが、4次試験は受けることさえしなかった、だって親父に社長になると発表しなければいけなかったから、

そして大学4年の春親父が大阪に来て話すことになる

大阪梅田の喫茶店で待ち合わせをして、そこでコーヒーを親父と二人で飲む

親父「決めたか?」

私「お父ちゃんが言っていた、何になるかはまだわからんけど、社長に成ろうと思う、それが何の社長かはわからないけど、流れに任そうと思う」

親父「お前は社長には向いていない」

私「えっ」

自分の息子を可能性ないって、身も蓋もないやん(心の声)

しかし、親父は、人をふるいたたせる凄い言葉を私に贈ってくれた

「お前は、一番よりも、ナンバー2のタイプや、」

なんでやねん(心の声)

「でもな、世界一のナンバー2になれ」

ナンバー2という響きは最初は凄く嫌なイメージあったのだが、この最後の世界一のってところが心にずしんときたことを今でも思いだします

まだ中学生のころから、考えさせられ、そして就職前に世界一を意識さす親父に感謝の気持ちでいっぱいです。

関西コネクション 意識はしないと人は変われない テレビに出れないかなぁ


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